仏教と佐藤康行

自身の体験を交えながら、仏教の本質を佐藤康行の言葉・表現を元に紐解いていきます!

転勤、また転勤 神田圭

2015-09-30 14:45:48 | 体験
融資課の仕事は事務中心でしたので、正直おもしろくなかったです。
そういう気持ちでしたので、支店長の覚えもよろしくなかったと思います。


支店長は元人事部副部長でしたので、優秀な方が集まった店舗でした。
みなさん、やはり出世欲が強いかたが多かったように思います。
派閥も存在し、常務派とか専務派とか。誰に付くかで出世が決まるとか。
もちろん仕事ができる必要がありますが。

結果、1年半で転勤になりました。
私はワンランク・ダウンの中型店舗に転勤しました。

仲の良い同期からはボロカス言われました。何をやってるんだ!しっかりしろ!と。


転勤後も融資課でしたが、半年後営業になりました。

初めての営業でしたが、ほとんどやり方も教えてくれません。御用聞きのようでした。
元々営業をやりたいと思っていたのに、実際にそうなると不安が出てくる。
知らない人に会うのも恐怖を感じていました。
支店長から明るく元気に行けと言われました。

初めての営業は、元気よく大きな声で行きました。
そうしたら、お客さんに怒られました。
『銀行員はお金が商品だから、あまり大きな声で話しちゃダメ』と言われました。
それもそうだなと思いました。そういうお客さんが本当にかわいがってくださいました。

そのうち先輩から喫茶店に誘われ、行くようになりました。
だんだん銀行業務に魅力を見いだせなくなり、知人からネットワークビジネスに誘われ、始めました。
が、身も入らずうまくいくわけもありません。

結果、支店長の知るところとなり、支店長室に呼ばれました。
二重就労禁止ですから。

開口一番こう言われました。

『神田君、君は何をやりたいんだ。これからどうしていきたいんだ。』

私は質問に答えられませんでした。自分でもわからない。

正直に言いました。
「支店長、私、何をやりたいか、どうしていきたいかがわからないんです」

今度の支店長は元秘書室にいた方で、様々なコネクションをお持ちでした。
大変温厚な方で、『仏の山本』と呼ばれていました。

支店長面談の直後、人事異動があり、転勤して一年半後、また転勤になりました。
基本的に、人事異動の内容は本人には当日まで知らされませんでした。

また支店長室に呼ばれました。

何だろうと思っていくと、こう言われました。

『神田君、人事異動だ。がんばれよ!』

辞令を受け取った瞬間、えっ!?何かの間違いじゃ・・・と思いました。

辞令にはこうありました。

『新店舗開設準備委員を命ずる』

神田圭 仕事編

2015-09-29 14:36:52 | 体験
今回から、仕事について書いていきたいと思います。


私は大学に浪人して入り、おまけに留年して卒業しました。
大学在学中の就職活動は、追い風でした。
バブルがはじけ始めましたが、人手不足でした。

外資系コンサル会社、金融、メーカーを回りました。
コンサル会社は旧帝大中心で非常に難関でした。
案の定不合格。

メーカーはなんとなく対象にしたのですが、心動かず止めました。

金融は父が金融であったこともあり、比較的身近でした。

現在のメガバンク、地銀、信用金庫もまわりました。
メガバンクで大学の先輩とお話をする機会を得ました。
私のほかに数名の就職活動者と、先輩2名でした。

喫茶店でいろいろな話をしました。
そこで違和感を感じました。
ものすごく上から目線だったのです。
非常に会社にプライドを持っておられたと思うのですが
それを見た瞬間、こんなところは無理だと思いました。給料はよかったのですが・・・。

