先週木曜日にお客様を訪問した帰りに、妻が前々から興味津津だった
県指定史跡の「倉安川吉井水門」を訪ねました。
倉安川は倉田,倉益、倉富の三新田の灌漑と吉井川と旭川の連絡の為
当時の岡山藩主池田光政が家臣の津田永忠(つだながただ)に命じて
造らせた延長約20kmに及ぶ水路で、延宝7年(1679)の2月に着工し
同年中に完成しています。
吉井水門は国道2号線から吉井川に沿って万富に至る県道を車で
1,2分走った所に有り、往時は吉井川の取水口としての役割を担って
いました。吉井川の堤防に築かれたのを「一の水門」倉安川側のを
「二の水門」と呼び、其の間に「高瀬廻し」とよぶ船だまりがあります。
当該水門は2つの水門によって水位差の調節を行い通船する「閘門式」
水門です。船だまりは出水時の船の待避や検問に使われていたそうです。
当該水門は昭和34年に県の史跡に指定されましたが、昭和48年からの
坂根堰(さかねぜき)の改修に伴い、水門としての役割を終えたものの石垣や
水門などの構造はそのまま遺されています。
往時の姿を今日に至るも殆どそのままに留めていることは、その卓越した
土木建築の技術力によるものと、驚嘆するほかありません。
津田永忠は単に岡山県の技術者に留まらず、全国でも屈指の技術者として
賞賛を浴びたのではないでしょうか。
尚船が写っている写真は倉安川から第二水門を撮っています。そして
コンクリートの高い壁と川面が写っているのが「高瀬廻し」とおもわれます。
それと建物のみが写っているのが第一水門と推定されます。
以上で倉安川吉井水門のリポートを終わります。