旅と酒とバッグに文庫本

人生3分の2が過ぎた。気持ちだけは若い...

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カブは頼もしい奴

2011年09月13日 | 



さて、真夏の旅からちょうど1ヶ月という月日が経った。
8月の今頃、僕は身近島を出て、遥か北九州の我が家まで、一目散に駆けて行った。
愛車のカブは、一度も故障することも無く、リッター60キロという驚異的な燃費でもって、
お金の無い僕の懐を暖かくしてくれたのだった。
その代わりといっては何だが、太股の汗疹と強烈な日焼けが僕を待っていた。

身近島では、時間が許されるならもう2,3日は滞在したかった。
ここのキャンプ場は非常にユニークな存在で、キャンパーの経歴が並大抵のものではない方が多い。
昨年ここで会った方もそうだったし、今年出会った方も旅の達人のような方だった。
ここには多くの野宿遍路や日本全国を旅している強者が集まるようだ。

昨夕、掃除に来られた管理人の年配の方と僕と先人(A氏としておく)の方とでしばらく雑談した。
もう、1週間はここに居るというAは、四国での遍路を何度かやっており、若い時から
家庭も職も持たず、ずっと全国を放浪して廻っているらしかった。

「彼女とはどこで知り合ったんですか?」
「以前、四国でお遍路やってる時に、偶然出会ったんです。彼女、若いのに一人で危険な遍路道を歩いていたし
あちこちで、野宿なんかして廻っていたので、気をつけないと危ないよと注意したのが切っ掛けなんです」
「じゃ、それからずっと一緒に?」
「いや、そうじゃなくて、その時は一緒に廻ったんですが、彼女は名古屋で介護の仕事をしているんで
僕が四国や彼女の近くにいった時に、遊びに来ないかと連絡したりするんですよ」
「じゃ、今回も名古屋から?」
「ええ、昨日来たばかりなんです。一人でお遍路やってたくらいだから、肝が据わってるのかと思ってましたが
テントで寝るなんてほとんど経験がないみたいで、昨日も虫が出て大騒ぎでした」

彼女は無口で、たまに愛想笑いするくらいで、ほとんど会話には加わらなかった。

「今回もお遍路で?」
「いや、今回は何となく四国を廻っているんですが…。もうかれこれ、2,3回全部の寺を廻りましたしね…」
「えーっ、ずっと歩きですか?」
「ええ、お金もないし車も持ってないので歩きです。でも結構お接待で皆さん良くしてくれますし、ご飯をご馳走になったり
アルバイトの世話をしてくださっりで、まったく不自由は感じませんね」
「失礼ですが、今おいくつなんですか?」
「53歳になります」
「もう若いときからずっとこんな生活を?」
「ええ、若いときはずいぶん悩みもしましたし、将来のことを考えると憂鬱になったりもしましたが
あっという間ですよ、本当に。でもこの歳まで来ると、なんだか楽観的になってきました」
「彼女とは、一緒にならないのですか?」
「まさか?、収入も無いのに結婚なんかできませんよ。僕は今のままで充分です」
「でも、女性の方は、そうはいかないでしょう?」
「いや、今のところですが、こうして時々会って、一緒に旅したりする生活に満足してるみたいですけどね。
結構、介護の仕事はハードなんで、時々こうして息抜きにくるんですよ」

二人は、とても仲睦まじく食事をしている。
時々会話する声が聞こえるくらいで、悠長な時が流れる。
ワンセグでテレビを観て、一緒に笑ったり…。
他愛も無い会話が時々、僕の耳に届く。
男と女の情的な関係がほとんど感じられない。
まるで、茶の間で過ごしている日常のような光景だ。

「四国以外はどちらへ?」
「日本全国です。北海道から沖縄まで。夏は北海道に居て、寒くなる前に南下して、冬には暖かい石垣島まで行きます。
定期的に、アルバイトの農作業が決まっているんで、沖縄と北海道は、まあ働きに行くようなもんですけどね」
「あっ、その話聞いたことがあります。けっこうそうして日本国中旅している人が多いとか…」
「ええ、会わせる顔は決まっていますね、だいたい…」
「ずっと歩きなんですか?」
「いや、鉄道やバスも使いますよ。お金があるときは旅して、無くなると途中でも働いて…。けっこう知り合いが多くなって
色んなところで泊めてもらったりもします。四国の遍路で覚えた般若心経で、托鉢なんかもしますけど
けっこうそれで生きてゆけますよ。田舎は特に情が厚いですからね。」

