昨日のブログで紹介した白沢3・5窯跡の北の方にカメ焼谷古墳群・神子谷古墳群がある。
これらの古墳は昭和63年(1988)10月から11月にかけて発掘調査された。
その結果、神子谷古墳群は円墳8基、カメ焼谷古墳は円墳7基で構成され、ともに出土した土器等から古墳時代後期(6世紀後半~7世紀初期)の古墳であることが確認された。
白沢では、これらの古墳群のほかに古墳時代後期の古墳が数基確認されている。
白沢は、その後も須恵器等の生産地として栄えていた。
◇白沢旧石器人◇
白沢では、古墳時代に先立つ弥生時代・縄文時代の遺跡は、現在のところ見つかっていない。
時代をはるか昔にさかのぼりたい。
今から1万年ほど前、地球は現在とほぼ同じ温暖な気候になった。
それ以前は寒く、かつて日本列島には人が住んでいなかったと考えられていた。
しかし、加古川市内でも約二万年以上以前に人が使っていた石器(旧石器)が多数採集されている。
彼らは、既に火を使い、暖をとり、獣から身を守っていた。また、物を焼くという調理法も取り入れていた。
白沢には、旧石器時代の足跡がある。
集落のすぐ東の大池の南西の畑から旧石器(下図)がみつかった。
上荘地区での旧石器の発見は、この一例だけである。
その意味では、白沢は上荘地区の人類発祥の地である。
しかし、白沢は現在の小野市の黍田町、そして加古川の流れに向かって広がった土地の性格が強い。
白沢は、とてつもなく古い歴史を持つ地域であることが言いたかった。
*『加古川市史(第四巻)』参照
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます