ホンマのとこ。

取材活動で思ったこと、伝え切れなかったこと……って伝えきらんかい!と自分への叱咤的ブログです。

メモ的ブログでごめんやっしゃ。

2008-01-31 19:20:34 | Weblog
今日は朝から毒餃子問題で臨戦態勢。
業者・店・消費者から情報を集め、現場の記者に伝令する。
同時並行して
大阪府庁で
橋下氏取材のルール決めのクラブ総会に加え、
橋下氏が太田知事と初会談し
府幹部と勉強会をしたため、全日程に参加する。
そして今からワールドビジネスサテライトのネタで
明日オープンする阪急メンズ館へ行く。
いや、これはルイヴィトンの社長にお会いできたりと
至極愉しみなのだけれども。

きょうで、1年の12分の1が終わる。
早い。

ちなみに、会社の原稿用パソコンは
過去の記事を見ることができるのだが
1ヶ月前は……休みのため書いておらず、
1年前は
「蔵出しミカンのセリ市@大阪市中央卸売市場」。
あ~行った行った。
そういや、行った。

原稿を見たら
恐ろしく新聞文体で
そういやぁ何回も書き直しを命じられたと思い出にふける。
いや、ふけってる場合ではなくて
もう次の取材の出発時間なのだけれども。
あたふた。

要は来年の今、
このブログを見て
「今日という1日」より
ハードかつディープな仕事をしているように、
と書き連ねた次第です。
あたふた。



橋下構想、追跡宣言。

2008-01-29 20:09:44 | Weblog
昨日のブログに
コメントを寄せてくれた
戦友をはじめ
知事選関連で
メールを計8通いただく。

その中には
大阪府庁の職員の方もいらっしゃって
正直びびったのだけれども
疑問、怒り、期待なメールには
メールで返答させていただいた。

今月6日のブログ
http://blog.goo.ne.jp/hiraoka_1976/d/20080106
でも書いたのだが
橋下さんと会って話して
それから何度も会って話してを繰り返したが、
印象の良さは変わらない。

でも危うさも含んでいる。
それは皆さんからいただいたメールでもあったのだが、
それは「核武装」といった発言ではなく
テレビ育ち、ということだ。

環境は人を作る、
ということを
新聞→雑誌→テレビ
と似て非なる環境の変化を繰り返し
体感していることだ。

橋下さんが尊敬するという
東国原知事に会った時、
こんな話をしていた。
「東京都の石原知事は
問題発言をしてでも
存在力をアピールしている。
問題発言の是非はともかく、
これは知事の素質だと思う」。
橋下さんも石原知事を尊敬している、と言っていたから
てっきり橋下さんもそのタイプを目指すのかと思っていた。

しかし、そうではない、と、昨日まで思っていた。

例えば、
対抗馬だった熊谷さんは
「知事の退職金を全額返納する」と公約した。
大変、聞こえが良い。
テレビ受けする。
キャッチーだ。
でも、橋下さんは違った。
「聞こえが良いけど、
それは戦略的に間違い。
退職金は知事にとって切り札。
何か不祥事が起きた時に、
俺も返上するから、職員も返上させる、にできる」と。

実際の府政運営をにらんだこの言葉に
僕は深く頷いた。

でも、昨日。
橋下さんは改めて
「大阪府債の発行をゼロにする」と宣言した。
つまり、借金をしないという意味だが、
これは僕の取材では不可能レベルの話で
各メディアも「到底ムリ」としている。

いや、でもあの橋下さんだから
腹案があるのかもしれない、
借金ありきの府庁を変えようとしているのかもしれない、
と思う。
でも、石原流の
「世論の目をひきつける」
ひいては「テレビ用」の言葉だとしたら…とも思うが
なんとなく前者のような気もする。
堺屋太一さんもブレーンにいるわけだし。

ということで
信頼する人見デスクに
ごにょごにょもにょもにょと相談したら
色眼鏡をかけず
テレビ大阪的に
橋下さんの構想は可能かどうか、
いや、それは「できっこないだろ」という
視点ではない。
「ほんまにできるんやったらやろや」という
発想で
いろんなところに取材してみよう、となった。