管理人のおじさんも愛想よく、彼らに米などを提供してくれたそうだ。
そうか、こういう生き方もあったのか。
だけど、その生き方を実践している人とこうして出会ったのは初めてだが
まったく貧乏臭くない。
顔に悲壮感や屈辱感がないのがいい。
人は、ある決意とともに、こんなにも自由に生きて行けるんだと思うと、思わず唸ってしまう。
僕の今までの人生は一体全体、何だったのだろうと。

彼との話は尽きない。
このまま、ずっとここに居て、目の前のうみで泳いだり、隣の島まで買い物に行ったり、そして彼と話たしたい。
しかし、現の事実が目に浮かぶ。
盆の墓参りや、遣り残した仕事、カミさんのこと等々…。
いまの僕は、やはりまだ帰らなければならないのだ。
いろんなことを捨て去るには、いろんなことを曖昧にはできない。
きちんと決着を着けなければならないのだ。
いや、もしかするとそれは邪道なのかもしれない。
捨てるということは、惜しげもなく捨て去ることなのだから、とも思う。
煩悩は尽きない。
近いうちに、僕も歩きの遍路をやってみることにしよう。突然そう思ったりもする。
中田氏は無事、今回のお遍路を貫徹しただろうか?

ふと、知り合いのH氏がくれた古い映画のDVDを思った。
「旅の重さ」、若き高橋洋子氏が主演した懐かしい映画である。
四国のお遍路をやりながら、母親から自立する少女像の内容だったように思う。
吉田拓郎の「今日までそして明日から」が主題歌に採用されていた。
「あのころは良かったなあ~」的な懐かしさがこみ上がる。

さて、いろんな想いを振り切るように僕は、彼らに別れを告げ、カブのスターターをキックする。
いつものように、快調なエンジン音。
彼らの、この関係がいつまでも続くことを祈りながら、走り出す。

途中、大島で、昨日キャンプ場に居た年配の野宿者が歩いているのを見かける。

「昨日はよく眠れましたか?」
「あっ、おはようございます。きのうはどうもありがとうございました。」
「いえいえ、大したこともできませんで。お遍路さんですか?」
「いえ、私は歩いてしまなみを旅しています」
「そうですか、お気をつけて」

旅の形はいろいろである。


朝の「しまなみ」は思ったよりも、通勤のバイクが多い。
絵に描いたような晴天の空の下、朝の涼しい海の空気を感じながら大島を抜け、今治へと走る。
国道196号線。海岸沿いの道路は快適で、いくつかの海水浴場や漁師町を抜ける。
しかし、海岸沿いの道を抜けると、通勤の渋滞が始まる。
朝の通勤時間帯の町を走ることほど嫌なものは無い。
渋滞と喧騒。まったく気分が滅入る。しかも暑くなる。
松山まで、たっぷり2時間は掛かった。
松山から伊予まで56号線。
ここも車が多く、しかも車線が多いので、原付にとっては苦手な道だ。
しかし、あとしばらくの辛抱。伊予まで走ると、海沿いの378号線に入ることになる。
僕は、56号線は使わずに、海沿いの378号線を選択し、三崎港まで走ることにしたのだ。
少し遠回りに思うが、片側1車線の海沿いの道の魅力は捨てきれない。

思ったとおり、378号線は今まで走った四国の道の中では僕は一番推奨する。
交通量も少なく、景色が良く、瀬戸内の風光明媚な光景に思わず見とれてしまう。
この道路は「夕やけ子やけライン」と呼ばれている。

大洲市に入り、しばらく行くと、「じゃこ天」の幟旗が目立つ。
そういえば、小腹が空いてきたので、おやつがわりに食べることにする。
時間も11時半過ぎ。身近島を出てから4時間半も走り続けている。



