ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

江戸時代、高砂の商業活動(45) 竜山石

2017-08-10 09:00:50 | 江戸時代、高砂の商業活動

    竜山石

 竜山石について触れておかねばいけません。

 古代の加古川の主流は、現代の加古川よりも西をながれていたと想像されます。

 河口は、竜山の採石場(写真)のあたりだったのでしょう。

 このあたりは、加古川の河口というよりも、海がせまり湾のような地形をつくっていたようです。

 そこに、竜山石の採石場がありました。

 真壁夫妻の研究によれば「五世紀ごろの畿内大王家の古墳のほとんどは竜山石であり、竜山が五世紀の畿内勢力と密接に関係し、畿内勢力下で、この石切り場が開発されたとも考えられる」と、述べておられます。

 竜山石は、もちろん大和地方へだけではなく、はるばる九州地方にまで運ばれました。

 竜山石は、水上により目的地まで運ばれ、当時の運搬用具である「修羅(しゅら)」に移しかえられ設置場所まで運ばれたのでしよう。

 道路の整わない当時の陸上を運ぶより、水上を運んだ方がはるかに容易に早く運べました。

 竜山石は、加工しやすい柔らかい石材(凝灰岩)でしたが、何よりも運搬に便利な川(湾)に面した絶好の場所にありました。

    竜山石は藩の専売制品に
 話は江戸時代に飛びます。

 江戸時代初期、慶長年間の姫路城や明石城には、石垣などの建築構造資材として竜山石が大量に使用されています。

 天保7(1836)年、姫路藩の専売品となり鳥居・燈籠・狛犬・石臼・石垣・石段などに広く利用され全国に供給されていきました。

 その後、近代になると美しく優れた建築資材として盛んに活用され、明治3(1870)年に、旧造幣局幣鋳造所、大正11(1922)年、住友銀行本店ビル、昭和3(1928)年には京都ホテル旧館や旧国鉄大阪鉄道管理局等の外壁を飾りました。
 伊保山、竜山などに登ると、山の尾根上に古い時代の石切場の跡を見ることができます。(no3684)

 *写真:竜山石

 ◇きのう(8/9)の散歩(11.273歩)

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