ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

さんぽ(15):宝殿駅界隈を歩く(15)・米田町の合併問題①、米田町の分裂

2014-01-07 07:59:03 |  ・加古川市米田町

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 米田町の話は、どうしても米田町の合併の話からはじまる。
 それほど、米田町の合併問題は大事件であった。
 昭和25615日、加古川市は加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村が合併して誕生した。
 その後、別府町(昭和2610月)、八幡村・平荘村・上荘村(昭和304月)、東神吉村・西神吉村・米田町船頭・平津地区(昭和319月)を加古川市に編入した。
 そして、志方町を昭和542月に編入し、現在にいたっている。
    米田町の分裂
 そのうち、米田町との合併は、もめにもめた。結果、米田町は分裂した。
 この経過を見ておきたい。
 高砂市は、昭和29年高砂町・荒井村・曾根町・伊保村が合併して誕生したが、それに先立って米田町との合併を望んだ。
 加古川市も同じで、米田町との合併を希望した。
 米田町にあるニッケ印南工場と加古川工場は密接な関係にあった。
 ニッケ工場は、行政が異なり、何かと不便があった。
 また、ニッケ印南工場は、米田町と東神吉村にまたがっている。
 さらに、西神吉村・東神吉村と米田町は、宝殿中学校を共同経営していた。
 この外にも西神吉村・東神吉村・米田町は緊密な関係を持っていた。
 米田町は、高砂市と加古川市の狭間にあり、そのため合併問題で翻弄されることになった。
 米田町の住民は、加古川市との合併派、高砂市との合併派に分裂し対立してしまった。
*『加古川市議会史(記述遍)』参照、地図の赤い部分が加古川市米田町

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