幸圓・官兵衛ただ一人の妻
妻子は勢力拡大の手段になったからです。
多くの妻に子どもをたくさん産ませ、その子どもたちを戦力にしたり、人質にしたり、また政略結婚に利用し、勢力の増強をはかりました。
そんな中で、(黒田)官兵衛は幸圓以外に妻を持たず、二人は、たいそう仲の良い夫婦でした。
珍しいことです。
それは、第一に、官兵衛が茶の湯や連歌などに通じた文化人であったこと。
第二に、官兵衛がキリシタンであったこと。
第三番目に幸圓が、魅力的な人であったこと。
などが考えられます。
官兵衛は、22才の時に主君・小寺政職(まさもと)の媒酌で、幸圓を妻に迎えました。
この時、幸圓は15才でした。
幸圓の結婚は、父の櫛橋伊定(これさだ)が小寺政職や官兵衛と結ぶための政略でした。
伊定は、早くから官兵衛に目をつけていて、結婚の一年前に赤合子(あかごうす)の兜と胴丸具足(写真)を官兵衛に贈っています。
政略結婚ではあったのですが、だれからの異論もない祝福された結婚でした。
ただ、官兵衛と幸圓は「ノミの夫婦」で、官兵衛は小柄で風采の上がらない武将でした。
妻の幸圓は、「背が高くてがっちりした、大らかな女性」だったといわれています。
結婚した翌年に嫡男の(黒田)長政が生まれています。
お家大事の時代です。
妻の務めの第一は世継の男の子を産むことでした。
その意味でも、幸圓の結婚生活は順調に滑り出しました。
しかし、・・・・
写真:赤合子形兜・黒糸威胴丸具足・小具足付(福岡市博物館蔵)
*『稀代の軍師・黒田官兵衛(播磨学研究所編)』(神戸新聞出版センター)参照