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社長のつぶやきブログ

歴史探訪 龍之口山城跡・龍之口八幡宮

2011-03-19 14:12:07 | 日記

  山頂から下ること20分位だったと思いますが、教えてもらった分岐点に

 着きました。左がグリーンシャワー公園、右が龍之口方面、真っすぐ行くと

 龍之口八幡宮の標示が有ったので、当然直進しました。

  分岐点から少し進んだ所に相当の樹齢を重ねた大木を背後に従えるように、

 神社が存在することを仄めかすかの如く石柱が建っていました。

  この石柱の間を通り抜けてさらに進むと上方写真でお分かりかと思い

 ますが、昔ながらの石造りの階段に行き当たりました。

  見たところ殆ど後年になって手を加えられた形跡が見られず今も

 造られた時の儘の原形を留めているように思われ、其の見事な石工の

 技に感心しつつ階段を上りはじめました。

  初めは良かったのですがどんどん階段が急になってきて結構難儀を

 しながらも神社のある境内地に到着しました。こっちは相当へとへとに

 なりながら歩いていると、後から走ってきた若者が涼しい顔で追い抜いて

 行きました。妻と2人で「何なんだあれは」と呆気にとられて見送りました。

  さて上方写真に神社を撮っています。当八幡宮は文献に拠っても築年が

 判然としませんが岡山藩主池田家の崇敬をうけたことは間違いないと

 思われ、近年県下全域はもちろん近県の人々からも崇敬され、参拝者も

 増加しているとのことです。実際にそれは肌で感じ取る事が出来ました。

 それこそ辺鄙で近寄り難い場所に在るにも拘わらず、かなりの数の人々が

 参拝する姿を目のあたりにすると素直に首肯(しゅこう)することができます。

 当然私たちも其の参拝者の一員になりました。

  当神社は家内安全、厄災消除、武運長久の神社として有名ですが、近年

 受験の神様として広く知られているそうです。

  神社の境内で休憩をしておられた方に神社の裏に回るととても良い景色が

 見えると教えられ裏側に行くと、「立ち入り禁止」のロープが張り巡らされて

 いましたが、其のロープ内から怖々下の方を覗きこむと眼下に言われた通りの

 素晴らしい景色が広がっていました。それも写真におさめました。

  龍之口山頂の高さが257mと表示されていますが、この神社がある頂きも

 確か240mくらいではなかったでしょうか。

  さて肝心の城跡ですが、通常「本丸」とかいう表示があるのに幾ら探しても

 それらしき物は発見できませんでした。神社から一段下がったやや広い

 境内地がそうなのかなと推定するしかありませんでした。

  「備前軍記」によると龍之口城は周囲が山続きで獣も通れないくらいであり

 道も細く人を寄せ付けない難攻不落の山城であったと記述されています。

  龍之口城主は穝所氏でしたが、直家と度々合戦をした金川城主の松田氏に

 属していました。そこで直家は一計を案じ岡剛介なる者をスパイとして忍びこませ

 穝所元常の暗殺に成功しました。これも直家の戦国の梟雄としての評価を深めた

 一因といえるかも知れません。

  神社への石段がきつかったことと、登山者が来る時は別ルートから来ましたとの

 示唆をうけて、そのルートが比較的楽そうに思えたので、帰途は迷わずに言われた

 ルートを選びました。

  ところがどっこいです。写真をご覧になると分かるようにこれがとんでもない悪路

 でした。獣も通れないという表現に値する岩肌が露出した降りるのに恐怖する様な

 峻険な道でした。引き返すことも考えたのでしたが、それでも意を決してそろそろと

 降り続けました。

  本当に長い時間かかったように思えましたが、なんとかややまともな道に降り立つ

 事が出来、安堵しました。妻はと言うと、帰路になると途端に口数が減り殆ど喋る事が

 出来なくなりました。最後には「足が痛い」という言葉しかなく、完全に戦意喪失の状態

 でした。逆に私は何故か岩場を乗り切った頃から徐々に元気を取り戻して、攻守所を

 替えた状況になりました。何はともあれ無事に下山出来たことを素直に喜びあいました。

  山を降りきった所に鳥居と、案内標識があったので写真に収めています。

 このルートでしたら降りるよりも登る方が、たぶんですが大分楽だと思います。

  以上龍之口山城跡に関するレポートでした。