ワールドビジネスサテライトでも展開できるべく
気合を入れたい。

んでもって今日は、
テレビ東京上海支局と連動して
夕方の全国ネットニュース「速ホウ!」の
「中国人修学旅行生を取り込め」という企画で
貝塚市立北小学校を訪れた。

中国の学校では
修学旅行というのは最近始まったらしく
それも「学校みんな一緒で」ではなく、
経済的に余裕のある親で
「子供に海外を見せてやりたい」となった場合だけ
送り出すらしい。

そんな背景の中、
地方自治体が、この中国の修学旅行生の獲得を目指している、
というストーリーなのだ。

今日は、貝塚の小学校で
交流があったのだけれども
やっぱお互い言葉が話せないし、
会って間もないし、で
ごにょごにょ。

それでも、工作の時間では
女子児童が
中国の児童に「ここな、ノリをぺたぺたすんねん。
わかる?ペタペタ」と
ジェスチャーを交えて話したり、
はさみを持ってちょきちょきする中国の児童に
女子児童が「私はスパゲティが好きです」と唐突に切り出すと
別の女子児童が「それって意味ないやん!」と漫才状態になったり、
何より先生が
「あんたら、話せんでもいい。
貝塚弁でしゃべりかけ!」とけしかけたり、
もう笑いをこらえるのに必死でした。

日本珍道中(?)の行方は
2月11日(月)16時54分~
「速ホウ!」で!

やはり、の結果。

2008-01-28 16:21:55 | Weblog
読者の皆さんは
もう耳にタコにイカの海鮮焼きだと思うが
きのう行われた大阪府知事選で
タレントで弁護士の橋下徹さんが
全国最年少知事として当選した。
38歳。
僕のわずか7歳上。
驚。

昨夜はその時を
橋下選挙事務所の中で迎えた。

わが特番は、
いくつか「こうしておけば」という点はあるが、
実は完璧なものはありえなくて
番組は「こうしておけば」をどれだけ減らすことができるか、
が勝負だ。

何より、コメンテーターの
皆様に深くお礼申し上げたい。
橋下さん(選挙事務所)とテレビ大阪を
中継で結んだクロストークでは、
玉岡かおるさんの
「失言には気をつけて」の直言に
橋下さんも思わず苦笑い。
宮本先生の「大阪府と政令市の
二重行政の解消にまず何から手をつける?」の質問には
橋下さんは
「東京の、府と大阪市と堺市の事務所の
統合などを考えたい」旨の答えを引き出し、
そのやり取りを傍で見ていた、
古巣を含む新聞各社がノートにメモを走らせていた。

何より、木村政雄さんの
「熊谷さんは日経新聞の語り口、
橋下さんはスポーツ新聞の語り口だった」の一言が
まさにこの選挙戦を的確に言い表していた。

視聴率も
普段は後塵を拝してやまない
各社と遜色ない結果になった。
個人的には
番組のしょっぱなで、
うちらは「こんな番組を今からやります」というような
予告的VTR(「アバン」と呼ぶ)を作った
児島君がグッジョブ大賞だと思う。

選挙については
いろいろ思うところがあり
いろいろ書き連ねたいところだが
ありがたく橋下番を拝命したこともあり(涙)
これから、ことあるごとに書くと思うので
今日はひとまずペンディング。
というか眠くて眠くて
頭が回らないのが大きいのだけれども。

そんな中でも、
強く思うのは、
橋下さんの圧勝は
各紙にある「橋下さんに未来を託した」とか
そういった崇高な府民の願いではなく、
大阪人の心に「誰がなっても一緒」
というのがあるのは間違いない。

知事に何とかしてほしい、
知事で大阪が変わる、
と思ってる府民は
取材した限り、ほとんどいなかった。
「経営が苦しい」と言う中小企業の社長たちですら
知事やら
現行の府の中小企業対策やらに
頼っていなかった。

つまり、
誰がなっても一緒。
それやったら、何か面白そうな人、
が正しい府民の意識なのだ。
だから、橋下さんと熊谷さんやったら
橋下さん。
橋下さんときよし師匠でも
橋下さん。
でも、橋下さんとたかじんさんなら
たかじんさんになると思う。

