神社のある風景

山里の神社を中心に、歴史や建築等からの観点ではなく、風景という視点で巡ります。

丹倉神社

2019年06月02日 | 三重県

三重県熊野市育生町赤倉

以前、熊野市にある雨滝を紹介したことがあるが、その記事で、この丹倉神社のことにも触れている。
訪れるのは二回目で、掲載するのは初めてになる。
二回目と言っても、前回は2008年だったから十年以上も前だ。
以前は「知る人ぞ知る」といった感じの神社であったが、最近は結構知られてきているようで、グーグルマップにクチコミも載っている。
神社前の道は狭く、かなり離れたところに駐車して歩いた記憶があるが、今は軽自動車二台分ほどの駐車スペースが設けられている。
そういった変化はあるものの、神社自体は変わらず、原始の信仰を思わせる佇まいのままだ。



車道横に立つ、白い鳥居をくぐって石段を下りる。
開けた場所に出ると、その先にある巨岩が目に入る。



社殿は無い。
が、これも神社の在り方の一つであるし、ここにはそれが相応しい。



熊野の海岸で見られるような白い石が置かれている。
南紀の神社ではよく目にする光景だ。



周りが単純な杉林なのが少し残念だが、遠い過去に想いを馳せられる場所である。



さて、ここまで来たからには雨滝にも寄っておこう。



ここも雨後のせいか、水量は普段の倍以上はありそうで、豪快な音を辺りに響かせていた。



ただ、もう夕暮れ時で薄暗くなっており、水飛沫が飛び散る様は撮れない。



足を濡らさずに対岸に渡るのは出来そうもないし、滝壺に近付くのは断念する。



と、ここでT君が足を滑らし尻餅をつく。
尻ポケットにスマホを入れていたようで、まるで弾丸でも受けたかのような放射状のヒビが背面に見事に入る。
買い替えて10日ほどだったらしく、大いに凹む。
彼はあまり写真を撮らない人だが、それでもいつも一、二枚は撮るのに撮ろうとしない。
スマホはヒビが入ったとはいえ、動作は正常だし、画面自体は割れていないから、「撮らへんの?」と聞くと、「写真を見るたびこのこと思い出しそうなんでいいっす」と言う。
何となく、連れて来た私は罪悪感を感じた。


撮影日時 190502 丹倉神社17時25分~17時40分 雨滝17時55分~18時5分
地図 丹倉神社 雨滝


嶋津の森

2019年05月26日 | その他

和歌山県新宮市熊野川町嶋津

今回の南紀行きの計画を立てるまで、全く知らなかった場所だ。
ここのすぐ近くに木津呂という集落があって、湾曲して流れる北山川に挟まれ、まるで島か半島のように見える風景が有名になっている。
その木津呂に行こうかと色々検索していて、この嶋津の森を見つけた。
嶋津は奈良県の十津川村と、三重県の熊野市に囲まれた、新宮市の飛び地でもあり、地図的にも面白い場所だ。
ただ、嶋津の森は、北山川の中州に形成されたという珍しさはあるものの、さして珍しい植物があるようでもないし、巨木があるというわけでもない。
目的は、この森の中を通っている筏師の道である。

国道311号線から逸れて、嶋津集落への狭い道に入る。
車道の終点に集落があって、ここに日本一小さいと言われる観光協会がある。
人口12人。
観光協会のホームページには、「人が気軽に来て、遊べる場所。ただそれだけでいい。人の記憶に残していけば、この地域は残っていく。そういう思いで活動しています」と書かれていて、来訪者に地域のガイドなどをされているようだ。



集落には駐車出来そうになかったので、行き止まりであろう車道の奥に進むと、北山川の広い河原に出た。
ゴールデンウィークということもあって、他にも何台もの車が止まっている。
一台、スタックしている車があったから、起伏の大きいところは注意した方がいい。
嶋津の森は中州にあると言っても、普段は集落側の方は水が流れておらず、だだっ広い河原が広がっている状態だ。
筏師の道の入り口がどこにあるか判らないので、森に沿って歩くが見つからない。
見つからないまま、北山川の流れが見えるところまで来た。



それにしても、対岸の、針葉樹がほぼ見当たらない緑の豊かさ。

さて、今度はもう少し林縁に入って歩くことにする。
そもそも河原は石だらけでひどく歩きにくい。



すると、森の中に入っていく小道が見つかった。
これは森の外からでは見つからないだろう。
他にも何ヶ所か入り口があるようだが、私が見た範囲では案内板のようなものは無かった。



森の外縁は豊かな常緑広葉樹で覆われているように見えたが、中に入ってみると単純な杉林で少しつまらない。



ただ、この苔生した筏師の道は魅力的である。
筏師の道とは、かつて流域で伐採された木材を筏で新宮まで運んだ際、筏を操る筏師が上流の自宅へと歩いて戻るために作られた道である。
だから嶋津にだけあるわけではなく、どちらかと言えばメインは北山村であり、北山村観光サイトを見ると、「筏師の道ウォーキングマップ」なども載っている。
通して歩けば面白そうだが、もちろんそんな気力も体力も無いので、この苔生した道に惹かれ、嶋津を選んだ。



写真を撮っていると、3、4人の方と擦れ違った。
挨拶を交わすと、先述の嶋津観光協会の方々であった。
と言っても、人口12人だから、住民全員が協会員の可能性はあるが。
「苔とか採らないでくださいね」と言われたのは心外であったが、悪さをする人が多いのだろうか。



ここは早朝や雨の日などに撮影すれば、面白い写真が撮れそうだ。
光線状態は悪く、撮影は厳しかった。



似たような写真ばかりになってしまったし、ここだけを目的に行くようなところでも無いだろうが、ちょっと立ち寄るにはいいところだ。


撮影日時 190502 16時~16時20分
地図


清納の滝

2019年05月18日 | 滝・渓谷

奈良県吉野郡十津川村小川

高尾谷からは来た道を少し戻り、国道425号線に入って大峰山脈を越える。
この辺りの大峰山脈は、北部に比べてだいぶ標高が下がっているが、それでも近畿の屋根と言われる山脈だから、カーブの連続する長い道のりである。
芦廼瀬川に沿うようになって暫くで、右から大野川が合流する。
芦廼瀬川ほどではないが大野川も大きな谷川で、普通の山地であれば本流といっていい規模がある。
大野川の橋を渡ってすぐの国道沿いに広場があるので、そこに駐車する。
大野川沿いの林道に入り、すぐに行き止まり。
ここに車を駐車してもいいだろう。
そこからは僅かな距離で清納の滝で、極めてお手軽に見られる滝である。



林道から樹林の中の斜面を下ると、地響きを伴うような轟音が響き、眼前が一気に開けて滝が現れる。
普段は上流で発電用に取水されているらしく、やや惨めな姿のこともあるようだが、今日は雨後なので豪快だ。



周囲のスケールが大きいので滝は低く見えるが、落差は15メートル以上あるだろう。
滝壺はまさにプールで、25メートルプールくらいはありそうだ。



ただ、ここは以前、瀬野滝(瀬野の滝)と呼んでいたはずで、いつから清納の滝と言うようになったのだろうか?
何となく、「せの」の音にイメージが良さそうな漢字を当てはめただけのような…。
もしかしたら何か謂れがあるのかも知れないが、改名のお蔭かどうか、最近は訪れる人も多くなったようで、三組ほどの家族連れが遊んでいる。
夏など水遊びに最高だろう。



ただ、この滝は水に濡れない限り、ほぼ正面からしか撮れない。
豪快で楽しいところであるが、撮影としては面白味に欠ける。
幸い、日差しが強く明るかったので、高速シャッターで変化はつけられた。