小さな倉庫のようなところで「じゃこ天」を売っていたので入って行く。

「こんにちは。じゃこ天をください」
「はい、何枚ですか?」
「う~ん、2枚くらいでいいかな?」
「はい、まいど、ありがとう。200円です」
「ここで食べてもいいですか?」
「ああ、いいよ」

狭い店内の小さな丸イスに腰掛けて、その場で食べる。

「美味いですね、これは。僕はもともと練り物は好きなんだけど、これは美味い」
「美味いじゃろ、水飲むかい?」

と、冷たい水を冷蔵庫から出してくれる。
70才過ぎくらいのご老人が一人でじゃこ天を揚げている。

「ああ、どうも。ところでこのじゃこ天っていうのは、ちりめんじゃこが 入っているんですか?」
「みんなそう言う人が多いね。じゃこってえのは雑魚のことだよ。ざつぎょと描いて雑魚。そこからじゃこ天なんじゃよ。
わしは昔、漁師やっててな、ほじゃから自分でよう作っとったよ。いろんな小魚でな。
わしんところのは、アジ、イワシ、メンボウ、ヒイラギ、太刀魚、いろんなものが入っとる。」
「ああ、だから味に深みがあるんですね。いや~本当に美味いっすよ」
「これ食べてみ。揚げ立ちやから美味いで。なあ、美味いやろ、揚げ立ちは」
「熱っ、いや~最高」
「ほれ、もう1枚。金はいらんから食べなさい」
「いや~、いいんですかね?」

ということで、計4枚も食べてしまった。
その間にも大口の注文が入り、忙しそうだったが、僕のことを気に入ったのか
女性の好みのことや、漁師をやってた頃の事などお構い無しに話し、
僕がカブに乗って北九州から来たことなど告げると

「小倉な?わし、よう競馬場に通ったな昔は」
「あっ、家は競馬場のすぐ近くですよ」
と言うと、また、ただでじゃこ天をくれそうになったので、丁重にお断りした。
これ以上食うと、お昼が食えなくなってしまう。

「さっき、ここ居ったやろ、よう太った女子が。あれがわしの母ちゃん。やっぱり女は少し太ったのがええなあ」

と、自分の嫁さん自慢なんかしたりして、とても気さくなご老人。

「少しじゃないな、ビヤ樽やな、今は。昔はええ女子じゃったがなあ~」



僕は噴き出しそうになりながら、2枚分200円を払って、丁寧にお礼を言い
また来た時には寄るので、いつまでも元気で商売するようにと願った。

八幡浜近くまで来ると、今度は「佐多岬メロディーライン」の197号線を走る。
ここから三崎港までは、一直線である。
今回の四国の旅の初めに走った道である。
実は、旅の終わりに三崎で美味い魚でも食べようと思っていたのだが
じゃこ天4枚で、お腹は満腹。
このままじゃ、何も食えないなと、どこかに寄り道を考える。



伊方町。
そういえば、今話題の原発、しかも四国唯一の原発がこの伊方町にある。
メロディーラインの途中で、伊方町の表示。
僕は、そこを行き過ぎて、ふと我に返ったようにカブをUターンさせ、伊方町の街中に入って行く。
四国の小さな地方漁師町に似つかわしくないような立派な役所や周りに居並ぶ、きれいな民宿。
官舎なのか町営住宅なのか、真新しい瀟洒なコンクリート住宅が立ち並ぶ。
こいつが原発マネーの力なのか、と思う。
ネットで見聞きしたとおりの街の景観。
小さな漁村が点在するしかないこの岬に、ここだけはちよっと異様な感じがする。

街中に入ると、その居住まいは寂れた地方の漁師町そのもの。
僕はお目当てのJAショップを探し、JAのみかんジュースをお土産に購入する。
本当は沢山買って皆さんにお配りしたいところだが、重いので3本にする。
つぶ入りのみかんジュースは1ダース単位でしか販売してなかったが
人の良いショップのおばさんが、特別に分けてくれた。
この町は、地方にある町の例に漏れず疲弊しているのだが、そこに住む人は素朴で人が良い。