◇◇◇

今日のニュースBIZでも
再び橋下さんと中継を結ぶほか、
ワールドビジネスサテライトでもお伝えします。



音の力。絵の力。

2008-01-26 19:07:18 | Weblog
本日は、前回のブログでも紹介した
選挙特番用のVTRにいそしむ。
3人の方から
「どうやってVTRを作るのですか?」旨のメールが来たので
ちょっとだけ解説すると
通常のニュースは
原稿をまず書き
それに合うように絵(=映像)をあてていく。
例えば
「大阪府庁で太田知事が最後の議会に臨み、
涙をうっすら浮かべた」
となれば、
大阪府庁の外観

議会

太田知事 壇上に上がる

演説

涙(顔アップ)
とかそんな感じ。

しかし、長尺の特集とかになると
原稿を書き
絵をあてる、までは一緒だけど
今度はそのつないだ絵に、
こんな絵も足してみよう、
いや、この絵に差し替えて、
と絵だけをつなぎ、
今度はその完成した絵に合わせて
原稿を書き換える。

いや、この絵先行型はいまだに慣れないし、
慣れていない、
ということを大先輩の佐藤さんの完成した絵を見て、
思い知らされる。

佐藤さんの絵は
時にスピードを付けるため絵を早回しし
時に絵を止め
時に絵をセピア色に染め
と「絵の力」をまざまざと見せつけられた。
当たり前だけど完敗。
いや、勉強になりました。

さらに、今日、改めて分かったのが
音の力。

先ほどの太田知事のシーンで
例えばBGMが
ショパンの「別れの曲」であるのと
アンルイスの「グッバイマイラブ」であるのと
都はるみの「好きになった人」では
印象が違うし
原稿の意味も変わってくる。
ということを
今日、VTRの音響担当者と
「どの曲にしましょ?」といって
選びながらごにょごにょ相談していると
改めて痛の感だったし、
また、恐ろしく作業時間がかかったのだけれども
勉の強になった。

明日はこの「音」にも
注目(耳?)して特番を見ていただければ幸いです。

テレビ大阪
28日午前0時35分~ 
大阪府知事選特別番組
「激論!大阪 再興への道」



佳境。

2008-01-26 01:05:45 | Weblog
いよいよ明後日、大阪府知事選。
わが局でも
特別番組を開票日夜0時35分からオンエア。
新知事と中継を結び
大阪の、特に経済について話を聞く。
ゲストは
テレビ大阪のご意見番、関西大学大学院の宮本センセ、
元吉本の重鎮(やす・きよのマネージャー)、木村政雄さん、
そして兵庫の作家、玉岡かおるさんの御三方。

そのトークが盛り上がるように
現在、私を含む選挙取材班が
VTRを制作している。

ちなみに私の担当は「大阪府の経済の状態」。

この1か月、
財政漬けといったら大げさだが
多分、陸上で短距離選手が
水泳の平泳ぎ選手になる、というくらい
普段使わない、使わなかった筋肉を使うもので、
(僕はそんなかっこええもんではないけれども…)
例えば
実質公債比率、とか
借り換え債、とか
減債基金、とか
もうまぶたをつぶっても数字がチラリ、な状態なんだけれども
大阪府の財政担当者や
大学教授に
「いや、ほんま、もうカイモク分かりませんねん、わて」
というフレンドリーな姿勢(え?)で教えを請い、
何とか理解して、原稿とVTRを制作している、
とか、そんな感じだ。

これを読んでいるか読んでいないか分からないが
経済・経営を学んでいる学生諸君(なんか偉そう?)。
いや、ほんま、今のうちに勉強しといたら
将来、ラクチンよ。
おじさんは強く強く思う。
何事も「知っている」と「知らない」では大違いだ。
一方で、そこには「知っている」と「知ったふりをしてしまう」
あるいは「知ったかぶりをしてしま」い
結局「知っていない」という
危険性もはらんでいるのだけれども。

