一昨日行われた長男の中学の卒業式がNHKなどで放映されたようだ。この卒業式は多くのメディアで取り上げられ、友人からのメールによると、ニューヨークタイムス紙にも掲載されたようである。
10日遅れの卒業式だった。卒業式は、避難所の片隅で行われ、多くの人々が見守った。涙の卒業式だった。ただ、通常の卒業式の涙ではない。息子の同級生の1人は死亡が確認され、2人が行方不明である。家族を失った者や、家を流されたものも多数いる。PTA会長も行方不明で、学年主任の先生のご親族も何人か流されたようだ。そんな状況の中での涙だった。スピーチに立った代表生徒はこういった。「自然の猛威の前には人間の力はあまりにも無力で、私達から大切なものを容赦なく奪っていきました。天が与えた試練と言うには惨すぎるものでした。辛くて、悔しくて、たまりません。」彼は何度も天を仰ぎ、涙にむせびながら歯を食いしばってこう続けた。「しかし、苦境にあっても天を恨まず、運命に耐え助け合って生きていくことが、これからの私達の使命です。」
「使命」・・・・・。我々の生は自由気ままにあるのではない。多くの死者の魂とともにあるのであり、歴史とともにあるのだ。そこにはやはり、「使命」というものが付随する。瓦礫と焼け跡の街を思い、人間が社会や歴史とともにあるのだということを、この15歳の少年のスピーチに改めて、考えさせられた。
ところで、昨日はのびのびになっていた高校の合格発表があり、息子も何とか地元の高校に合格できた。行方不明の息子の友人はすでに同じ高校に推選合格している。死亡確認された生徒ともう一人の行方不明の生徒もそれぞれ別の高校に合格した。息子にとっては忘れられない記憶になるのだと思う。
けれども、避難所の生活が暗く沈んだものかといえば、そうではない。みんな明るく気丈に頑張っている。笑顔もあるし、笑い声もある。家族や家を失ってもなお、ボランティアや仕事に一生懸命の人たちも多い。そうしなければ、自分自身を支えられないのだ。
≪逝ってしまったあんたにはこれからずっと朝がない・・・・・≫
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