ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

ぶらり散歩(8)  加古新村(現:稲美町加古)の誕生(3)・稲美町加古には寺がない

2019-02-17 08:35:09 | ぶらり散歩

 加古土地改良区に、古文書「村方万事議定證(むらかた、ばんじぎじょうしょう)」(以下「議定證」とします)が保存されています。

 加古土地改良区で「議定證」(写真)を見せていただきました。

 変なおじさん(私)が、一緒ですがお許しください。

 いま、「加古新村の誕生」は、この議定證から加古新村の歴史を紹介しています。

 

    稲美町加古には寺がない

       移住者は、才兵衛・治兵衛・喜平次の旦那寺に

  (議定證:第5項)

 一 宗旨の件ですが各々様(才兵衛・治兵衛・喜平次)と同じ禅宗になり、旦那寺も同じにしたいのでよろしくお願いします。

 神社や寺の守り札をいただいたりするのも、こちらからは一切口出しせず、三人様の指図どおりに致します。

 勝手に跡目を入れて、引っ越しをするようなことは致しません。

 これは兄弟・下人であってもお断りをし、帳面に書かれている外に、他所から一人も家に置いたりしません。

 議定證は、入植した百姓たちの自発的意思で作成されたものか不明です。

 ともかく、頭百姓に非常な特権を認めています。

     加古新村には寺院がない

 第5項は、百姓は全て開発百姓の出身である、中西条・上西条・下村(現:加古川市八幡町)の3寺院の檀家になることを定めています。

 そのために加古新村には、今に至るまで寺 院がありません。

 加古新村のような大きな集落で、寺院のない集落の例は外に知りません。

     違反する者には処分を! 詫び言は言いません!

 そして、5項目の後は次のように続きます。

 右の通り、すべての下百姓は残らず連判を記した上は、末世末代、子々孫々にいたるまで毛頭(もうとう)反するようなことはありません。

 もし、一人でも異議を申し唱えるものがいたならば、下され田畑・家屋敷・農具にいたるまで取り上げてください。

 右のように決めましたので、詫び言も言いません。

 その上で御公儀様に仰せになり、どのようなことを仰せつけられても一言も恨み申し上げません。(no4541)

 *写真:加古に残る文書(議定證)

 ◇きのう(2/16)の散歩(10.029歩)

コメント
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