WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

浪漫

2006年12月13日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 98●

Rickie Lee Jones

Watercolors_1  毎日、4時か5時におきて仕事をする。もう10数年来の習慣だ。子供が小さい頃、自分の時間をつくるため、早い時間に寝かしつけ、朝早く起きることをはじめたのだ。今では夜遅いこともあるので、寝不足のこともあるが……。

 朝の自分の時間は至福の時間だ。家族が寝静まり、私は書斎で仕事をし、あるいは読書する。ボリュームを絞って聴く音楽も悪くない。音が小さいことによって、音楽の芯みたいなものが、感じられることもある。

 この10日程、ほとんど毎日のように朝の時間に聴くアルバムがある。リッキー・リー・ジョーンズの『浪漫』だ(1979年作品)。ちょと前に、時々みるブログ「朱音」さんが取り上げたのをみて、そういえばあったなと、ほんとうにしばらくぶりに思いだした。ずっと、カセットテープで聴いていたので(テープが伸びるほどだ)、思い切ってCDを購入した。

 なかなかいい。シンプルなサウンドの中からリッキー・リーの歌声が控えめで静かに浮かび上がってくる。早朝にボリュームを絞って聴くにはうってつけだ。

 リッキー・リー・ジョーンズの登場は、衝撃的ではなかったが、新鮮だった。それまでのシンガー・ソングライターが内省的でフォークやカントリーをベースにしていたのに対して、彼女のサウンドはジャズのテイストに溢れ、個性的でより自由に歌っているように感じたものだ。しかも、決してでしゃばらないバックのサウンドと、時に明るく、時にしっとりと、か細い声で歌うリッキー・リーのボーカルは、たいへん新鮮でさわやかさだった。そのお洒落なサウンドは、心の奥の柔らかな部分に届く何かをもっている。リッキー・リーの歌声は、我々に言葉ではなく、音楽のメッセージを確かに伝えてくれるのだ。

 70年代から80年代初頭には、こういう個性的で才能あふれるセンシティブな女の子たちが確かに存在したように思う。遠い昔を思い起こしながら、今朝もリッキー・リーを聴いた。


ミラノ・パリ・ニューヨーク

2006年12月10日 | 今日の一枚(Q-R)

●今日の一枚 97●

Sir Roland Hanna   

Milano , Paris , New York

Watercolors0003  エロチックなジャケット写真だ。ジャケット写真は好きだが、ローランド・ハナその人やこの作品の内容とどう関係があるのかは、まったく不明である。この女性は、なぜスカートをめくっているのだろうか。パンストを直しているのだろうか、それとも……。などと変なことを考えてしまいそうだ。まあいい、私は基本的にエッチなことは好きなのだ。

   Sir Roland Hanna (p) ,

   George Mraz(b) ,

   Lewis Nash(ds) ,

 ローランド・ハナの2002年録音盤だ。数年前発売と同時に、雑誌広告でこのジャケットを見てすぐに購入した。ライナーノーツによると、ローランド・ハナは、ニューヨークのクイーンズ大学のジャズ科で主任教授をつとめており、クラシック界の一流ピアニストにも匹敵するその演奏技術ゆえに、「ピアノの魔術師」の異名をとる男だ。

 さて、内容だが、むさすが「ピアノの魔術師」、うまい。一音一音がしっかりしおり、展開もなかなか面白い。ジャケットとは相反して、生真面目で、さわやかな演奏であり、エッチで隠微な雰囲気など微塵もない。ピアノは清く正しく美しく、そして滑らかで優しい。

 けれどもわたしの耳は、大好きなジョージ・ムラーツのベースに釘付けだ。やわらかいが、グーんと落ちるような、太くて深い音だ。決してでしゃばることはないが、音自体がしっかりとした自己主張をしている。ムラーツは職人気質だ。いわゆる「呪われた部分」の音楽家ではないかも知れないが、職人にしか到達できない深い境地を知っているような気がする。以前、何かの記事で書いたが、ジャズを聴き始めた頃、自分の気に入ったアルバムの多くがGeorge Mraz(b) であることを知り、大きな驚きをもったものだ。

 ムラーツは、1944年、チェコスロバキア生まれのベーシストだ。


ジョン・レノン死亡記事とコメント

2006年12月09日 | つまらない雑談

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 ジョン・レノンがマーク・デビッド・チャップマンにピストルで撃たれて死んだのは、1980年の12月8日(日本時間では9日)だった。狂信的ともいえるファンだった私は、今思えば過剰ともいえるショックを受け、九段会館で行われた追悼集会でもスピーチをするという入れ込みようだった。あれから長い年月が過ぎ去り、私はジョン・レノンの年齢をはるかに超えた。時間というろ過装置が過剰なものを洗い流し、いつしか私はジョン・レノンを卒業したとはっきり認識し、それを口にだしていえるようになった。ひとりの素晴らしいミュージャンとして彼の音楽を楽しめるようになったのだ。今、私の書斎には、Watching The Wheels が流れている。いい曲だ。