さささ。
明日は入念に準備、
明後日は本番。
その次の日は、新知事に朝から密着したかと思いきや、
その次の日とその次の日は
全国ネット用の企画のお仕事が入っている。
…と書くことで
限られた体力の配分方法を計画した。
あ~。ひょうたんの餃子が食いたいなぁ…。



メッセンジャーDVD オン セール。

2008-01-23 13:51:31 | Weblog
あちきの局の
メッセンジャーの冠番組、
「メッセ弾」(金曜深夜0時53分~)のDVDが
きょう、発売されました。

人気企画「ある意味コワイ話」を中心にまとめたもので、
いや、個人的にもこの番組はツボで
番組と黒田ファンのあちきとしては
制作部に代わって
この場を借りておおいに宣伝したい。

その黒田さんは
発売記念会見で、
「コワイ話」にちなみ、
こんな発言をしている。

◇◇◇
「何が怖いって、
テレビ大阪の経費削減。
こないだの弁当はご飯にさばが乗ってるだけ。
で、値段はがしてあって
よう見たら178円!」
◇◇◇

で、もって相方の会原さんも

◇◇◇
控え室の菓子を持ち帰ろうとしたら
スタッフに「来週使うから置いていって」と
言われた
◇◇◇

いや~オモロイな~。
って笑われへん笑われへん。

いま、テレビ局に身を寄せているあちきは
テレビ局社員の宿命として
もしかすると、この制作部など
報道以外の部署に行くことがある、
ということを
先日、転職1周年アニバーサリーとして
局長と部長が開いて下さった宴で告知された。

そういや周りの先輩社員も
数々の他職場や東京支社、はたまたアジアの各支局を
回遊して今に至っている。

いや、ちょっとびびった。
でも、自分の人生は
やっぱり視界不良、不良上等なことも分かった。
それでもやっぱり言えることは
目の前の仕事と
目の前に呼ぶ仕事を
仕事していくことだ。


ゴールデンで行こう。

2008-01-22 16:22:34 | Weblog
今日は朝から伊丹空港で取材。
明日のビズの特集
「伊丹空港内のホテルが復活へ」
の取材でもあるのだけれども、
一方で、今年は、
伊丹空港が
国が全額負担する「第1種空港」から
格下げされることが決まっており、
関西・伊丹と神戸の
3空港の勢力図に変化が起きること必至だし
ワールドビジネスサテライトでそういったネタやりたいし
ということを念頭に置きながら取材する。

んで、そんな時、滑走路で見つけた
写真右の飛行機。
(見にくくてすんません)

ANAの飛行機ですが、
ナント機体カラーが青ではなく、
金色であります。
大阪空港ターミナルのフジイ主任(お世話になりましたっ)が
「むふふ。あれ、日本に3台しかないんすよ。
いつもは伊丹に来ないのですが
今日、たまたま伊丹に来たみたいなんです。むふふ」
とありがたい解説。

増田兄貴カメラマンと
「ええっ。ええええっ」と
ワーワーキャーキャー言いながら
思わずパシャリ。
こういうところで
微妙に幸運を使ってる気がする、31歳男子。



遺族。取材。言葉。

2008-01-21 18:24:01 | Weblog
18日の古巣の朝刊に掲載された
震災企画「阪神大震災 13年後の風景」を見て
何か突きつけられたような気がして
いても立ってもいられなくなって
取り急ぎコピーして
かれこれ3日が過ぎている。
引用にもほどがあるが、
全て引用したいので以下、引用。

◇◇◇

【ここ10年ほどの間に、関西の報道機関の記者の中から、
事件や事故などで家族を失った「遺族」の取材を
集中して担当する記者が出てきた。
彼らの多くは1995年の阪神大震災を駆け出し時代に体験した世代だ。

13年前、読売新聞の2年生記者だった水野広宣(40)は、
亡くなった小、中学生の家族の取材を指示され、
29人の子どもの家族を訪ね歩いていた。
互いに興奮状態だったのか。親たちは思いをほとばしるように語った。
初めて出会う圧倒的な悲しみ。「ちゃんと聞かなあかん」。
質問もできずうなずいた。