結果、地方銀行に決めました。
両親に相談したら、地元に居れるから安心だという感じでした。

なぜ金融にしたかというと、銀行の融資を中心にしたコンサル業務をやりたかったからです。

最初の配属先は、法人融資店舗でした。
最初の仕事は、個人ローンの督促業務でした。

毎月返済が滞った方に、電話で入金依頼をするものでした。
正直、この業務は嫌でした。でも仕事なのでやりました。

電話すると、怒鳴られたりは日常でした。
なかには払えない理由をお話しされる方もいました。

でも払っていただかないといけないので、いつ入金可能かを約束して電話を切ります。
払えない方は決まってるので、月に何度もお話しすることとなります。
そうすると、心の内など身の上話をされるようになります。
いまにして思うとカウンセリングみたいなことをやっていたのかもしれません。

『仕事が決まって来月給料入ったら払います』とか
『再婚決まって、相手の方が全額払ってくれます』とか
その時は本当によかったですねって一緒に喜んでました。
銀行員失格かもしれませんが・・・・

踏みにじってきた⁉

2015-09-28 18:09:30 | 日記
土日、母と久し振りにいろいろ話をした。ご近所のこと、父のこと、親戚のこと、テレビのこと、私の兄弟のこと、そして私のこと。

私は基本的に母のことを聞いている。でも今回あれっと思ったことがある。
母がわたしに、「これ持って帰るか」とか、「これ食べたら」とか言われることを、ことごとく「いらない」「荷物になる」と断っていたのである。
私はなぜ断るかというと、母に手間をかけさせるからである。母も70歳。あっちこっちが痛いとか言うので、母に痛い思いをさせるかもとか、疲れさせてしまうのではと思ってしまう。
相手を思って断っていたのであるが、私はひよっとして母の想いを踏みにじってきたのかもしれない。

母から「これいいから持って帰る?」と言われ、「うん。もらって帰る」と言った、多少時間差はあったが。私はこういったことを通じても、母を認めてこなかったのかもしれない。

佐藤康行の大阪講演会

2015-09-27 10:00:00 | 日記
おはようございます😊
いつもお世話になります❗

昨日、大阪で行われた佐藤康行の講演会に参加しました。
母と参加しました。父にも声をかけてましたが、無理でした。

母は70歳。二人で出掛けるのも久し振りでした。
母にとっては4時間座ってるのが大変なのでした。

講演会で、佐藤康行が真我との対話をしました。
今まで何度か見たことがあったのですが、今回佐藤康行が
目の前の相談者自身の真我になって対話していました。

聞いていて心が揺さぶられました。
隣の母は私以上に心が反応していました。
それを見ていて、やっぱり母自身も自分のことが認められないんだなと思いました。

今朝、父母がお互い言い合いをしていました。
今までだと嫌なので聞かないようにしてたのですが
今朝は、冷静に聞けました。

聞いていて居心地がいいとは思わなかったですが
お互い勘違いだったり、捉え方が違ったり。
全然大したことがないんだなあと思いました。

私にとっても母にとっても貴重な体験になりました。ありがとうございました(^-^)/

相続 神田圭

2015-09-26 08:00:00 | 日記
離婚したことに後悔はなかったけれど
夏純に対する未練は残っていたと思う。

親に対しても申し訳ない気持ちがある。

離婚してしまったこともそうだが
孫と会えない状況になってしまったことに
本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

私は長男なので、孫が6人いても長男の子供というところに
何か思うところがあるようだ。
私にとってありがたいことだけど。

最近、養育費のことで義父と話し合ったこと伝えたら、
私の両親は引き取りたいと言った。

特に父は相続のことを考えている。

私は「相続権は放棄してもいい。
わたしが生きている間お墓は守るよ」と伝えた。

両親は少し安心したようだったが、
私のいなくなった後のことを考えている。

私の妹の子供を養子にしようとか。

こういう展開を聞くと、離婚して申し訳なかったと
いう気持ちになる。

私は結婚離婚を安易に捉えてしまっているのかもしれない。

二度目の離婚から五年以上経つが、その後付き合った女性は1人。

かつてのように安易に男女の関係になれない感じ。
自分でも極端だなあと思う。
でもパートナーは欲しいので、真我の直観で行動しようと思う^^