健康楽園。

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邯鄲。

2011-07-06 | looking.
名古屋能楽堂は、名古屋城の中にあります。
戦国武将、信長 秀吉などが好んで自ら舞った能をシリーズで上演してくれています。
大学の先生の解説も付いて入場料指定席3000円というお値打設定は嬉しいです。
「邯鄲」かんたん を見ました。
なんと想像力をかき立ててくれる、広く 大きい 能かと感じ入りました。
シテ(主人公)盧性は、中国の故事から来ていますが紀元前戦国時代 蜀の国の青年です。足利時代に出来たこの「邯鄲」ですが当時は中国をとても賛美尊敬していました。
盧生は、蜀を出て、楚の国へ向かい旅に出ます。
「うき(憂、浮)世の旅に迷い来て 夢路を何時とさだめん」青年 農家 閉塞感に満ち 富出世への渇望 思い通りの自分にならない悩みを抱えています。
野をいき山に分け入り 集落をいくつか過ぎて日々を重ね、日暮れ心細くなり一夜の宿を乞います。女主人は問います。「どこから来て どこへ行くのか」
不安からの安心を得たい そのために楚国へ行くのだと、、、そして女主人から不思議な枕について述べます。
一人枕を見つめて「これは身を知る門出の 世の試みに夢の告 天の与ふる事なるべし」と呟き。
さて、盧生は眠ったのだろうか ただ横になっただけだったのか それとも生まれてからずっと眠り続けていたのではないか?
気付くと 目指す楚国の勅使が寝台の前にいます。「楚国の帝の御位を、盧生に譲り申さんとの 勅使これまで参りたり」
諸候の絶え間ない貢ぎ物 王者の権力と富を得る盧生。白銀の山を東に築き 黄金の太陽を掲げ 不動の白金の月を配した。
人としての極みを感じる盧生。しかし万民の等しく訪れる死それは王とて例外ではない。
在位50年の祝宴。不老長寿の仙薬に擬した酒を盧生は飲む。酔うほどに右肩を脱いで踊る舞は見事!!!
盧生は 人として果たし得なかった夢 不老不死をとうとう手に入れました。
仙界という異次元を表す、この場面は、まさにSFです。
「日はまた出て明けくなり 夜かと思えば昼になり 昼かと思えば月またさやけし 春の花咲けば紅葉も色濃く 夏かと思えば雪も降りて 四季折々は目の前にて 春夏秋冬満木千草も一日に花咲けり おもしろや不思議やな」
 盧生の第一声は「何時までぞ!」
酒の酔いは醒める時が来る。夢は 眠りは覚まされる時が来る。
盧生の一睡は、宿屋の女主人が盧生のために栗の飯を炊くと入った 栗飯の炊けるまでの一炊の間でした。
楽音は消え 臣下は去り 女主人も消えてしまっている。
50年の最高の権力と財力とても生きてみれば それは一場の夢に過ぎない。邯鄲の枕での一睡の夢は、栗飯の一炊の間に過ぎなかった。華やかなものに執着する無意味さ いかなる生であろうと この世は夢であると開き直った時点で得られる安心。
迷いの境地から離れるのに たとえそれが邯鄲の枕であろうと 人に頼ろうとした自分の愚かさを悟ります。
夢という大きく広い現実の中のいまひとつの世界に入った時 現実という今ひとつの夢に目覚めたのです。
その機縁となった邯鄲の枕はありがたいものだと、盧生はこの世に蘇り、ひとり橋懸かりから去ります。
能は終わります。

さて、残された観客は、何を感じ取るんだろう?????
わたしたち人間は生物体としては、たかだか80年の生しか無いけれど、この邯鄲といい紀元前の故事を紀元とするように、脳内で想像する、予測 考えることは、時空を越えた桁外れの長さ 大きさ 広さ の経験をすることができます。
私は、この能を観て 一刻一刻 一日一日を 大切に生きよ!!!
という、メッセージと受け取りました。


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