5月4日(水) 今日からは郷里益田市の名所旧跡について出来るだけ
沢山紹介しょうと思います。
水墨画で有名な画聖雪舟は全国にその足跡を遺していますが、必ずしも
絵画だけではなく築庭の技術も卓越しており、全国でも6か所の庭園が
雪舟の作品であると認定されているそうそうですが、その中の2ヶ所もの
庭園がここ益田市に存在します。
そこで先ず最初に雪舟庭園の在る万福寺を訪ねました。
万福寺の宗派は時宗で平安時代に建立されました。益田市内をもう一つ
益田川という河川が貫流していますが、当初その河口付近に建てられた為
万寿3年に襲った大津波により流失の憂き目に遭いました。
しかし応安7年(1374)益田七尾城の11代城主・益田兼見(かねはる)公に
よって現在の地益田市東町に移築され、その時益田家の菩提寺と定められて
おります。尚上方写真の本堂は同年に建立され、国指定の重要文化財となって
います。
文明11年(1479)に15代城主益田兼堯(かねたか)公が画聖雪舟を益田に
招き、堂後に石庭を造らせました。
また、慶応2年(1866)第2次長州征伐・益田口戦争の際当寺は幕府軍の陣営と
なり、兵火の為総門は消失しましたが、本堂・庫裏は無事でした。
流石に名刹に相応しく沢山の「お宝」が展示保管してありました。
その一部を上方写真に収めていますのでご覧下さい。古美術等に審美眼のある人
ならば垂涎の逸品が多数あるものとおもわれます。
さていよいよ当寺のハイライトの庭園を撮っています。
観る者の心を捉えて離さないないその流麗なうつくしさは嘆息しかありません。
暫く見惚れておりました。
以上万福寺のリポートでした。