
日本の昔話である桃太郎に冒頭こんな一節がある。
「むかし、むかし、あるところに、おじいさんとおばあさんがありました。まいにち、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。」
では、毎日おじいさんがしば刈りにいくのはなぜか。
ここでいう「しば」とは何か。
もちろん「芝」ではなく「柴」のことだ。
「柴」は、薪のこと。
電気や灯油などない時代は、まさに近くの今でいうところの里山から薪となる灌木や落ち葉などを刈っては集めていたことだろう。
こうした生活は、少なくとも電気が家庭内まで普及する昭和20年代ぐらいまではあったはずだ。
つまり、里山から日常生活に必要なエネルギーを得ていたということになるだろう。
つまり私たちの生活と里山は切っても切り離されない関係にあったはずだ。
そのころの里山と言えば、景観もまた美しかったはずだ。
私もおぼろげながら、昭和30年代から40年代くらいまでの幼少時代の真人山のことを思い出せば美しい森林風景のある景色だったことが思い出される。
ところが、そのエネルギーが電気や灯油などに代わってからの里山はどうだろうか。
生活と密着していたはずの里山が人々の生活から離れるにしたがって、里山と関わる人は少なくなってきた。
生活の一部としてではなく、里山が一部山歩きする人や山菜・キノコ採りする人のために開かれているようになってきた
言っておくが、私はここで電気や灯油などのエネルギーをやめて以前のように薪や炭の生活に戻れといっているわけではない。
私だって電気や灯油、ガソリンの生活にどっぷり漬かっている。
今さら昭和の始めの生活に戻ろうとしても無理がある。
では、どうすべきか。
大事なことは、田舎に住みながら都市化した生活にどっぷりつかるだけでなく私たちが暮らす土地面積の半分以上を占める里山にも目を向けるということだ。
それによって、森林の公益的機能や動植物の生態系に目を向け、生活が都市化しても恩恵を受けていることをより多くの皆さんの皆さんの気づきにつながるように。
では、森林の公益的機能とは何か?
そもそも森林の持つ公益的機能は、その森林の持ち主であるか否かに関わらず、わたしたちの生活に恩恵をもたらしている。
例えばそれは、
・水源かん養機能
・土砂災害防止機能・土壌保全機能
・地球環境保全機能
・生物多様性保全機能
・快適環境形成機能
・保健・レクリェーション機能
・森林の文化機能
・物質生産機能
が考えられている。(以上、林野庁のホームページより)
自然豊かな生態系については、森林が豊かである限り保たれていくはずだ。
近年は、松枯れやナラ枯れそれにツキノワグマなど野生動物の問題は大きな問題となっている。
もはや決して他人事ではないし、熊問題はただ恐れるだけの問題にとどまらない。
なぜ、深山に棲んでいるはずの熊が街部まで出没するのか、なぜ冬眠するはずの熊が冬も街中を堂々と歩いているのか。
これは、決して熊だけの問題でないはずだ。彼らの住処に何が起きているのか関連させて考えていかねばならないだろう。
一方、里山は昔から子どもが育つ場所であったはずだ。
つまり、遊園地やゲームセンターなどなかった時代の子どもはどこで遊んだのか。
それは近くの里山であり野原であり川であったりしたはずだ。
そこで子どもたちは群れ、仲間との思いやりを育み、たくましく生きる力というものが育ったはずだ。
実際、里山をフィールドとした子ども向けの自然観察会では、自然を背景に五感を磨く場となっている。
季節ごとの香りや生き物たちの姿は、多感な子どもたちをよりいっそう感性を磨いてくれる。
共に歩く子どもたちは、危険を避けるためまた新たな発見を友だち同士でシェアしたり年上の子が年下の子に教える場となっている。
思いやりの気持ちが育まれているのだ。
また、多様な生き物とのふれあいは、どんな生き物も生きているという実感を自然に持てるようになっている。
では、他に里山が活性化できるすべはないだろうか。
実は、年配の方々とりわけ都会の方々のし好に現れる。
例えば、山行のツアーは大人気だ。
主に中高年層だが、たとえ高額なツアー料金がかかったとしても参加してくれる。
それだけ価値を認めてくれているのだ。
かくいう私もある旅行会社から湿原めぐりのツアーガイドを依頼されそうだ。
主に首都圏の客層だという。
こちらでは身近過ぎて当たり前のように見える里山や湿原であっても遠く離れた都市部の方々がその深い価値を押してくれるのだ。
つまり、里山は観光資源としても位置づけられることが可能なのだ。
すべてお金儲けの場所になることは避けたいが、観光や経済的な機能も持ち合わせているといっても良いだろう。
活動によって、都市部と里山を抱える地域との交流人口の増加にも寄与できるものと考える。
以上、現在的な里山の意義について3つの視点で私見を述べてきた。
繰り返しになるが、以上のことをまとめると以下のようになる。
①多面的な森林機能を持つ里山
②子どもたちの健全育成の場としての里山
③地域おこし・観光資源としての里山
最終的には、これらを追求していくことで、ふるさとの良さを見直す郷土愛につながるものだと確信している。
5月には、初めての試みとして、「守りたい秋田の里地里山50」助成事業による「あきた里山サミット」を開催したいと考えている。
私にしては、自分一人で頑張ろうとせず、実行委員会を結成し、開催にこぎつけたいと考えている。
いわば地域住民に対する一つの提案である。
微力ではあるが、今度はこちらからムーブメントを起こしたい。
ご協力のほどよろしくお願いいたします。


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