T君が、滝に打たれてみたいですね、などと言うが、首の骨が折れるんじゃないかと思えるほどの水勢だ。



撮影はともかく、気持ちの良い場所であるし、こんなに豪快な滝を見るのも珍しいので楽しめた。


撮影日時 190502 13時10分~13時30分
地図


高尾谷

2019年05月12日 | その他

三重県熊野市五郷町桃崎


記事のタイトルからすると、どこかの渓谷歩きでもしたのかと思われそうだがそうではなく、高尾谷にある三か所の場所を纏めて掲載するのでこのタイトルとした。
ことのきっかけは、グーグルマップで熊野市五郷町辺りを見ていたときのことである。
地図上に、「水神」と書かれた場所があって、クリックすると、道路脇の小さな池のようなところに、綺麗な水が湛えられた写真が表示された。
湧水池のように見えるし、ちょっと興味をそそられたが、「クチコミ」は無かった。
最近のグーグルマップはこんな風に、相当辺鄙な場所にある名所とも言えないところにも、誰かのクチコミや写真が投稿されていて、情報収集には大いに役立つし、びっくりするくらい小さな神社にも書き込みがあったりする。
ただ、もう少しちゃんとした記事や写真が見てみたいと思ったので検索をしてみると、出てきたのはその水神ではなく、少し離れたところにある別の水神であった。
それがこの高尾谷にあるものだったのだが、これに紐付いて他に二ヶ所の場所の記事を目にすることになり、これは行ってみたいとなったのである。

いつものようにT君の車で出掛ける。
三回連続の南紀行きであるが、彼は行き先の希望を口にすることはあっても、不平や不満を言うことはない。
どこへ行っても、それはそれで楽しいと思っているようであるし、そもそも、私と出掛けるような場所は、他の友人と出掛ける場合には、まず行かないようなところらしいので(まあ当然そうだろうと思う)、私に任せるといった感じになる。

七色ダム湖に沿った国道から外れ、高尾谷の林道に入る。
しばらくで道路の右側が広場になっているところがあるので、そこに駐車。
道路の左側は何となく荒れた雰囲気があって、何やら門柱のようなものが立っている。
そこには「高尾遊園地」と書かれており、ここがかつてレジャー施設であったことを教えてくれる。
三か所のうちの一つが、この「高尾遊園地」跡で、廃墟マニアの間では知っている人も多いようだ。
それはともかく、ここは一般的な遊園地の概念からは程遠いし、そもそもこんな山奥の谷間に作ること自体、理解しがたいのであるが、マス釣り場や天然プールといったものがあったらしい。


林道から谷川へと降りていく小道を辿り、橋を渡るとこんな場所に出る。
いったいどれほど賑わったのかは判らないが、山中には意外なほどの施設が、どこか虚ろな空気を湛えていた。



いつ閉園になったかなどの情報は見つからなかった。
放置された車の屋根は、錆びて完全に抜け落ちており、鉄がここまで朽ちるのかと驚く。



春の終わりの、やや強い日差しのせいか、不気味さはあまり感じなかったが、侘しさみたいなものは感じる。
現役だった頃の写真はネットでは見つからないが、熊野市周辺に住む人の中には、当時の写真を持っている人がいるかも知れないと思うと、見てみたい気がした。



実は水神はこの園内にあって、先ほどまでの写真のすぐ近くにあるのだが、まずは上流に進む。
天然プールというのはこの辺りにあったのだろうか。
新緑が眩しく、夏ならば気持ち良さそうだ。



ここより上流には、一、二軒の民家があるようだが、水は清く、新緑を映して輝く。



下流へと戻って、水神の鳥居へ。



流れの向こうに祠がある。
やどかし水神と呼ばれているらしく、最初は「やどかし」とは何のことだろうと思った。



祠のそば、岩の上には大木があって、かつては熊野市の天然記念物であったらしい。
岩の上には二十種類ほどの植物が生育しているらしく、なるほど、それで「宿貸し」か、と合点がいった。
ただ、なぜ天然記念物の指定が取り消されたのかは判らない。



判らないけれど、私はこの木と岩が気に入ってしまった。



命の宿る場所。
そんな風に思えたのだ。



高尾遊園地を後にして、林道の終点まで進む。
終点は広場になっており、そこから先に続く小道の奥には鳥居が見える。
五郷町桃崎集落にある桃源寺の奥の宮、太郎坊権現である。



鳥居の先には驚くほど深い参道が続いている。
日差しのせいでコントラストが強く、その深さを写真で撮ることは出来ないが、早朝や曇りの日であれば、幽玄とも思える気配が感じられる場所であろうことは判る。
藤であろうか?
捩じれた幹には注連縄が掛かっており、どういうわけか、鈴が幾つもぶら下がっている。



参道の脇の地面には沢山の長い楊枝が突き刺されており、白い紙に「18歳男」などと書かれている。
千本幟と言われているらしく、まだ新しいものも多くあって、信仰の篤さが窺える。



