ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(276):志方八幡社①・元宮

2012-05-16 08:37:47 |  ・加古川市志方町

八幡社(宮山)の元宮

宮山の志方八幡社をしばらく訪ねます。

まず、志方八幡社の前身からはじめましょう。

志方八幡社の前身は、宮谷(西飯坂)の宮谷にありました。

宮谷については『志方町を歩く(269)・志方八幡宮の元宮』で取り上げましたので、きょうは、ほとんど同じ内容になります。ご了承ください。

  志方八幡神社の元宮は宮谷(西飯坂)

017宮谷の名は、宮があったためにつけられた名前です。

櫛橋氏が志方に城を築いた時、鬼門にあたる北東にある宮山に、宮谷にあった妙見大明神を移し、併せて山城国(京都府)男山八幡宮より分霊を勧請しました。

それは明応元年(1492)のことで今から520年前です。

(伝承によれば)宮谷の元宮の創祀は天永二年(1111)といいますから、さらにさかのぼること381年、宮山に移してからは武神として八幡神を勧請したものです。

西志方横大路の大内家の系図によると、志方大内家の姶祖・大内茂信が志方の地に来たのは承和九年(842)で、但馬国妙見山から妙見大明神をこの宮谷に勧請したとしています。

茂信が旅装を解いたのは横大路なのか、それともこの宮谷の地なのかはわからないのですが、宮谷の発祥はその頃であったのかもしれません。

元宮の跡は、現在の人家のあるところから徒歩で20分ぐらい登ったところにありました。

元宮はブッシュの中

先日「元宮」探しに出かけました。

昨年の94日の大雨により山が各所で崩れ、行く手をふさいでいました。

それにブッシュが茂り、元宮はなかなか見つけることができません。

あきらめて帰ろうとした時、宮谷にお住まいのTさんと出会いました。

「わたしも久しぶりで、元宮がどうなっているのか見たいので一緒に行きましょう」と親切に案内してくださいました。

初めての人にはわからない場所となっています。

*写真:ブッシュの中の元宮跡

コメント (1)    この記事についてブログを書く
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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
元宮はいずこ? (しま)
2018-03-18 20:41:25
私も元宮にいってみたいです。 具体的にどのあたりでしょうか? 玉の緒の上あたりですか?

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