毎日放送の新人、三澤肇(37)は、市役所に運び込まれてくる
おびただしい数の棺にがく然とし、
読売テレビ2年目の堀川雅子(37)は、
まるで「おはよう」のあいさつのように
「家族が死んで」「家がつぶれて」と交わされる被災地の会話を、
ぼうぜんと聞いていた。
         
2か月後の地下鉄サリン事件を境に東京の報道機関が引き揚げる中、
地元記者は被災者、遺族の話をひたすら聞き続けていた。
遺族を取材する記者が必要とされたのは、
震災後に関西で大事件が続いたからだ。
神戸の児童連続殺傷事件、和歌山毒カレー事件、
大阪教育大付属池田小事件、JR福知山線脱線事故――。
3人ともこの多くを取材した。
 
堀川は「震災で、遺族の心の痛みについて考えていたから、
犯罪被害者の取材にも入っていけた」という。
実相を伝えるために当事者の声を聞く重みは、
報道機関も震災を通じて身にしみている。
最初は大勢で取材にかかる。
だが、時がたてばいつも同じ記者がフォローを続けていた。
         
家族を亡くしたばかりの人に話を聞く。
水野は、手紙で取材を申し込むとき、
自分の自宅住所や家族のことを書くことも多い。
「プライバシーに踏み込むのだから、
自分も書かないとずるい気がして」という。
遺族にしかられる。
三澤はあるとき「言葉遣いが不用意」と注意された。
三澤の「頑張って」が負担だったという。
「すみません。でも、それでも話をしてくださるのはなぜですか」
と問い返した。「あなたは話を聞きそうだから」。
相手の言葉を受け止め、また訪ね、話を聞く。
その繰り返しの先に、信頼がある。

水野は、亡くなった子どもの病院を出る
親の写真を撮ったことがある。
瞬時の葛藤(かっとう)の末、記録者である自分を優先させた。
憤慨した親とは何度も話をし、家族ぐるみのつきあいになった。
だが、後日出版した本に母がこのことを記していた。
「被害者の立場に立ってほしい」と。
つらくなって会社の宿直部屋で泣いた。

三澤はあるとき、事件で子どもを失った女性に
インタビューを断られ、彼女の癒えぬ痛みを思いあきらめた。
しばらくして、この女性が他局に出ているのを見た。
「なんでぼくはだめで他社なら受けられたのか」。
その夜は眠れなかった。
取材力を問われるだけでは済まない。
記者の人格そのものがかかる。
         
渾身の想像力で相手を気づかう。
その同じ人間が相手がつらいだろう質問をぶつけていく。
罪悪感めいたものが、彼らの言葉の端々ににじむ。
三澤は、ある家に毎日のように話を聞きに通ったことを、
「インタビューを撮りたいというよこしまな気持ちもあって――」と話し、
堀川は「悲しみを伝える仕事は、業が深い」と。
水野は、相手に誠実であろうとする一方で
取材のことを考えている自分を「腹が黒いです」と言い表した。
 埋め合わせるように、記者として精いっぱい働く。
相手が絞り出した言葉を最善の形で伝える。
犯罪被害者支援についての理解を促し、世の議論を喚起する。
 なぜこの仕事を続けるのか。
「人間てすごいなと思うことが多いから」と水野がいう。
震災の3年後、娘が亡くなって中断していた
冬山登山を再開した家族に同行したときの、
胸がいっぱいになる感じは今も忘れない。
堀川は別の分野の仕事をしていたこともあるが
「やっぱり気になって」。昨年は
犯罪被害者の家族の10年を描いた番組を作った。
三澤は昨春TBSに出向、NEWS23のキャスターを務める。
東京はカバーする分野も地域も広く、
大阪のように密着型の仕事は難しいと感じている。

記者といえど、
人の、心からの言葉を聞くことがどれほどあるだろう。
大義もあれ、13年前、
半ばぶつかりあうように生身で人に向き合った体験が、
彼らを今も「自分にしか聞き得ない一言」へと向かわせているように見える。】


