ケセランパサラン読書記 ー私の本棚ー

◆『心 ー日本の内面生活の暗示と影響ー』 ラフカディオ・ハーン 著 平井呈一 訳 岩波文庫

  

 古い本である。
 深夜、本棚の前に座り込んで、実は西脇順三郎の本を探していて、随分と昔に読んだこの一冊を見つけた。
 表紙に掛けられた紀伊國屋のカバーには、幼い字で、書名と作家名が記されている。
 汚れのシミもみえる。
 そぉっと、カバーを外してみると、帯(当時は腰巻きと言ったはず)もちゃんとあって、パラフィン紙に傷みもなく、きれいなままにかかっている。
 手のひらで撫でてしまう。
 心、懐かしい思いがする。
 ☆が四個、★が一個。

 開くとページの縁は陽に焼けて変色している。
 初版は、1951年2月10日と記されている。
 あっ、と今更、気付く。
 1951年2月、私は生まれていない。

 この手元の本は、1977年3月16日第22刷改版発行Ⓒと、奥付にある。
 鉛筆で、S.52 記してる。
 買ってその時、ちゃんと私は読んだのかな。

 ハーンは、好きな作家であった。
 沢山のことを、ハーンから学んだ。
 そんなことを思い出し、ページをくくると、ああ、こんな献辞があったのかと思う。

     詩人、学者、そして愛国者なる
         わが友人 雨 森 信 成 に

 雨森信成とは、ハーンが信頼する友人であり、キリスト教プロテスタント信者である。
 横浜バンドの一人である。
 そういえば、新島襄の同志社大学草創期に、彼を慕って集まってきた若きプロテスタントの信者も、横浜バンドの若者たちであった。

 献辞の隣のページに綴られているセンテンス。(前半略)

   「心」という字は、情緒的な意味では、信念という意味をもっている。つまり、精神、胆力、情操、愛情、
    それからわれわれが英語で「事物の真髄」というような、内奥の意味をもっている。

 と、ハーンは記している。

 目次の早々、小見出し「停車場で」から、熊本の日々が語られる。

 つい読み耽ってしまった。
 ああ、と不思議なほどに思い出す、大昔のハーンのこの文章を読んだ時の場所の記憶。
 そう、そうだったと、ページをめくる。
 もう午前4時半である。

 
 ハーンは、熊本第五高等学校で三年間、英語の教師をし、1894年(明治27年)一家で神戸に転居した。
 この『心』は、その神戸の述作『東方より』"Out of the East"にもれた熊本時代に書いた幾編かをくわえて、一冊としたものである。


 睡魔。



<追記>
 昔、若い時、いや、つい、二、三年前かな。
 それまで、私は、自分の本棚を人に見られることが、とても嫌いだった。
 だから、家に人をあげるなんぞということは、滅多にしなかった。
 それが、このように、自分の本棚の本を、一冊一冊、綴っている。
 不思議だ。
 これが老いるということなのかなぁ。
 
 

 

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