いっぷくしょまいかいね

いっぷくしてから それからまた やろまいかいね

八尾石仏めぐり 序

2014年01月16日 | 富山

富山市八尾町の旧町は信仰心の篤い地域である。
なぜなら東西約2㎞の細長いこの町の中に、神社仏閣が数多く存在するからである。

住宅地図を開いてそれらを数えると、おおよそ次の通りとなろう。

天満町 : 天満宮
下新町 : 八幡社・真容寺
今  町 : 聞名寺・浄円寺
西  町 : 宝幢寺金比羅堂・宗禅寺・宗禅寺天満宮
東  町 : 法林寺・常松寺
鏡  町 : 観音寺
上新町 : 祐教寺
諏訪町 : 修道寺・諏訪社・専能寺
東新町 : 若宮八幡社(蚕養宮)


このように断定的な表現を用いると、神社の氏子はともかく、お寺の信徒は旧町内の住人のみとは限られたわけではない。
ゆえにただ数のみを以て旧町住民の信仰心云々を語るのはおかしい、と反論されそうである。

ではここで手元にある『八尾町史』(昭和42年8月発行)の「神社と寺院」の項を見てみよう。
そこには各寺院の名称や成立年代、本尊などの記述があるが、その中で信徒数にも触れられている。
が、驚くべき事にその数10人や20人位、というお寺が複数あるのだ。
この数だけを見れば近郷近在から信徒が集まってきている、とはとても思えない。
3人家族の檀家を単位にして考えれば、僅かに6~7軒相当の、まさに向こう三軒両隣の隣組レベルであり、事実その隣組でお寺が成立している、としか考えようのない規模である。

更に驚くべきは、誠に失礼ながらそれだけの信徒数のお寺が町史発刊後45年以上経過した現在も存続しているという事実である。
45年の間には人口の増加に伴う信徒数の増加もみたかもしれないが、過疎化・高齢化が進行している地方の現状に鑑みれば、今のそれは45年前の数を維持できていれば良し、と思わなければならないだろう。

当然それだけの信徒でお寺を支えきれるものではない。
きっと住職は平日昼間は会社に勤め、兼業農家ならぬ兼業寺院の住職として人並み以上の苦労を以てお寺を維持しているのだ。
こうなれば意地もある。

「ひとりでもお客さんが来てくれる間は、絶対店は閉めねぇ」

というがんこ親父のように、

「ひとりでも信徒の方がいらっしゃる間は、絶対寺は閉めねぇ」

というがんこ住職が、今日も鉢巻きを締めて本堂に座っているに違いない。

コメント (2)
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