八幡社(宮山)の元宮
宮山の志方八幡社をしばらく訪ねます。
まず、志方八幡社の前身からはじめましょう。
志方八幡社の前身は、宮谷(西飯坂)の宮谷にありました。
宮谷については『志方町を歩く(269)・志方八幡宮の元宮』で取り上げましたので、きょうは、ほとんど同じ内容になります。ご了承ください。
志方八幡神社の元宮は宮谷(西飯坂)
櫛橋氏が志方に城を築いた時、鬼門にあたる北東にある宮山に、宮谷にあった妙見大明神を移し、併せて山城国(京都府)男山八幡宮より分霊を勧請しました。
それは明応元年(1492)のことで今から520年前です。
(伝承によれば)宮谷の元宮の創祀は天永二年(1111)といいますから、さらにさかのぼること381年、宮山に移してからは武神として八幡神を勧請したものです。
西志方横大路の大内家の系図によると、志方大内家の姶祖・大内茂信が志方の地に来たのは承和九年(842)で、但馬国妙見山から妙見大明神をこの宮谷に勧請したとしています。
茂信が旅装を解いたのは横大路なのか、それともこの宮谷の地なのかはわからないのですが、宮谷の発祥はその頃であったのかもしれません。
元宮の跡は、現在の人家のあるところから徒歩で20分ぐらい登ったところにありました。
元宮はブッシュの中
先日「元宮」探しに出かけました。
昨年の9月4日の大雨により山が各所で崩れ、行く手をふさいでいました。
それにブッシュが茂り、元宮はなかなか見つけることができません。
あきらめて帰ろうとした時、宮谷にお住まいのTさんと出会いました。
「わたしも久しぶりで、元宮がどうなっているのか見たいので一緒に行きましょう」と親切に案内してくださいました。
初めての人にはわからない場所となっています。
*写真:ブッシュの中の元宮跡