上方に児島高徳に連関する一族の供養塔を写しています。
此処上寺山を中心とする一帯の地はその昔、和田範長の居城や居館の
あった所で、児島高徳が7歳のころから一族によって育てられました。
立派な武士となった22歳時、後醍醐天皇の隠岐遷幸の途中に奪還を
しようとして失敗した。また25歳の時足利尊氏が叛いて九州から攻め上って
来たときに、熊山に旗挙げをして新田義定の加勢をしに行ったのもここから
でした。
其の時居館を焼き払ったり、兵火のため居城が焼失した為、その後は
廃墟となりました。今日では太平記の記述に有る諸将の名が、今木、大冨
射越、原、松崎等の地名として残っているのみです。
この供養塔は上記のように南北朝時代の大忠臣として名高い児島高徳を
顕彰するために地元の有志によって建てられました。
供養塔の下部には児島高徳に連なる家系図が彫られていましたが、その
大元を辿っていくと後鳥羽上皇に連なり、児島高徳は皇族の子孫ということに
なります。そしてもっと興味深いのは宇喜多氏の祖先になるという記述です。
上記の歴史的事象については異論、反論のある方もいらっしゃるかも
知れませんが、地元有志の方達の見解を尊重して肯定的に論述しました。
此処上寺山は結構高い所に在り、西大寺の中心部を一望することが
出来ます。上に吉井川を挟んで西大寺の遠景を撮っていますのでご覧
ください。
逆に対岸の西大寺の街の方からは、上寺山に在する寺院や神社等の
荘厳な建物が立ち並び壮観な風景を演出しています。
さて花見三昧のフィナーレです。赤磐医師会病院を起点にして砂川の
土手道の両サイドに植えられた桜の並木が矢張り満開になっていて
とっても綺麗でした。
ここでも美しい花と其の香りに酔い痴れている我々でした。
上に其の写真を載せていますのでご覧下さい。
これにて花見三昧と歴史探訪を終了致します。