エゾサンジンのつれづれ

エゾサンショウウオを愛す会「エゾサンジン」の日々の活動

会長・浩而の日々の思索

そんな内容で綴っていきます

野鳥ちゃん

2008-04-30 08:28:37 | その他生物
庭にメジロが群れをなしてやってきた。
私の育った札幌の地域では、どちらかといえば珍しい部類に入る。
しょっちゅう庭先に来てくれるという小鳥ではない。
体重約10グラムというその小粒な体、抹茶のような配色、くっきりと白で縁取られた実はかなり鋭い眼光。

アオジが地面をちょこちょこ歩く。
この時期はおなじみの風景だ。

カワラヒワがコロコロと鳴く。
木陰ではお茶の出がらしのような渋い色だが、光が当たると黄金に輝く。
ぱっと飛び立つと翼の黄色が眩しい。
つんつんした尾も魅力的だ。

特に餌を置いているわけでもないのに。
庭を荒れ放題にしているから虫や新芽(雑草)を食べ放題なのか。
無農薬だから、どうぞお召し上がりください。

共食い

2008-04-22 07:49:41 | その他生物
こぶしがやっと咲いたかとおもいきやあれよあれよという間にもう桜が咲きだした。
例年はこぶしが茶色の山をほんの少し明るくしてくれて、暫くたってやっと色味(桜)が付き始めるのに、なんだか釈然としない。

エゾサンショウウオの現場は、もう、危機的な状態だ。
例年は夏迄、雪解けで出来た水溜りに水をたたえているのに、もう、枯渇寸前だ。
エゾアカガエルは水底に卵を産まず、浅瀬や葉の上に産み、卵の頭を水から出した様な状態がよく見られる。
現場では相変わらず不法投棄が多く、水底にもごみが沈んでいる。水かさが減っていった時、そのごみにつっかえて卵が水から完全に出てしまう。
既に干からびてしまったのもある。
昨年同様、また保護開始だ。
エゾサンショウウオの卵嚢はたいてい棒やら笹やら何かに巻きつけて産卵してある。枝ごと採取。
ハッチアウトしてしまったらもうおしまいだ。
肺呼吸になる前に水が無くなってしまう。
一匹ずつすくうのは無理がある。
だからかろうじて卵の状態のうちに。

人間は、「あら桜が早いわ~」程度で済んでしまう温暖化も、環境の影響にその生死を左右される生き物達にとっては大問題だ。




画像はエゾアカガエルのおたまじゃくしの共食い現場。
エゾサンショウウオの十八番かと思いきや、エゾアカガエルもたまにはするものらしい。

やまごもり

2008-04-21 08:04:45 | エゾサンショウウオ
金土日と山篭りをする。
この時期、冬の間に折れた小枝や去年のイタドリがあって焚き付けにうってつけだ。
アイヌネギがちらほらと姿を現す。
ヨモギも出てきた。
そしてエゾアカガエルとエゾサンショウウオの卵ももう少しでハッチアウトというところだ。

この時期は、ブヨもカもハエもいなくてとても快適だ。
木々は新芽が芽吹いたばかりで、野鳥の姿を隠す葉はなく、はっきりとその姿を確認できる。
暑くもないし寒くもない。
なんと穏やかな時期だろう。

深夜1時から明け方5時頃までトラツグミが鳴き交わす。
その神秘的でなんとも魅力的なさえずり。
連夜徹して聞き惚れる。
空が白んで鶯が鳴き始めると、トラツグミは交代するかのようにその声を潜める。
7時台となると小鳥たちも活発になってくる。
ヒガラ、シジュウカラ、ハシブトカラ、そしてエナガが賑やかに囀る。
「ちゅい~~~~~~~~~~ん!!!」

マヒワだ。
カワラヒワもいる。
ベニマシコまでいる。
なんて美しいんだろう。燃えるような、いや、鮮血の様なその紅色。

キジバト、ミヤマカケス、シメ、アオジ・・・次々にやってくる野鳥に見ほれていると食事を摂るのも忘れそうだ。

夜は蝙蝠が乱舞する。
エゾトガリネズミの姿もある。


画像はエゾアカガエルが丁度鳴いたところ。
両の頬がぷっくりしているのがなんとも愛らしい。



エゾサンショウウオ

2008-04-18 08:07:46 | エゾサンショウウオ
エゾサンショウウオにも皆性格がある。(と私は感じる)気さくだったり臆病だったり、なれなれしかったり。
もって生まれたものも多いのだろうが、環境によるものが大きいと思う。
野生下で暮らせば、日々生きることに必死で食べることや繁殖に命をかけるだろう。

エゾサンショウウオに限らず、小鳥もそうだろう。
まして人間にいたっては、言わずもがな。


子供(自他問わず)によりよい環境を提供するのは大人のつとめであり、なにが『よい』環境であるかの価値判断基準は、個々の親に委ねられるのであろう。


エゾアカガエル

2008-04-15 16:44:39 | エゾサンショウウオ
蛙のオタマジャクシはえらが無く、サンショウウオの幼生はえらがあるという両者の見分け方をするのが一般的だ。
だが、蛙はハッチアウト後は暫くの間サンショウウオのようなふさふさがある。
その後、これがなくなって、次第に頭が丸々としてきていかにもオタマジャクシという体型になる。


エゾエンゴサク

2008-04-14 06:49:18 | 自然
エゾエンゴサクが庭にぱらぱら咲き始めた。
だが群生はまた圧巻である。
近場にあるので、出かける。
崖いっぱいに白、紫、青のエゾエンゴサクが乱れ咲く。
美しいものを見ると心が浄化されるが如く感じる。

美しいものには人の心を清める作用があるのだろう。
美しさの基準は個々によりばらばらであろうが、おのおのがゆるぎない基準を抱いている事は確かだろう。
見た目だけでははかれない美しさがある。
生き方然り、考え方もまた然り。

さくらちゃん(あいがも)が今朝の散歩で庭のエンゴサク食べてしまった。
さくらちゃんの血となり肉となったのだから、まあいいか。






環境の変化

2008-04-12 08:42:29 | エゾサンショウウオ
自身が幼少時には庭にエゾリスが巣を作り、シマリスが遊び、ケラ類といえばクマゲラだった。クマゲラの漆黒を見慣れていた自分としては、時にまれにアカゲラがやってきた時等は(しかも窓から室内に)なんて派手なカラーリングのケラだ、と驚いたものだった。春には池にエゾアカガエルやエゾサンショウウオが産卵し、毎日観察していた。初夏にはオオジシギが派手なディスプレイをし、戦争でも始まったのかと子供心に不安になったものだ。夏を過ぎると、池をすくうとエゾアカガエルを両手にいっぱい堪能出来、そこかしこの岩をはぐればエゾサンショウウオの成体を堪能出来たものだ。

今は、随分と変容してしまった。
クマゲラ等はまず希だ。ほとんどアカゲラ、コゲラ、時にヤマゲラ。
シマリスがちょろちょろするのもめっきり見られなくなった。
登山時にお目見えするのが常だ。

野生生物の邪魔にならない生き方をしていきたい。
人間社会から生じた弊害は人間のみが被るべきだ。

毎日をただただ一生懸命にそれこそ命をかけて生きている美しい命達、人間の享楽や贅沢やそんな事のために、大事な種を絶やすのはあまりに理不尽だ。


そして今日も己に恥じない生き方を重ねていく。
邁進するのみ。