時というもの
2005年度も早いもので3ケ月が過ぎてしまった。一年の四分の一。何やかやと慌しくやっているうちに過ぎる時もあれば、何もしないで過ぎていく時もある。過ぎて欲しくない時もあれば、早く過ぎ去ってくれと思う時もある。
長く感じる時もあれば、えらく短い時もある。誰かと一緒に過ごす時、孤独に過ごす時。楽しい時、寂しい時。愉快な時、不快な時。時はあるものではなく、作るものだという。
時が与えてくれるものは、忘却、風化、まれに和解。コヘレトの言葉3章1節には、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と書かれている。
人それぞれに時を定めるのは、神様である。今、どうして、このタイミングでこのようなことが起きるのか。あと、1年待って欲しかった。これから始まると思っていたのに。これで、最後だと思っていたのに。
絶好のタイミングだった、など、神様が、定められた時というのは、恵みと思われるものもあれば、承服し難いこともたくさんある。
3章の11節には、「神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」とある。だから、事柄が半ばにして、終わったように見えても、それは実は希望に続く話だったということもあるし、逆に、ハッピーになったかに思えたが、どっこいそうではなかった、ということもあるということだ。
それは千年の長さで計画されてある出来事かもしれない。それを見極めることのできるお方は、神様だけなのである。
平良 師
2005年度も早いもので3ケ月が過ぎてしまった。一年の四分の一。何やかやと慌しくやっているうちに過ぎる時もあれば、何もしないで過ぎていく時もある。過ぎて欲しくない時もあれば、早く過ぎ去ってくれと思う時もある。
長く感じる時もあれば、えらく短い時もある。誰かと一緒に過ごす時、孤独に過ごす時。楽しい時、寂しい時。愉快な時、不快な時。時はあるものではなく、作るものだという。
時が与えてくれるものは、忘却、風化、まれに和解。コヘレトの言葉3章1節には、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と書かれている。
人それぞれに時を定めるのは、神様である。今、どうして、このタイミングでこのようなことが起きるのか。あと、1年待って欲しかった。これから始まると思っていたのに。これで、最後だと思っていたのに。
絶好のタイミングだった、など、神様が、定められた時というのは、恵みと思われるものもあれば、承服し難いこともたくさんある。
3章の11節には、「神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない」とある。だから、事柄が半ばにして、終わったように見えても、それは実は希望に続く話だったということもあるし、逆に、ハッピーになったかに思えたが、どっこいそうではなかった、ということもあるということだ。
それは千年の長さで計画されてある出来事かもしれない。それを見極めることのできるお方は、神様だけなのである。
平良 師