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人生の半分を過去に生きることがクラシック音楽好きのサダメなんでしょうか?

日本人の演奏による第九初演(1924)

2014-09-16 22:03:53 | 第九らぶ

音楽評論家の宮沢縦一(1908-2000)さんって人は、いろいろ昔の興味深いことをあちらこちらに書かれていて、勝手に注目中です。

音楽の友、1977年12月号には「日本最初の第九余談」という記事を書いてらっしゃいます。

いやしくも第九合唱シンガー!?の自分としては日本人による初の第九全曲演奏のことをいつも忘れちゃいけないと思ったのでここにメモっておきます。

その演奏とは、大正13年(1924年)11月29日と30日の二日間にわたって上野の奏楽堂においてグスタフ・クローン(Gustav Kron)指揮による日本初演のことです(12月6日に再演)。

当時受験準備中の宮沢氏は幸運にもその演奏会に聴衆のひとりとして接することができたそうです。

↑ 奏楽堂での初演の様子。(音楽の友1985年12月号より)

「上野の奏楽堂とは、そのうちなくなるときく東京芸大のあの古びた奏楽堂で、『第九』初演の独奏者は、ソプラノ長坂好子(1891-1970)、アルト曽我部(斉藤)静子、テノール沢崎定之(1889-1949)、バリトン船橋栄吉(1889-1932)で、管弦楽と合唱はもちろん上野の連中、数はそれでも二百人ほどいたのではなかったか。

 ドジョーひげのクローンのすぐ前に独奏者を配し、管弦楽のコンマスは、亡き高木卓の母で、幸田露伴の妹の安藤幸子(1878-1963)、ヴァイオリン群に、頼母木駒子(1874-1936)、末吉雄二、颯田琴次(1886-1975)、チェロに信時潔(1887-1965)、フルートに貫名美名彦(1889-?)、ファゴットに片山穎太郎(1894-1975)、トロンボーンに萩原英一(1887-1954)、ティンパニに高折宮次(1893-1963)などがいたが、後の二人がピアノの教官なのは、ご存じの人もまだおられよう。それに合唱には佐藤美子(1872-1973)が参加したようで、女声はみな和服だった。

 その『第九』の演奏の前に、ペツォルド夫人の後任のレーヴェ夫人の独唱や器楽演奏があったことなど、『第九のすべて』(武川寛海著)にも記されているが、その時の独唱がレーヴェ夫人の日本でのデビューに当っている。

 そのころ音楽関係者やファンにとって、『第九』はそれこそ神聖な存在で、古い人たちが知っている〈第九ジュムフォニー〉という名著?を出した田村寛貞などの人たちが、『第九期成同盟会』というのをつくり、さかんに気勢をあげたときく。もちろん、私自身、それに関係するような一人前の存在ではなかったから、どんなふうに気勢をあげたのか、その辺のことはくわしく知らない。

 これも後にきいたところだが、なんでも演奏者は毎週二回、半年がかりでみっちり稽古したそうである。

 とにかく、当時の人たちにとっては、異常体験であったことは事実で、野村光一氏は夢中になって仲間としゃべり歩き、その時ほど『遠路を徘徊したことはかつてない』と、後に記されている。

 私も文字通り、手に汗を握るほど感動したが、第三楽章あたりで幾分退屈したことと、金管のあぶないのと、低弦が何か冴えない感じがしたことはおぼえている。それに時折り混乱したようだったが、なにしろ熱気にあてられたようなもので、いまとはちがうから、もっともらしいことはいえない。

 ただ、小松耕輔(1884-1966)著の〈音楽の花ひらく頃―わが思い出の楽壇〉から、〈「第九のすべて」〉に引用されているところによると、その演奏について、『最も成功したのは、第三楽章の緩徐調と合唱付の終楽章とである』とのこと。私が少し退屈した所が最も成功した個所であったようだ。」



。。。さすがまじめな日本人、毎週二回、半年がかりで練習したんですね!演奏する側も聴く側も感動するはずです。金管や低弦が危うかったのはしょうがないでしょうね。ボクらのような今のチョ~アマチュアとどっちが上手だったんでしょうか?

 

(追記 2015年8月3日)

鈴木淑弘著『<第九>と日本人』(春秋社、1989年)によると日本人による第九初演は、第4楽章だけに限れば1924年(大正13年)1月26日、「九州帝国大学フィルハモニー会」(現九大フィル)が「摂政裕仁親王御成婚祝賀記念演奏会」において36人編成のオーケストラと約180人の合唱団で演奏したときのことのようです。

場所は当時福岡市内の天神にあった福岡市記念館。指揮者は九州帝国大学医学部の初代精神科教授、榊保三郎(1870-1927)。

このことは、この演奏会に第一ヴァイオリン奏者として参加した郷土史家井上精三氏によって明らかにされたということです。

。。。九大だからこそ第九の日本初演は我々で!と燃えたのかも。


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