 ところで、ジョン・レノンが死んだ数日後の新聞には、幾人かのミュージシャンたちのコメントが掲載され、今読むとなかなか感慨深いものがあるので紹介する。

ポール・マッカートニー★ ジョンは偉大な男だった。彼の死は残酷であまりに悲しい衝撃だ。僕はあいつを本当に愛していたよ。彼は最高だった。彼の死は全世界の人々に惜しまれるだろう。芸術、音楽、そして世界平和への貢献によって、彼はいつまでも我々の記憶の中に刻まれるに違いない。彼を失うことがどれほどの苦痛であるかはとても言い表せない。

ジョージ・ハリスン★僕はジョンを計り知れないほど愛し、尊敬している。余りのショックでもう正気を保っていられないくらいだ。本当にとんでもなく理不尽な損失だ。

ミック・ジャガー★ジョンと18年来の知り合いだし、ずっと好きだった。でも今、こんなひどいことが起きた後に、彼の家族、何百万という彼のファンや友だちのためにもありきたりのことはいいたくない。

ピート・タウンゼント★気が動転していてとても話せない。僕が今いったいどんな気持ちかを言い表せる言葉はない。

エルトン・ジョン★ショックが大きすぎて何も話したくない。

クリフ・リチャード★本当に偉大なロックンローラーと呼べる人間はほんの少ししかいない。ジョン・レノンこそそのひとりだった。僕たちは今後長い間彼の死を惜しみ続けなければならないだろう。

ジェフ・リン★レノンは僕の人生に大きな影響を与えたし、おそらく他の誰もが影響を受けただろう。彼は僕のアイドルだった。いつだって会いたいと思っていたけれど、一度見かけたことが会っただけでついに会ったことはなかった。他に何がいえるって言うんだ。ひどすぎる。あまりにひどすぎるよ。

ジョン・ライドン★世界は何も変わらんさ。

 やはり、ジョン・ライドンのコメントが異彩を放っている。そして、彼が一番正しかった。時に、ニヒリスティックな精神は我々の頭を熱病から冷やしてくれる。

[過去の記事]ジョン・レノンのイマジン(シングルレコード)


アン・バートンの伴奏者

2006年12月09日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 96●

Louis Van Dijk     Ballads In Blue

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 エロティックな雰囲気のジャケットが良い。乳首が突き出ているところがなかなかいいではないか。

 オランダのピアニスト、ルイス・ヴァン・ダイクの2004年録音盤だ。ヴァン・ダイクは、1960年代にあのアン・バートンの伴奏者として、『ブルー・バートン』『バラード・アンド・バートン』といった名作でその名を知られるようになった。この作品『バラード・イン・ブルー』もアン・バートンの先の作品を暗示するタイトルであり、彼女に捧げられたと考えられないこともない(とライナーノーツの中山智宏氏はいっている)。

 クリスマスが近づいてくると、割と正統派のしっとりしたピアノトリオなどを聴きたくなるのはどうしてだろうか。お祭りの非日常的な高揚感の一方で感性は何かしら保守的になっていく。奇をてらうことなど何もなく、まるで歌を口ずさむかのように、淡々とヴァン・ダイクはピアノを奏でていく。穏健でまっすぐな美意識である。珠玉演奏だ。録音も良い。

 これからの季節、窓の外の雪景色を眺めながら、温かい暖房のきいた部屋で聴きたい一枚である。


パリ北駅着、印象

2006年12月08日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 95●

Kenny Drew     Impressions

Watercolors0001_1 ちょっと、いいんじゃないの、っていうか、かなりいいんじゃないの(若者風にいってみました)。

 ケニー・ドリューの『インプレッションズ』、日本タイトル『パリ北駅着、印象』として発売された1988年録音盤だ。1980年代のケニー・ドリューは、お洒落な水彩画風ジャケット作品を量産していた。タイトルも感傷的なものが多く、女性を中心に結構人気があった。実際、ちょっとジャズをかじって知っているスノビッシュな男の子にとっては、女の子を口説く有効なツールの一つだったかもしれない(僕もそのひとりだ)。当然のことながら、この一連のドリュー作品は、筋金入りの(と自分でおもっている)コアなジャズファンには不評であり、軟弱な作品というイメージがまとわりついてしまった。

 20年近くたった今、聴き返してみると、これが意外と新鮮なサウンドである。ロマンチックだが、感情に流されない理知的な音である。音の隙間を有効に使った叙情的でデリケートな演奏があるかと思えば、しっかりとスウィングするジャージーな曲もある。熱い演奏もある。この時期のドリュー作品の中で、このアルバムが一番好きだ。

 われわれは、見栄や偏見というドクサで物事を見てしまいがちだが、時間というろ過装置は、それらをきれいに洗い流してくれる。


革新者としてのフランク・シナトラ

2006年12月03日 | 今日の一枚(E-F)

●今日の一枚 94●

Frank Sinatra 

For Only The Lonely

Watercolors  保守的なエスタブリッシュメントの権化、マイ・ウェイの懐メロおじさん歌手、それが私のフランク・シナトラに対するイメージだった。かつてカウンター・カルチャーにシンパシーを感じていた私は、シナトラなど一度も聴いたことがなかったのに、勝手にそういうイメージをもっていたわけだ。

