ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

志方町を歩く(83):お地蔵さん①・法華山西総門傍のお地蔵さん

2011-08-19 07:54:38 |  ・加古川市東志方

   地蔵盆の頃

016地蔵盆が終わると、夏休みも残り1週間ぐらいです。

宿題の残りが気になりだします。

あんなにうるさかった蝉の声はいつのまにか聞こえなくなります。

空には入道雲から秋の雲に変わりつつ、夏の終わりの寂しさだけが残ります。

でも、今年は、823日の地蔵盆の頃にも入道雲は頑張っていそうです・・・

二年ほど、稲美町を歩き回りました。

その時は、「稲美町では庚申さんの像が多いな・・・」と感じました。

2ヶ月ばかり前から志方を散策しています。今度は「地蔵さんが多いな・・」というのが実感です。

   お地蔵さん
「地蔵菩薩」ではしっくりきません。この仏ばかりは「お地蔵さん」と読んでみたくなります。

志方町では、村の入り口、町の角、田畑のすみ、峠の頂上、お墓などお地蔵さんはどこにでもおられます。

ともに遊んだ仏様です。ともに悲しんでくださった仏様です。

これほど、みんなに親しまれた仏は外にありません。

全国的に一番たくさん作られたのはお地蔵様でしょうが、志方町では特に、かつて、お地蔵さまと一緒の生活があったようです。

8月23日は地蔵盆です。

少し、志方町・お地蔵さんについ考えてみましょう。

法華山西の総門の地蔵さん

17日(木)、一乗寺へ出かけました。

法華山西の総門の傍にお地蔵さん(写真)が道行く人を見守っておられます。

A子:お地蔵さん、お元気ですか。

地蔵:暑くてたまりません・・・

A子:じゃ、この帽子をかぶりなさいね。

地蔵:遠慮なく、いただきます。たすかります。

こんな会話ができそうなのがお地蔵さんです。

お地蔵さんは帽子をかぶっておられました。

だれがかぶせてあげたのでしょう。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする