ホソバセダカモクメの一人目、9月12日に土に潜った子はそろそろ蛹化しているだろうという事で、今朝方、いけないとはわかりつつも、土を掘っている自分がいました。
土を掘ると最下部に土の塊が。
糸を紡いで作った繭室です。
かなり頑丈で糸が密集しております。
カイコの繭のようです。
おや、何か見えて参りましたよ。
幼虫時代最後の脱皮殻です。
蛹ちゃん、いました。
綺麗です。
繭室内壁も綺麗です。
こんなぷりぷりちゃんになりました。
来春に成虫になります。
また丁寧に作業し、繭室をつぶさないよう、土の下へと戻しました。
長年にわたり、共に生活してきたシジュウカラの流、通称りゅっちが今朝天寿を全ういたしました。
11gの小さい命です。
換羽の途中でしたのでちょっとぼそぼそですがつやつやなめんこたんでした。
人災により保護を余儀なくされまだ産毛も生え揃っていないようなひなひなのころから自宅救護していました。
45分おき位に給餌と掃除を日が昇ってから日が沈むまで繰り返していた頃が懐かしいです。
お年を召してきているというのは前から感じていたので、すんなり受け入れられました。
シジュウカラという鳥は実に様々な歌声を持っています。
通常よく知られているのはツツピー、ツツピン♪かと思います。
長年共に生活してきて感じた事ですが、彼のとても気持ちがいいときの歌声はリウリウリウ・・・♪でした。
虫の鳴き声みたいな涼やかな透き通った声です。
早朝ごはん時定位置から降りているりゅっちがいました。
「どうしたの、具合悪いの?」と聞くと、
「リウリウリウ・・・リウリウリウリウ・・・・・」といいながら私を見つめ、雛が親に対してする動作を盛んに、しかし、か弱く私に向かってし続けました。
「最期の時がとうとうきてしまったんだ」と思い、りゅっちを手に抱き小鳥のヒーターを入れ、私の手をほかほかにしました。
眠そうに目を閉じ始めうつらうつらするりゅっち。
そのうちはっと目を大きく開き、かっと口を開け一度羽ばたいて、しゅう・・・と全体の力が抜けていくのが伝わってきました。
何度体験しても慣れる事はありませんね。
覚悟はしていたので、おろおろせずどんと構えている事ができたのでそれにより僅かでもりゅっちに安心感を与える事ができていたのなら本望です。
手に乗せても重さすら感じ難いたった11gの命。
重さでははかり知れないほどの物を私に残してくれました。
りゅっちに恥じないような、りゅっちに胸を張って生きれるような毎日を今後もこつこつと積み上げて行きたいと思います。
おまけですが、りゅっちの可愛い盛りの画像です。
土を掘ると最下部に土の塊が。
糸を紡いで作った繭室です。
かなり頑丈で糸が密集しております。
カイコの繭のようです。
おや、何か見えて参りましたよ。
幼虫時代最後の脱皮殻です。
蛹ちゃん、いました。
綺麗です。
繭室内壁も綺麗です。
こんなぷりぷりちゃんになりました。
来春に成虫になります。
また丁寧に作業し、繭室をつぶさないよう、土の下へと戻しました。
長年にわたり、共に生活してきたシジュウカラの流、通称りゅっちが今朝天寿を全ういたしました。
11gの小さい命です。
換羽の途中でしたのでちょっとぼそぼそですがつやつやなめんこたんでした。
人災により保護を余儀なくされまだ産毛も生え揃っていないようなひなひなのころから自宅救護していました。
45分おき位に給餌と掃除を日が昇ってから日が沈むまで繰り返していた頃が懐かしいです。
お年を召してきているというのは前から感じていたので、すんなり受け入れられました。
シジュウカラという鳥は実に様々な歌声を持っています。
通常よく知られているのはツツピー、ツツピン♪かと思います。
長年共に生活してきて感じた事ですが、彼のとても気持ちがいいときの歌声はリウリウリウ・・・♪でした。
虫の鳴き声みたいな涼やかな透き通った声です。
早朝ごはん時定位置から降りているりゅっちがいました。
「どうしたの、具合悪いの?」と聞くと、
「リウリウリウ・・・リウリウリウリウ・・・・・」といいながら私を見つめ、雛が親に対してする動作を盛んに、しかし、か弱く私に向かってし続けました。
「最期の時がとうとうきてしまったんだ」と思い、りゅっちを手に抱き小鳥のヒーターを入れ、私の手をほかほかにしました。
眠そうに目を閉じ始めうつらうつらするりゅっち。
そのうちはっと目を大きく開き、かっと口を開け一度羽ばたいて、しゅう・・・と全体の力が抜けていくのが伝わってきました。
何度体験しても慣れる事はありませんね。
覚悟はしていたので、おろおろせずどんと構えている事ができたのでそれにより僅かでもりゅっちに安心感を与える事ができていたのなら本望です。
手に乗せても重さすら感じ難いたった11gの命。
重さでははかり知れないほどの物を私に残してくれました。
りゅっちに恥じないような、りゅっちに胸を張って生きれるような毎日を今後もこつこつと積み上げて行きたいと思います。
おまけですが、りゅっちの可愛い盛りの画像です。
エゾエンゴサクが庭にぱらぱら咲き始めた。
だが群生はまた圧巻である。
近場にあるので、出かける。
崖いっぱいに白、紫、青のエゾエンゴサクが乱れ咲く。
美しいものを見ると心が浄化されるが如く感じる。
美しいものには人の心を清める作用があるのだろう。
美しさの基準は個々によりばらばらであろうが、おのおのがゆるぎない基準を抱いている事は確かだろう。
見た目だけでははかれない美しさがある。
生き方然り、考え方もまた然り。
さくらちゃん(あいがも)が今朝の散歩で庭のエンゴサク食べてしまった。
さくらちゃんの血となり肉となったのだから、まあいいか。
だが群生はまた圧巻である。
近場にあるので、出かける。
崖いっぱいに白、紫、青のエゾエンゴサクが乱れ咲く。
美しいものを見ると心が浄化されるが如く感じる。
美しいものには人の心を清める作用があるのだろう。
美しさの基準は個々によりばらばらであろうが、おのおのがゆるぎない基準を抱いている事は確かだろう。
見た目だけでははかれない美しさがある。
生き方然り、考え方もまた然り。
さくらちゃん(あいがも)が今朝の散歩で庭のエンゴサク食べてしまった。
さくらちゃんの血となり肉となったのだから、まあいいか。
金土日と山篭りをし、つい先刻下山した。
最近はぐっと春に近づいてきていたのに、金土はかなりの冷え込みで雪模様だった。
体の心まで冷え切る中、自然の厳しさを身体に染み込ませるのは何ともここちよい。
うってかわって本日日曜日は快晴であった。
羊蹄山がくっきりとみえる。
尻別岳、昆布岳、ニセコ連峰も全てが青と白とで構成されてはっきりとその姿を現す。
自然は美しい。そして厳しい。そのどちらともが好きだ。
帰りには山菜という自然の恵みを分けていただく。
春のほろ苦さに五臓六腑が染み渡る。
最近はぐっと春に近づいてきていたのに、金土はかなりの冷え込みで雪模様だった。
体の心まで冷え切る中、自然の厳しさを身体に染み込ませるのは何ともここちよい。
うってかわって本日日曜日は快晴であった。
羊蹄山がくっきりとみえる。
尻別岳、昆布岳、ニセコ連峰も全てが青と白とで構成されてはっきりとその姿を現す。
自然は美しい。そして厳しい。そのどちらともが好きだ。
帰りには山菜という自然の恵みを分けていただく。
春のほろ苦さに五臓六腑が染み渡る。
急に冷え込んできた昨今。
毎日紅葉巡りに勤しんでいる。
月曜日の西岡水源地はもう姿を消したと思っていたトンボが多くいて嬉しい驚きだった。
条件反射的に次々にトンボを捕まえてしまう。
が、虫車はもう卒業したので、捕まえては放し、放しては捕まえ、である。
