ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

西神吉町探訪:宮前宮山古墳

2007-05-30 07:53:41 |  ・加古川市西神吉町

_542   加古川右岸(西岸)の古墳について、『加古川市史(第一巻)』を読んでみたい。

  ・・・加古川の左岸が目立った古墳や古墳群をもつのに比べると、右岸は古墳の数もすくないし、分布もまばらである。

  古代以降、加古川下流域の中心は左岸にあったようであるが、それをさかのぼる古墳時代においても、右岸の勢力は劣っていたと考えられる・・・・

  右岸についての記述は、なんともそっけない。

  先日、宮山へ行ってみた。大会が行われているのか、近くの陸上競技場からの記録発表の声が聞こえてくる。

  中学生であろう。友達の応援の声も聞こえる。

  木々を揺らす風も気持ちがよい。心臓だけは久しぶりの「丘のぼり」にあえいでいた。

  頂上辺りに宮山古墳の説明(写真)がある。読んでみたい。

◇宮前宮山古墳群◇

  宮前宮山古墳群には3基の古墳があり、1号から3号の名称が付けられている。

  1・3号古墳は、直径15メートルの円墳であるがその外形から弥生時代の後期に造られた墳丘墓の可能性があります。_545

  2号墳は、前方後円墳であり、全長53メートルの(省略)規模で造られている。

  (省略)2号墳は、古墳時代前期(4世紀)の墳墓ではないかと考えられる。

  宮前宮山古墳は、加古川西岸の古墳時代を考える上で貴重な古墳群である・・・

  古墳は、夏草に覆われて、その姿を確かめることは出来なかった。

 

  『加古川市史』の記述と若干ニュアンスが違う。『宮前宮山古墳』は、時代も古い。(写真下は宮山1号墳)

  宮山は、辺りを見渡せる丘である。宮山の豪族は、どの辺りを支配していたのだろうか。やや東の平荘湖古墳群の豪族との関係はどうだったのだろう・・・知りたい・・・

*『加古川市史(第一巻)』参照

  西神吉町の歴史探訪を書いているが、この辺りで気分を変えて、明日から「別府町探訪」に出かけてみたい。西神吉探訪は後日さらに続けたい。史料等をご紹介ください。

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