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社長のつぶやきブログ

石見路の旅 益田編 NO.8 万葉公園・蟠竜湖

2011-05-21 19:07:29 | 日記

 柿本(かきのもと)神社の後は近くにある島根県立万葉公園に立ち寄りました。

この公園は高津川の河口付近の町である益田市高津町に、石見空港の完成と

確か同時期位に創られたとおもいます。日本最古の歌集「万葉集」に数多くの秀逸な

歌を遺した柿本人麿が益田市小野に生誕し、都に出て活躍した後益田市高津に戻り

この地で終焉を迎えましたが、その故事に基づき高津町に万葉公園を造ったものと

推察致します。

 この公園は綺麗に整備されていて、訪ねた時は躑躅が満開状態に咲き乱れており

利用者の目を楽しませてくれます。今日は子供の日なので子供を連れた家族の姿が

目立ちました。ただこの公園の広大さには正直驚くばかりです。

 万葉公園の後はこれも卑近の距離にある蟠竜湖県立自然公園に行きました。

この公園は矢張り益田市高津町に在って、蟠竜湖を中心にした湖沼景観を主体化

した公園と言えます。

 この湖の名前の由来は、確か竜がとぐろを巻いているような形に見えるという事から

命名されたと聞いたのですが、真相は分かりません。

 蟠竜湖は海岸からの飛砂によって、旧益田競馬場付近で谷が堰き止められて出来た

堰止め湖と呼ばれる性格のもので、自然史を語る上で重要な文化遺産と言えるでしょう。

湖は面積が約13ha、最大水深が10mで上湖、下湖に分かれていて、その湖岸線は

極めて肢節に富んだ変化のある景観を呈しています。

 旧来この湖は益田市民にとって最も人気のある観光スポットであり憩いの場所でしたが

新しい観光スポットが出来たからでしょうか、子供の日なのでもっと沢山の人出を予想して

いたのですが、拍子抜けするくらい閑散としていました。今は昔日の感が有ります。

 写真は上が万葉公園、下が蟠竜湖となっています。

  以上で本日は終了致します。

 

 

 


石見路の旅 益田編 NO.7 柿本神社

2011-05-21 13:10:02 | 日記

 いよいよ石見路の旅シリーズは残り少なくなってきました。

5日の日は万葉集の歌人として有名な柿本人麿公を祭神として祀っている

柿本神社に訪れました。

 歌聖柿本人麿は天武天皇、持統天皇、文武天皇朝に宮廷歌人として

仕えられ、大宝年中に石見国府の役人として石見に下り秀逸な歌を

数多く遺しました。

 神亀元年(724)に益田市高津の鴨島で逝去された旨が文献として

遺されておりますが、この人麿公(ひとまろこう)の死を時の天皇である

聖武天皇が甚く嘆かれ、鴨島という島に人丸社を建てたのが起源と

されています。

 しかしながら万寿3年(1026)に石見地方を襲った未曾有の大地震に

より鴨島は海中に没しました。

 現在の柿本神社は津和野藩主の亀井茲政が延宝9年(1681)に

高津城跡のあった高角山に本殿、拝殿、楼門(ろうもん)を建立したものです。

 上方写真の楼門に関しては、神聖な神社の出入り口として殊に入念に

建造されています。これは偏に津和野藩主亀井茲政の神社への崇敬が

篤かったことの証左ではないかと思われます。

 鴨島は人麿公が死没された終焉の地として伝説が語り継がれてきましたが、

昭和52年梅原猛先生を始めとする考古学、地質学を専門とする諸先生方が

科学的に海底遺跡調査を行い、当島が水深5m前後の深さのところに存在

することを突き止め、伝説の真正であることを立証しました。

 ここに益田市は歌聖柿本人麿(かきのもとひとまろ)と画聖雪舟の二聖人の

終焉の地として正式に認証されたのです。

 写真は先ず鳥居を写し、その先に石段があります。石段の中間付近に先程

説明した豪壮な楼門がございます。楼門を潜って更に階段を上ると軈て広い

境内に至ります。その境内の奥に建立後数百年の歴史を誇る拝殿が在ります。

そのまた奥の方に屋根が茶色っぽく変色した本殿を発見し写真に収めて

おります。

 御神徳ですが、元々は皇室の守護神とされていますがこれを拡大すると

日本国そのものつまり国家、国民の繁栄の神ということができるでしょう。

それに文学の神としても敬われています。又益田地方では農産物の神

生活の守り神、あるいは火災除の神、安産の神、病災除の神として霊験が

顕著な神様として崇敬をされています。

 以上柿本神社のリポートでした。