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社長のつぶやきブログ

石見路の旅 益田編 NO.5 雪舟の郷記念館、大喜庵

2011-05-18 10:50:34 | 日記

 雪舟禅師縁(ゆかり)の地として棹尾を飾るのは、記念館と大喜庵です。

雪舟の郷記念館は上の写真のように和風の豪壮な建物でした。

 雪舟直筆と思われる国の重要文化財の指定を享けた大変貴重な

作品が展示してあり、その観る者を魅了して飽きさせない作品の

精緻な出来栄えはさすがに雪舟と、素人の私でさえ思わず嘆息して

しまいます。矢張りここも撮影禁止なので、一連のこれら素晴らしい

作品群を申し訳ございませんが、お見せすることができません。

 充分アートを満喫して帰ろうかと思ったのですが、「もう一か所行こう。」と

妻に引き留められ、隣接する大喜庵へと向かいました。

 記念館を出て直ぐにお歳を召した男の方が、近づいてきて「あなた方は

どこからおいでですか。」と開口一番出身地を訊かれました。私が「益田市内です」と

そくざに答えると明らかに動揺と失望の色が視てとれましたが、それでも私達が

初めてここを訪れた事を告げると安堵され、それからあとは我が意を得たりとばかりに

滔々と説明をし始め、雪舟縁の場所の案内をして下さいました。この方は確かお名前が

久保田さんというボランティアの男性で定年後帰郷して活動されているそうです。

 上方写真を見ていただきますと、立派な雪舟の銅像があります。

彼の説明によると銅像の建設資金がショートして、建設が危ぶまれていたところ

おおくぼ養鶏所という企業がポンと数千万円という私財を投げうって無事完成に

漕ぎ着けたとのことです。

 それから雪舟禅師の墓所と、ここで永眠された旨を刻んだ石碑に案内して下さい

ました。「他所で亡くなられたという風評や伝聞はあるもののこの地で逝去されたのは

間違いありません。」と断言する彼に思わず同意し首肯する私でした。

 その次は雪舟が絵の墨を作る時この水を利用したといわれる雪舟硯水霊厳泉に

案内されました。今は水のながれが変わり流水はありませんが、当時は茶の湯や

硯水にと利用されていたそうです。

 そして最後に大喜庵を案内して下さいました。大喜庵は雪舟が晩年を過ごした

東光寺の跡地に元禄15年(1702)に創建されたが焼失し、現代ある建物は

比較的近年に建てられたのではないでしょうか。内部は普通の民家を思わせる

造りで、寺社特有の荘厳さはかんじませんでした。

 しかしながら最後に素晴らしい逸品に出会う事ができました。久保田氏の

説明では、この観音菩薩像は1000年以上前に創られたもので辛うじて焼失を

免れたのを当寺で大事に保存しているとのことでした。歴史学者に鑑定を依頼

すると文化財に指定される虞(おそれ)があって、そうなると一般の方が何時でも自由に

拝観することができなくなるので、そのまま保存しているそうです。

 そこで畏れ多いことですがこの有りがたい御仏の写真を撮る許可を戴きまして、

先ずは参拝した後に厳粛な気持ちでシャッターをおしました。良く視ると

煤けたままの仏像である事がお分かりかと思います。

 以上で雪舟関連の記述を終了致します。