風 囁

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている教会員の証し集

2018年3月4日&11日&18日 2017年12月24日 転入

2018年03月20日 22時28分28秒 | 教会員の証し
2017年12月24日 転入

 メサイアとしてこの世に来られたイエス・キリストの誕生を、平尾教会にて一緒に喜びお祝いできますことを心より感謝しております。
 クリスマスは私にとっても意味深いです。このシーズンになると教会で過ごす時間が長く、青少年期は教会が私の遊び場でもありました。あまりキリスト教の意味も分からず、行ったり来たりの繰り返しだったのかもしれません。教会生活をふり返ってみると、私は町の小さな教会の夏季学校を通して教会に通い始め、中学生の時に洗礼(バプテスマ)を受けました。私の家族の中では初めてのクリスチャンとなりました。以来、教会とあまり切り離せない、キリスト教文化の背景の中で成長してまいりました。韓国の教会で信仰生活をしてまいりましたが、来日してから私の教会の環境も大きく変わりました。
 私は数年前、日本に留学生として来日し、何もかもそれまでの馴染んできた土壌とは異なる生活が始まりました。特に学生生活が長かった私にとって、常に学業という課題がのしかかり、何かに追われる暮らしが始まったのです。教会に出席しても礼拝後すぐ帰るような教会生活をしたり、ある時には、教会に行く時間を惜しみながら、主日にもかかわらず大学へ向かった時期もありました。勉強が得意ではない私ですが、勉学を続けるうちに学びの楽しみも増え、気付いたら研究室にこもるようになっておりました。
 その後、社会人になりましたが、相変わらず昼も夜も境目のないキャンパス生活中心のライフスタイルは、学生と社会人の区別があまりつかない私生活でした。その頃、あることを契機に自分の生き方について疑問を抱き、そのような自分を変える決心をしました。一種の自己変革でありました。
 まず、慣れた生活環境から脱皮しよう、と住居環境を変えて都心に引っ越しました。都心のど真ん中に住んでみて分かったことは、夜も昼のように明るく過ごせる利便性でした。夕食後の一人散歩や買い物など便利です。反面、早朝まで若者のお祭り騒ぎやカラスの鳴き声なども隣り合わせの暮らしです。
仕事を終えて夕方帰宅する途中、家の近くの路地に入ると大勢の若者が並んだり、たむろして飛び出してきそうな光景で、ハラハラしながら安全運転を心がけております。その列がライブハウス入場の列であることが後でわかりましたが、大学生など若者がお金をためてそういう場へ行くのを楽しみにしていることも知りました。ショックだったのは、教会の高校生などもよく出入りしていて、そこで知り合った友達と夜遊びに走る子もおります。一、二回好奇心で行ってみるのは理解できますが、度が過ぎるケースもあるようです。
 身近な人が出入りしているライブハウスの前を車で走るたびに自分のつぶやきに気付きました。「教会にもこんなに人が集まるとよいなあ」とか、「教会には若者が集まるような魅力がないからこんなところに走るのでは」など生意気なことを勝手に思ったりしておりました。しかしながら、繰り返してその道を通るたびに祈りに変わりました。今ここにいるような人が教会へきて救われますように、教会はもっと門戸を開いて若者が出入りしやすい環境づくり、受け皿となっていきますように、と祈るようになりました。
 私は、近年自分の信仰生活を見直し、優先順位を変えました。まだまだですが、自分ができることを行動に移し、少しづつ実践しようと心がけております。例えば、朝は祈りのみ言葉からスタートして一日を迎えたり、一人で聖書を読むのが困難な時は教会で一緒に読んだり、讃美と礼拝を大切にするようになりました。そして自分の好みの音楽のジャンルよりも、若者向きのゴスペルに変えて讃美したりしております。
 新しいジャンルのゴスペル音楽は未だ馴染まず、自分の身に合わない服を着たような不自然な感じがいたしますが、まず固定観念をなくし、自分の殻破りから試みております。キャンパスや若者文化を理解しているつもりですが、ついていけないのが現状です。
 教会という限られた場にとどまらず、目を外に向けようとチャレンジしております。しかしながら、自分の足りなさと現実の狭間で、もどかしさを感じるときも多いです。昨年は私の母が召されましたが、そのことを通して人生の時間は限りがあることを忘れてはならないと再認識しました。
 依然として多忙な私の暮らしは変わらないようですが、少し立ち止まって考えてみると、ここにいる私たちにも時間が流れ、いつかは次世代に託す時がくることです。キリスト教の信仰の継承の課題は、国を問わず現代を生きる私たちクリスチャンの共有課題だと考えております。私に具体的な実践はまだございませんが、少なくとも若者の教会離れの危機意識をもって、自分ができる小さなことから実践していきたいと思っております。
 開かれた信仰の共同体であるこの平尾教会に私も加わり、ともにイエス・キリストの教えを学び合い、ともに悩み、成長してその教えを広めることができれば幸いだと考えております。
 以上、勝手ながら私の素朴な思いと信仰の歩みを証しいたしました。日韓文化の狭間で生きている未熟な者ですが、これからもご指導、ご鞭撻をどうぞよろしくお願いいたします。


K.I 姉