「釣った魚に餌はあげない」じゃないけど、捕まえる事に意義があるのだ。
定山渓は今時期がまさに紅葉のピークなので、火曜日雨天にもかかわらず、定山渓へ。
だが、画像を見てもわかるように、雨天でもこの美しさなのである。
今週いっぱいが見ごろらしいので、見に行っていない方は、是非。
日曜日まで、無料のカッパバスが紅葉の見所を廻ってくれているので、利用してもよいかもしれない。
定山渓ダムや小天狗岳からの景色も素晴らしい。
小天狗はハイキングコースレベルの山なのでふらりと登れる素敵な山だ。
犬や幼児連れも良いかもしれない。
本日水曜はひろっぱなので真駒内公園を散策した。
ナナカマドや桜は色付き始めているが、こちらはまだまだこれからという感じである。
今朝はクロサンショウウオがレプをぱくついてくれた。
トウキョウサンショウウオは未だ幼生。
あんた、まさか幼生のまま越冬する気かい?
室内飼育なのに失礼な・・・。
そんなに我が家は寒いのかい・・?
トチローは生後4ヶ月であるが一丁前に男性になってくれたようで、私に求愛ダンスをしてくれるようになった。
盤嶽(文鳥)のそれと違って、なんとも情熱的な踊りである。
一日何度も私を見つめ、愛を籠めた情熱ダンスを踊ってくれるのは嬉しいが、なんだかトチローに申し訳ない。
うちの生き物は、皆行き場を失ったものや環境破壊のつけがまわってきて自然界で生きていけなくなったもの、病気等で捨てられたものなので、一種一匹がほとんどだ。
だからペアにする気もないし、繁殖なんて考えてもいない。
なので必然的にみんなの求愛の相手は一緒に住んでいる私になるのだろう。
自然界なら繁殖の為だけに生きていくのかもしれないが、それを奪ってしまうのだから、申し訳ない。
と、ここでまたいつもの堂々巡りに陥るのだ。
生殖行為が出来ない、つまり自分の遺伝子を残せない状態で、ただ、延命するのって意味があるのだろうかと。
結局は私の自己満足なのではないのか。
見てみぬふりができないから、つい、自分の考えで、命を救ってしまう。
動物にとっては、その場で死に至った方が幸せではないのか。
と、今までの私は、ああだこうだと考えてしまっていたが、もう考えるのはやめるのだ。
考えて答えの出る問題なら考える価値もあろうが、答えが出ないのをわかっていつつもなお考えるのは時間の無駄かも知れない。
しかし、結果を(答えを)もとめず、思考する過程(様々な価値観を知ったり、いろいろ調べたり)をたのしむのなら、それもまたよし。
無用の用ともいうが、人生において、無駄な事等ないのであろうから。
毎日紅葉巡りに勤しんでいる。
月曜日の西岡水源地はもう姿を消したと思っていたトンボが多くいて嬉しい驚きだった。
条件反射的に次々にトンボを捕まえてしまう。
が、虫車はもう卒業したので、捕まえては放し、放しては捕まえ、である。
「釣った魚に餌はあげない」じゃないけど、捕まえる事に意義があるのだ。
定山渓は今時期がまさに紅葉のピークなので、火曜日雨天にもかかわらず、定山渓へ。
だが、画像を見てもわかるように、雨天でもこの美しさなのである。
今週いっぱいが見ごろらしいので、見に行っていない方は、是非。
日曜日まで、無料のカッパバスが紅葉の見所を廻ってくれているので、利用してもよいかもしれない。
定山渓ダムや小天狗岳からの景色も素晴らしい。
小天狗はハイキングコースレベルの山なのでふらりと登れる素敵な山だ。
犬や幼児連れも良いかもしれない。
本日水曜はひろっぱなので真駒内公園を散策した。
ナナカマドや桜は色付き始めているが、こちらはまだまだこれからという感じである。
今朝はクロサンショウウオがレプをぱくついてくれた。
トウキョウサンショウウオは未だ幼生。
あんた、まさか幼生のまま越冬する気かい?
