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社長のつぶやきブログ

歴史探訪 倉安川吉井水門

2011-04-25 16:42:53 | 日記

 先週木曜日にお客様を訪問した帰りに、妻が前々から興味津津だった

県指定史跡の「倉安川吉井水門」を訪ねました。

 倉安川は倉田,倉益、倉富の三新田の灌漑と吉井川と旭川の連絡の為

当時の岡山藩主池田光政が家臣の津田永忠(つだながただ)に命じて

造らせた延長約20kmに及ぶ水路で、延宝7年(1679)の2月に着工し

同年中に完成しています。

 吉井水門は国道2号線から吉井川に沿って万富に至る県道を車で

1,2分走った所に有り、往時は吉井川の取水口としての役割を担って

いました。吉井川の堤防に築かれたのを「一の水門」倉安川側のを

「二の水門」と呼び、其の間に「高瀬廻し」とよぶ船だまりがあります。

 当該水門は2つの水門によって水位差の調節を行い通船する「閘門式」

水門です。船だまりは出水時の船の待避や検問に使われていたそうです。

 当該水門は昭和34年に県の史跡に指定されましたが、昭和48年からの

坂根堰(さかねぜき)の改修に伴い、水門としての役割を終えたものの石垣や

水門などの構造はそのまま遺されています。

 往時の姿を今日に至るも殆どそのままに留めていることは、その卓越した

土木建築の技術力によるものと、驚嘆するほかありません。

 津田永忠は単に岡山県の技術者に留まらず、全国でも屈指の技術者として

賞賛を浴びたのではないでしょうか。

 尚船が写っている写真は倉安川から第二水門を撮っています。そして

コンクリートの高い壁と川面が写っているのが「高瀬廻し」とおもわれます。

それと建物のみが写っているのが第一水門と推定されます。

 以上で倉安川吉井水門のリポートを終わります。