長い石段の先には小さな広場があって、新緑が空を覆っていた。



ここが太郎坊権現で、瑞垣の内側は女人禁制となっている。
緑深く、木漏れ日が戯れるようなところで、またしても熊野の信仰の奥深さを感じる場所であった。


撮影日時 190502 10時20分~11時45分
地図  やどかし水神 太郎坊権現


雑多な写真

2019年05月05日 | その他

一枚岩の後も何ヶ所か立ち寄ったが、どれも一つの記事にするには弱い気がするので纏めて掲載。
まずは神水瀑。



以前から見たかった滝だが、もっと緑濃い時期に来るべきだった。



滝自体は大きくないが、ひっそりと神秘的な雰囲気はある。



水は古座川流域らしい、微かに青みを帯びた色。



苔やシダが水際まで賑やかなのも南紀らしい。



神水瀑 和歌山県東牟婁郡古座川町一雨
撮影日時 190329 15時~15時10分
地図


古座川流域から外れ、太田川流域に入る。
実はこの日、一番の目的地は太田川に架かる吊り橋で、過去に2回撮影しているのだが、どちらも微妙に桜の満開を外していた。
そこは吊り橋の対岸に桜があって、夕方前くらいに西日が当たって輝く位置にある。
時間的にはちょうど良かったが、桜は3分咲きにもなっておらず、吊り橋は修繕されて少し味気ないものになっていた。
撮影は諦め、少し上流にある廃校に行った。



木造校舎の廃校も、緑いっぱいの時期に撮りたかったし、欲を言えば青空をバックにしたかった。



この時間帯だと、ノスタルジーとか木の温もりよりも、どこかうら寂しい感じになってしまう。



こういった廃校について調べていると、皆さん内部の写真を掲載されていることが多い。
私も撮りたいと思うが、なかなか判断の難しいところではある。
基本的に、施錠されていたり立ち入り禁止などの注意書きがあれば、中に入ることは不法侵入に当たる。
施錠されていなくても、軽犯罪法違反になる可能性がある。
だが、全く管理されておらず、立ち入りを拒むような措置が何ら取られていないケースなどは判断が難しい。
実際、そういった廃校は見てきたし、私も撮影したことはあるが、相当以前に撮ったものでないと掲載は躊躇われる(時効は3年らしい)。
軽犯罪法第一条には、「人が住んでおらず、且つ、看守していない邸宅、建物又は船舶の内に正当な理由なくひそんでいた者」と書かれている。
「ひそんでいた者」の解釈に困るところだが、「人目につかないように身を隠す」と考えていいらしく、であれば、公然と立ち入れば問題ないのか、という話になる。
要は、ホームレスが住み着くことや、犯罪にかかわる者の隠れ家的な用途、不良などが屯することを防ぐ狙いがある条文のように思えるがどうなのだろう。

ここは施錠されていたが、ガラスや壁が破れているところがあって、入ろうと思えば入れるが、明らかにアウトである。
とはいえ、細かいことを言い出せば、校庭に入ることもアウトの可能性がある。
門扉は閉まっていない、ロープも張られておらず、立ち入り禁止の看板等も無いことを判断基準にしているが……。



地形的には広い谷間にあって、あまり安全な場所とは言い難い。
平坦地の無い山間部では仕方ないのであろうが、大雨のときなどは不安である。
実際、右側に見える校舎の背後は、押し流されてきた土砂で埋まっていた。



校庭から見える風景は穏やかで、子供達の歓声が響いていた時代があったことなど嘘みたいに静かであった。

那智勝浦町立出合小学校 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町小匠
撮影日時 190329 16時5分~16時55分
地図


時間は17時になったが、辛うじてもう1ヶ所くらいは撮影できそうだ。
ということで、観光客がほぼ帰ったであろう大門坂に向かう。


駐車場から大門坂に向かう。
南紀らしい石垣と、小さなレンゲ畑と名も知らぬ鳥。



道路脇の何気ない風景に惹かれる。



もう相当暗くなっていたので殆ど撮影はせず。
いちばん有名なこの風景を撮って引き返した。

大門坂 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山
撮影日時 190329 17時35分~18時10分
地図