室内飼育なのに失礼な・・・。
そんなに我が家は寒いのかい・・?
トチローは生後4ヶ月であるが一丁前に男性になってくれたようで、私に求愛ダンスをしてくれるようになった。
盤嶽(文鳥)のそれと違って、なんとも情熱的な踊りである。
一日何度も私を見つめ、愛を籠めた情熱ダンスを踊ってくれるのは嬉しいが、なんだかトチローに申し訳ない。
うちの生き物は、皆行き場を失ったものや環境破壊のつけがまわってきて自然界で生きていけなくなったもの、病気等で捨てられたものなので、一種一匹がほとんどだ。
だからペアにする気もないし、繁殖なんて考えてもいない。
なので必然的にみんなの求愛の相手は一緒に住んでいる私になるのだろう。
自然界なら繁殖の為だけに生きていくのかもしれないが、それを奪ってしまうのだから、申し訳ない。
と、ここでまたいつもの堂々巡りに陥るのだ。
生殖行為が出来ない、つまり自分の遺伝子を残せない状態で、ただ、延命するのって意味があるのだろうかと。
結局は私の自己満足なのではないのか。
見てみぬふりができないから、つい、自分の考えで、命を救ってしまう。
動物にとっては、その場で死に至った方が幸せではないのか。
と、今までの私は、ああだこうだと考えてしまっていたが、もう考えるのはやめるのだ。
考えて答えの出る問題なら考える価値もあろうが、答えが出ないのをわかっていつつもなお考えるのは時間の無駄かも知れない。
しかし、結果を(答えを)もとめず、思考する過程(様々な価値観を知ったり、いろいろ調べたり)をたのしむのなら、それもまたよし。
無用の用ともいうが、人生において、無駄な事等ないのであろうから。
山が好きである。
登るのも眺めるのも。
体力がありすぎるゆえ走って登ったりもする。
見て楽しむにはやはり富士か。
北海道には蝦夷富士と呼ばれる山がある。
これがまた美しい。
本家本元の富士は実際登ると汚さが目に付いて切なくなったりもするが、こちらの蝦夷富士は登ってよし眺めてよしなのである。
洞爺へ向かう際、中山峠という札幌市の最南端を通る。
ここからの眺めは素晴らしい。
富士と同じく、頭を雲に隠していることが多い。
晴れ渡りその荘厳たる全貌を露にしてくれている様子に偶然出くわしたとき、胸の奥から怒涛のごとく湧き上がるこの熱き情動を如何に表現すべきかその手立てさえをも失う。
土曜日車を走らせながら撮った画像。(とまって撮るべきです)
登るのも眺めるのも。
体力がありすぎるゆえ走って登ったりもする。
見て楽しむにはやはり富士か。
北海道には蝦夷富士と呼ばれる山がある。
これがまた美しい。
本家本元の富士は実際登ると汚さが目に付いて切なくなったりもするが、こちらの蝦夷富士は登ってよし眺めてよしなのである。
洞爺へ向かう際、中山峠という札幌市の最南端を通る。
ここからの眺めは素晴らしい。
富士と同じく、頭を雲に隠していることが多い。
晴れ渡りその荘厳たる全貌を露にしてくれている様子に偶然出くわしたとき、胸の奥から怒涛のごとく湧き上がるこの熱き情動を如何に表現すべきかその手立てさえをも失う。
土曜日車を走らせながら撮った画像。(とまって撮るべきです)