長雨が続いたが、加古川は悠々と流れていた。
しかし、明治時代、加古川はしばしば水害をおこし、その度に河川改修の要求が高まった。
明治43年は、全国的に大水害にみまわれ、多くの死者をだした。
国は、国の直轄事業として、すぐにでも工事を始めなければならない河川は全国に65あるとした。
そして、これらの河川のうち20を選び「第一期河川」とした。
加古川は、利根川や木曽川とともに、第一期河川に組み入れられた。
この時選ばれた第一期河川は、以下の20河川である。
利根川(茨城・千葉)・信濃川(新潟)・淀川(大阪)・木曽川(三重)・吉野川(徳島)・九頭竜川(福井)・高梁川(岡山)・庄川(富山)・遠賀川(福岡)・荒川(東京)・北上川(宮城)・阿賀野川(新潟)・雄物川(秋田)・最上川(山形)・神通川(富山)・岩木川(青森)・富士川(静岡)・斐伊川(島根)・緑川(熊本)そして加古川(兵庫)
1911年(明治44)9月4日、次のように官報に告示された。
兵庫県下加古川筋左岸加東郡福田村内大門村右岸河合村内復井村大門橋以下海ニ至ルマテ公共ノ利害ニ重大ナル関係アル河川ト認定シ本年九月十日ヨリ河川法ヲ施行ス
加古川は、国の直轄事業として本格的改修工事が前進することになったのである。
河川法による総改修費は、3分の2を国が負担し、残りの3分の1は兵庫県の負担であった。
*『加古川市史(第三巻)』参照