(2008/01/18 読売新聞朝刊 34ページ)
◇◇◇

罪悪感について
唯一無二の戦友からは聞いたことがある。

いや、何より突きつけられたのは
最後の下り。
「人の、心からの言葉を聞くこと」。
経済ニュースを生業としている今、
「人の、心からの言葉」から遠い地点にいる気がする。
そんな言葉、いつ聞いただろう。
いや、聞いているつもりで
聞いていないのかもしれない。
そんな悶々としているところ、
信頼する人見デスクが「あの記事、見た?」と話しかけてきた。
あの記事に悶々とする仲間は多いと思う。

だからこそ、
先日このブログでもお伝えした
山本議員と奥さんの「言葉たち」に
触れたい、いや、触れたくて仕方がない。


今日は1.17。

2008-01-17 18:48:30 | Weblog
1・17取材のため、
朝3時に起床し
ろうそくに火を灯すイベントがある
神戸市役所南側の東遊園地に向かう。

何年ぶりかの、
ほんと何年ぶりかの震災取材。

「震災報道はもう…」という声を
取材される側からも
取材する側からも聞くことがある。
でも、僕は内容うんぬんより、
震災の報道を「すること」に価値があると思う。

いや、
遺族や、知人を亡くされた方には
こんなのは暴言だと思うし、
何より、きょうのニュースビズの特集で
オンエアされた中にあった、
周辺の住民を火の手から助けられなかった女性が、
「まだ、時々、目をつぶると
ムンクの叫びのような顔をした友人が
夢に出てくる」の言葉に、
やっぱり胸がつぶされそうになった。

僕が言いたいのは、
僕を含めた震災に無関心な人でも、
年に1回でも、
震災あってんな、
そういえばあの時はこんなやったな、
あるいは、
うちの防災グッズは大丈夫なんかいな、
と己を振り返る瞬間があることが重要だと思う。

あるイベントで
なんちゃら大臣や
なんちゃら大臣が公務で忙しいとかで
その代理で出席した官僚が
「震災の経験を後世に伝えていく」とか
立て板に水のように述べるのはどうでも良くて
13年経った今も
あの日に胸を痛めている人がいる、
その事実をずっとずっと
変にこねくりまわさずに
伝えていくことが重要だと思う。





どげんと旋風。

2008-01-16 14:10:58 | Weblog
本日のミッションは、
宮崎県の物産展取材。
お目当ては
かるかんでも
でこぽんチーズケーキでもなく(あ、でも試食しました)
「あの人」が来るからだ。

あの人は、
テレビで見たより精悍で、
動きが素早くて、
インタビューもしたけど
話がコンパクトで
こちらの意図も見抜いていて
的を得ていてもう素敵、
とミーちゃんハーちゃんですんません、なのだ。

その人は
そう、東国原知事だ。

きょうのニュースビズで詳しくお伝えするが、
詳しくお伝えできない話もあって、
それはマンゴー、地鶏に続く
「名物のお披露目」だったのだけれども、
その名前は「完熟きんかん たまたま」。
ネーミングを公募したところ、
小学生のアイデアが採用されたらしい。
「完熟きんかん たまたま」。
大人にはない発想。
んでもって知事は
「これ、略せないんですよ」、と。
グワハハハハと爆笑する報道陣。

今日の物産展は
高島屋で始まったんだけれども、
高島屋の広報の話によると、
いまや宮崎県の物産展は
北海道物産展に次ぐ売り上げを誇るという。
「それまでは、ほんと、人気が…」と恥らう広報女性。
知事人気が、きちんと還元されている立派な例だ。

東国原知事の「外公務」について
批判があると聞く。
外に出すぎだ、と。

でも今までの知事は
意味なく「内」にいすぎた。

人に任せられる仕事も
仕事したふりをしないといけないものだから
自分で抱え込んで仕事していた。

知事にしかできない仕事、
というのが多々とあるが、
まさにそれに優先順位をつけて実践しているのが
東国原さんだと思う。

と、東国原さんに惚れた私は、
来る大阪府知事選の夜にオンエアする
知事選特番に出てほしい、と、
勢いで秘書の方にお願いした。
いましがた宮崎県庁の広報の方にも直談判した。
どけんかして来て。