仕事で煮詰まって、逃避中の事
レーサーズっていう雑誌のバックナンバーを読んでいた。
まあ、職場になんでそんな雑誌があるんだという突っ込みは無しで・・
1985年の鈴鹿8時間耐久レースに、ヤマハが本格参戦し、
資生堂のスポンサードでTECH21チームがエントリーした。
今では伝説と化した、淡いブルーパープルのヤマハFZ750ベースのマシンだ。
平 忠彦と、ケニー・ロバーツがタッグを組み、8耐を走る。ゼッケンは21だ!
もう空前のバイクブームの中、これ以上無い話題性だった。
現役を引退していたロバーツは、それでも鬼人の走りを見せ
平と共に後もう少し、本当に少しのところまで独走し、そしてリタイヤした。
リタイヤは衝撃的だったが、逆にそのことで
強く皆の印象に残っているのではないだろうか?
平はその後8耐に挑戦を続け、90年に、エディー・ローソンと組んで
ついに優勝する。
本当にバイクが熱い時代だったね。
自分はどうしていたのかというと、85年・・
どこかにロングツーリングに出ていたはずなんだが・・
RZRかDT200R、当時は完全にヤマハ党でした。
静岡か、北海道かどっちかなんだが、
そろそろ記憶が怪しくなっている。
画像は拾ってきました。
レーサーズっていう雑誌のバックナンバーを読んでいた。
まあ、職場になんでそんな雑誌があるんだという突っ込みは無しで・・
1985年の鈴鹿8時間耐久レースに、ヤマハが本格参戦し、
資生堂のスポンサードでTECH21チームがエントリーした。
今では伝説と化した、淡いブルーパープルのヤマハFZ750ベースのマシンだ。
平 忠彦と、ケニー・ロバーツがタッグを組み、8耐を走る。ゼッケンは21だ!
もう空前のバイクブームの中、これ以上無い話題性だった。
現役を引退していたロバーツは、それでも鬼人の走りを見せ
平と共に後もう少し、本当に少しのところまで独走し、そしてリタイヤした。
リタイヤは衝撃的だったが、逆にそのことで
強く皆の印象に残っているのではないだろうか?
平はその後8耐に挑戦を続け、90年に、エディー・ローソンと組んで
ついに優勝する。
本当にバイクが熱い時代だったね。
自分はどうしていたのかというと、85年・・
どこかにロングツーリングに出ていたはずなんだが・・
RZRかDT200R、当時は完全にヤマハ党でした。
静岡か、北海道かどっちかなんだが、
そろそろ記憶が怪しくなっている。
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