何か、ちぐはぐな感じの伊方町を出て、三崎港に向かう。









途中、「伊方原発ビジターセンター」という看板を見つけたので行って見ることにする。
ビジターセンターというからには誰でも入れるのだろうと勝手に想像し
もし断られれば、その理由を問いただすべしと、ズカズカと入ってみると
そこはやはり名前の通り、誰もが訪れることのできる原発宣伝の施設。
受付嬢は愛想よく、美人ばかりで、パンフレットや団扇までくれる。
よくもまあ、この狭い町でこれだけの美人ばかり集めてきたものだと感心するほどの器量良しばかり。
館内は節電どころか、冷房が良く効いており、天国のような涼しさ。
しかし、展示している内容は全くの子供騙し。
あまりに観るものなく、退屈なので、子供たちは机で勉強しており
付き添いの保護者はソファーで昼寝の真っ最中。
よくもまあ、お金を掛けてこんな施設を作ったものだと感心するというか呆れる。
僕はこういった施設に来るといつも思うのだが、賛美、宣伝することばかりでなく
反対の見方なども情報を開示し、様々な方向からそのことの本質を考えさせるようにしたほうが効果的なのだ。
でなければ、こんな施設を作るよりも、原発そのものを見学させてくれたほうが良い。
見識の浅さを露呈するような施設なんか作ると、自らの下らなさを開示しているようなものである。
それともなにかい?そうまでして隠しおきたい事実でもあるのかい?
早々にここを後にする。実に下らなかった。

三崎港には13時ごろ到着。
今日の昼飯は豪勢に刺身のオンパレードで美味い潮汁など飲みながら食事をしてやろうと思っていたのだが
例のじゃこ天がお腹に効いており、仕方なく港近くの店で「うに丼」を頼む。
それでも昼食に2000円は僕にとって大判振る舞いなのである。
可も無く不可も無く、うに丼は美味かったが、美味いのは当たり前で



港町で2000円払って不味いうに丼でも食わされた日にゃ、店の看板でも蹴飛ばしてやりたくなるだろう。
もう少し腹を減らしてくるか、もうちょっと店を探してみればよかったと思った。

14時30分のフェリーで佐賀関に渡ることにする。
いよいよ四国ともお別れである。

三崎港を出ると、無数の風力発電の風車が目に付く。
まるで見せかけのような自然エネルギーの利用。
その下には四国の電力の80%を賄うという原発が延々と稼動しているのだ。
もしこの原発に異常が生じれば、対岸の九州も何もなかったでは済むまい。

15時40分過ぎ、少し遅れて佐賀関に到着。
いよいよ我が九州に帰り着いた。
ここまででも今日は130~40キロくらい走ってきただろう。
これから北九州まであと140キロ以上あるだろう。
合計すると1日で300キロ近くになる。
ただ、九州に来ると、勝手知ったる道で、不安感は無い。
あとは体力勝負である。

大分を経て別府に近づくころには、そろそろ夕方のラッシュが始まる。
しかもまた雨が降り始め、大粒の雨になってきたので別府の街の歩道橋の下でレインコートを引っ張り出す。

走れば走るほどに北九州に近づく。
雨のせいで、宇佐に着くころには暗くなり始める。
いつものように鰻の「志おや」で旅の最後を締めくくる食事を摂る。
うな重、松を注文する。
四万十の天然鰻とは全く違ったホクホクの食感。濃いタレの味。
やはり慣れた味は美味い。2000円。
今日は昼飯と晩飯で4000円か、大名旅行だな、これは…。

中津のガソリンスタンドで最後の給油。
スタンドのお兄ちゃん曰く
「このカブで今から小倉まで帰るんですか?」と、呆れたように聞いてきたので
「うん、今日は四国の今治からここまで走ってきたんだよ」
「ふぇー、本当ですか?」

途中、何度かトイレ休憩を取り、夜10時半頃我家に着く。
我家には博多から娘も帰ってきており、久しぶりの対面。
走行距離1300キロの今年の四国の旅は終わった。
カブはなんて頼もしい奴なんだろう。
旅のお供には最適である。

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