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社長のつぶやきブログ

花見三昧と歴史探訪 NO.3

2011-04-15 19:15:28 | 日記

 上方に児島高徳に連関する一族の供養塔を写しています。

 此処上寺山を中心とする一帯の地はその昔、和田範長の居城や居館の

あった所で、児島高徳が7歳のころから一族によって育てられました。

 立派な武士となった22歳時、後醍醐天皇の隠岐遷幸の途中に奪還を

しようとして失敗した。また25歳の時足利尊氏が叛いて九州から攻め上って

来たときに、熊山に旗挙げをして新田義定の加勢をしに行ったのもここから

でした。

 其の時居館を焼き払ったり、兵火のため居城が焼失した為、その後は

廃墟となりました。今日では太平記の記述に有る諸将の名が、今木、大冨

射越、原、松崎等の地名として残っているのみです。

 この供養塔は上記のように南北朝時代の大忠臣として名高い児島高徳を

顕彰するために地元の有志によって建てられました。

 供養塔の下部には児島高徳に連なる家系図が彫られていましたが、その

大元を辿っていくと後鳥羽上皇に連なり、児島高徳は皇族の子孫ということに

なります。そしてもっと興味深いのは宇喜多氏の祖先になるという記述です。

 上記の歴史的事象については異論、反論のある方もいらっしゃるかも

知れませんが、地元有志の方達の見解を尊重して肯定的に論述しました。

 

 此処上寺山は結構高い所に在り、西大寺の中心部を一望することが

出来ます。上に吉井川を挟んで西大寺の遠景を撮っていますのでご覧

ください。

 逆に対岸の西大寺の街の方からは、上寺山に在する寺院や神社等の

荘厳な建物が立ち並び壮観な風景を演出しています。

 さて花見三昧のフィナーレです。赤磐医師会病院を起点にして砂川の

土手道の両サイドに植えられた桜の並木が矢張り満開になっていて

とっても綺麗でした。

 ここでも美しい花と其の香りに酔い痴れている我々でした。

上に其の写真を載せていますのでご覧下さい。

 これにて花見三昧と歴史探訪を終了致します。

 

 

 


花見三昧と歴史探訪 NO.2

2011-04-14 18:50:12 | 日記

 餘慶寺の隣接地に写真の豊原北島神社がありました。

元は飛鳥時代に建てられ、ご祭神は応神天皇、神功皇后等となっております。

平安時代は豊原荘の鎮守として栄えた旨の記述がありました。

 南北朝時代には児島高徳の一族和田、射越氏等が氏子から興ったそうです。

 上の写真が餘慶寺の本堂(観音堂)です。

当寺は国指定重要文化財となっており永禄13年(1570)に建立され正徳4年(1714)に

再建されたそうです。

 正面の須弥壇には慈覚大師御作と伝えられる秘仏千手千眼観世音菩薩の

御像をお祀りしています。

 本堂の北側に位置する三重塔は旧塔跡に文化12年(1815)に

6年の歳月をかけて再建したものです。

 平成14年に岡山県指定重要文化財となっております。

 

 上方写真に写っているのは鐘楼です。嘉永3年に再建され、

屋根の二面に軒唐破風を付けた本瓦葺きの屋根は極めて

豪華な意匠になっています。

 鐘は「上寺の晩鐘」として親しまれている梵鐘です。

昭和31年県指定重要文化財になりました。青銅鋳造製で

総高94・8cm口径58・5~59・0cm龍頭(りゅうず)は

11・0cmで極端に簡略化されているそうです。

 餘慶寺に入った詳しい経緯は不明であるが九州に遠征した

宇喜多秀家が戦利品として持ち帰り寄進したと伝えられて

います。

 

 

 

 

 