  親近感を持ったきっかけは、私の大好きなMy one And Only Love という曲に関するエピソードからだった。誰も見向きもしなかったこの曲は、シナトラが見出してレコーディングしなければ、これほど世に知られることはなかっただろうという話だ。知ったのは、つい2~3年前のことだ。 

 考えてみれば、シナトラも初めから成功者だったわけではなく、そこにはチャレンジと挫折があったはずだ。1940年代までに10代の女性のアイドルとしての人気を決定的なものにしたシナトラも、40年代後半から50年代初頭までは、喉の病気による不遇の時代があった。幸運にも映画の脇役に抜擢されて、奇跡的なカムバックと果たしたのは1953年のことだった。芸能人としては格落ちの脇役であったにも関わらず、シナトラは軍隊内の虐待で惨めに死んで行く兵士を熱演してチャンスをものにしたのだった。一方で彼は、発声法を研究し、自然で情感溢れる曲解釈などジャズボーカルの新しいスタイルを作り出していった。マイクの特性を研究してその使い方を工夫し、またマイクをスタンドからはずして、声量をコントロールするなどの技術を最初に試みたのも彼だったという。これはマイクを楽器として考えるということであり、当時としてはかなり斬新な発想だったのではないか。他のブログで知ったのだが、アヴァンギャルド音楽家のジョン・ゾーンはかつて、「フランク・シナトラはある意味でチャーリー・パーカーに匹敵するほどのジャズ・インプロヴァイザーである」と評したこともあるのだそうだ。 

 否定的な先入観を取り払って耳を澄ませば、そこには素晴らしい音楽があった。1958年録音の『オンリー・ザ・ロンリー』。薄暗い闇の中から孤独の煙がひっそりと昇ってくるような音楽である。単なるセンチメンタリズムという枠ではとらえきれないような、根源的ともいえる孤独の匂いが確かに感じ取れる。例えば、② Angel Eyes 、⑥ Good-bye の孤独感は一体何だ。金満歌手のやっつけ仕事などでは決してない。血をにじませ、身を削り生み出した音楽としか思えない。解説の三具保夫氏が記すように「破滅の淵を垣間見る旋律のアルバム」というべきであろう。 

 若き日、そして恐らくは年老いてからも、シナトラは音楽と格闘し、孤独な戦いを続けていたに違いない。


レオン・ラッセルは色褪せない

2006年12月03日 | 今日の一枚(K-L)

●今日の一枚 93●

Leon Russell    Will O' The Wisp

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 古き良きロック……、私にとってそれはレオン・ラッセルと同義であるといってもよい。何か新しいことをやろうとしても、過去にすでにやられてしまっている、それが現代のロックミュージックの困難のひとつであることは想像に難くない。斬新な作品を創造するには、ずば抜けたオリジナリティーか、奇をてらう行為かが必要といったところだろう。けれど、かつて自分の感性やアイデアを素直に表現できる時代が確かにあった。レオン・ラッセルはそんな時代の真の天才というべき人物だ。

 ファンキーで粘っこい南部的なサウンド、うねるようなアクの強いボーカル、そして何より美しい曲を創り出す能力、それがレオン・ラッセルだ。南部の土着的な節回しとビートに身体が共振し、切なく美しいバラードに心が震える。1970年代のロックシーンに「天才」と呼ばれる人物は数多あれど、私にとって第一に挙げるべき人である。本当は、そんなことはずっと前からわかっていたのだが、つい最近たまたま聴きかえす機会があり、その確信をさらに強固なものにしたしだいである。

 1975年作品のアルバム『Will O' The Wisp』……。もちろんお気に入りの一枚である。レオン・ラッセルの人気アルバムといえば、一般には『レオン・ラッセル』『カニー』、玄人筋には『レオン・ラッセル&シェルター・ピープル』といったところだろうが、この作品もどうして負けてはいない。収録されている曲の素晴らしさからいったらこのアルバムが最高かもしれない。

 A-⑤ My Father's Shoes いまだかつてこんな切ないメロディーがあっただろうか。彼の作品の中でも最高のバラードのひとつだ。アルバム最後を飾るB-⑤ Lady Blue も素敵だ。ゆったりとした速度で歌われる甘美な旋律にうっとりだ。効果音をうまく使ったB-① Back To The Island も印象に残る美旋律だ。そして何より、B-③ Bluebird 、傷心の男心を歌った曲だが、歌詞に反するような明るく軽快なメロディーと溌剌としたビートに何度励まされたことだろう。この曲を聴けば、どんな時でも元気を取り戻せる、私にとってそんな《 青い鳥 》とでもいうべき曲である。

 古き良きロックはいつだって感動的だ。それは人間の根っこの部分を揺さぶるからであり、それを奇をてらうことなく素直に表現できているからであろう。その意味で、古き良きロックはいつも新鮮だ。

 レオン・ラッセルは、色褪せない。