花見三昧と歴史探訪 NO.1

2011-04-12 10:08:43 | 日記

 4月10日(日)は好天に恵まれ、久しぶりに義父を誘って邑久町北島に在る

餘慶寺に花見にでかけました。先週日曜日の花見は残念な結果になったの

ですが、今回は期待通りというかそれ以上の見事な満開の桜を愛でる事が

出来て大満足でした。

 着いた時は昼少し前だったので駐車スペースを確保出来るか一抹の不安が

あったのですが、幸運なことに駐車場から丁度出ようとしていた車があったので

その後にすっと駐車することが出来ました。

 この度は花見と史跡見物の両方を一挙に成し遂げるという欲張ったプラン

なのですが、比較的簡単でした。

 駐車場に車を駐めて寺の参道を歩き始めると、参道の両サイドに植えられた

満開の桜並木が私たちを歓迎してくれました。

 既に桜の下では沢山の老若男女が花見弁当に舌鼓をうっていましたが、

私たちも一生懸命に空いたスペースを探し出して弁当を食べるスペースを

確保しました。

 綺麗な花に囲まれて食べる弁当の味は格別で、本当に美味しく頂くことが

出来ました。弁当を作ってくれた妻には「感謝」の一言です。

 上方に参道と其の参道に立ち並ぶ美しい桜並木の写真を収めていますので

ご覧下さい。


 桜まつり 赤磐市倉懸山(くらかけやま)

2011-04-09 17:45:22 | 日記

  同じ3日の午後昨年の赤磐アートラリーの時加山の住民の方から「ここは桜がぼっこう

綺麗じゃけー見に来られー」と勧めて頂いた経緯があったので桜祭りの

期間中に行こうと予てから決めていた為、時期尚早の感は否めなかったのですが

それでも一縷の望みを託して、高さ350.9mの倉懸山(くらかけやま)を

目指しました。

 ネオポリスの東から瀬戸町に抜ける道の峠付近から加山に通じる道が

あり、その道を通って車で加山に向かいました。

 この道はとても狭くて途中で対向車に出会ったら離合するのが大変です。

途中出会った車と冷や汗を流しながら前進したり、バックしたりする事態に

なりました。

 道中昨年のアートラリーでお世話になった加山の集落を通り過ぎ、そこから

尚も未知の領域である倉懸山を目指し坂道を登り続けました。

 少し走った所に「桜並木、文芸の小径、お花見」等の立て札があったので

写真におさめました。

 この道路はこれでもかというほど蛇行していましたが、道路の両サイドは

延々と桜並木が続いており、桜が一斉に開花した時はその壮観さや美麗さは

言葉にならないほどだろうということは想像出来ましたが、残念なことに肝心要の

桜が全く咲いていないのです。

 蕾ばかりの桜並木を通り抜け頂上近くの祭り会場の広場から約400m離れた

駐車場に車をとめて、そこから歩いて祭りの広場まで行きました。

 広場では桜が咲いていないので雰囲気的にはいまいち盛り上がりに欠けて

いましたが、屋台があったり酒宴で盛り上がっている方達もおられて、それなりに

お祭りムードを演出していました。

 中でも一寸笑ってしまったのが、「あれ?桜が咲いているのかな」と近づいて

よくみると、造花のサクラでした。「桜まつり」と謳っているので、主催者のなみだ

ぐましい努力をその造花に感じました。

 最後の写真は祭り会場の広場から東方に流れる大河「吉井川」をとって

おりますのでご覧下さい。

 今日の桜見物は空振りに終わりましたが、赤磐市にもこのような隠れた

桜の名所がある事を知ったことが大きな収穫でした。

 

 

 


歴史探訪 NO.2 萩の塚古墳

2011-04-08 18:35:38 | 日記

 

  念願の明禅寺城跡を訪ねた後は、操山古墳群の中でも目立つ存在の

 萩の塚古墳に向かって出立しました。

  途中から分かれ道になっていて、かなり急傾斜ですが整備された道を

 選んで登り始めました。多分70~80mの高低差がある道を一気に登って、

 上方写真に在る萩の塚古墳に到着しました。

  操山古墳群の大半は6世紀後半に勢力を誇った支配者の墓として

 造られたものですが、当該古墳は横穴式石室を持つ古墳です。

 上方にその石窟を写しております。

  萩の塚古墳を探索して休む間もなく操山の頂上を目指して歩き

 始めました。萩の塚古墳と頂上との高低差は殆ど無くいとも簡単に

 標高169mの標示がある頂上へ到着しました。頂上部分はさほど

 広くありませんが、小さな広場になっていました。

  其の頂上から奥市.円山方面を俯瞰した写真を撮りましたのでご覧

 ください。

  以上操山の探訪記でした。