えー、この有苦太郎というのは、わたくしが作った言葉でありまして、
わたくしは、何か困ったことや、失敗したような事に出会いますと、
「う~ク、根畜生め、」と思い、
唸るときに何度か「う~く、う~ク、」と言わないと落ち着かなく、
それで、
「この有苦(うく)野郎めッ!」と思ったところから、
こう名付けたんであります。
この有苦太郎が今回は何をしでかしたのか、と申しますと、
丁度この前のクリスマスの25日に、友達の家にお呼ばれをいたしまして、
クリスマスパーティーに行ってきたのであります。
そこの家の人々は、身体が添加物などに酷く敏感なことから、
大変食材に拘っておりまして。
わたくしもまだ幾らも生きてはいませんが、
その内にも大分道楽していたので、度々贅沢な料理や、
絵本の中でしかお目にかかれないような、素晴らしいご馳走に上がったりしていたものですが、
ここの家で戴いたその食べ物というのが、
もう想像を絶する様な、
夢さえ追いつけないような、それこそ筆舌し難い、
なにか上手く表現しようとあれやこれや言葉を並べると、
かえってインチキがられるような、そんな言葉しか見つからない思いのする、
兎に角食べてみなくては解らない、そんな食べ物達が並んでいまして、
もうどれを食べても、食べていると言うのではなく、
食べていると言ったら野蛮な位、その、味から情景が押し寄せてきて、
その、人間を滅ぼすような怪しい薬では無いですけれど、
(勿論そんなものではありません。何せ身体の健康に気を使っている人々の家であがったんでありますから。)
美しい調べの中を漂っているような気分にとてもなりまして
それがいくら食べても必ずぶわっと身に来るんであります。
上物の美味しい食べ物というものは、大抵その歓喜に痺れてしまって、
慣れてきて後の方にはパクパクと食べて仕舞い、最初の有り難みをとうに忘れ、
何でもなくゴックンと呑めてしまうものですが、
そこで食べたものは全くその様な事がなく、
必ずゆるりとした世界へ引き込まれて、アレェ~と、
なってしまうんであります。
長々くどくどと申し上げて仕舞ってすみません。
ですが、それくらいのものだったので御座います。
食事の最後の方には、わたくしは半分程、
もう昇天してしまって、夕の日が斜めに差し込んでくる静かな部屋の中で、
へたり込みながら残りのチキンを戴いておりました。
楽しく会話も弾み、そこの家のお母様のシャンソンを聴かせてもらったり、
とても楽しく過ごしておりました。
その日は夜の7時から、吉祥寺駅近くにある教会でミサが行われると言うので、
友達はカトリックだというので、私も興味本位でどんなものが行われるのかしらと一緒についていく事に致しました。
教会に入ってみると、中の造りはそれ程でもなく、まあ新しい教会だからでしょうか。
歌ったり座ったりプログラムに沿って会は進んでいくのでありますが、
そこの神父役らしきお方のお話が、
なんだか外人の神父が使うような音の平坦さでもってヌーと喋っているんですが、
話しがあまり要領を得ず、
よくわからない上に特に面白くない。
神父と言うより催眠術師。正にそれでありまして、
わたくしは眠りましたが、
どうやら友達に聞くと神父の隣の神父も眠っていたそうな。
なんだか当てにならない教会だなと思いかけていたところに、
キリスト教のお話にあるパンの儀式になりまして、
なんだかよくわからないけど催眠術神父に拝んでアーメンしなきゃならないタイムが始まってしまって、
よくわからないから行きたい人だけどうぞと、
右隣の腰を浮かしている人に促したのでありますが、
有無を言わさずお前も行けという。
わたくしはその胡散臭い神父の一番近くに居ちゃったものでありますから、
むしろ私が行かないせいで後がつかえて居るぞとばかり皆、その場に立っている。
仕様がないから気に押されるまま、追い風に押されるようにして親父神父の前に行く。
適当に拝んだらその赤鼻神父は気に入らないと見えて、
なんだか右へうっちゃられた。
作法も何も知らないものだから、よろけるようにして端へ逸れ、
また自分の席へ着く。
その時の周りの人々の侮辱らしい雰囲気と言ったら、本当に居心地が悪くなりました。
あの、大して信仰して無かろう神父が居る様なこんな所にはもう来まいぞ。
と、なんだか行かなきゃ良かった様な、大変長い1時間を終えて帰る事に致しました。
その後は、
もうその自分の曖昧な興味本位から犯した行動の責任を取るような、
驚くべき天災が起こりまして、
心臓止まるかと思いましたが、
なんとかその時巻いていた紫のマフラーが功を奏してくれたようで、
魔に掛からず済んだという事がありました。
わたくしはその後喫茶店へと入り、
今日の自分、今までの自分を振り返り、
どうして数日前に気になった観音菩薩経を買っておかなかったのかと、
酷く後悔しまして、(結局その日買ったのであります。)
その時買ってさえいれば、あの教会にも行かずに、体良く済んだのではあるまいかと思ったりして、身に有る苦に伏せって唸っていたのでありましたが。
そのことから、どうも私には、
人を否定して己を立たせていたところが以前からあったのだな、と言う事が解りまして、
それが良くないと気付いたその後は、
人を肯定するが己は立たせず仕舞いに終わっていたり、
その、意見が一致しない時の心の落ち付け方、コミュニケーションの取り方をどうにか分別する事が、大小それぞれの時に上手くなかったなと反省致した次第でありまして、
それの釣り合い、分別が取れないまま今に至ったので、
その結果、今日という日があの様な流れをとったのだなと分かり、
ああ、成る程。そういう訳だったのか、
と気付いた後には、あの時あの人に悪い事をしたな、済まない。とか、
あの時の自分は自分を無下に扱ってしまって可哀相だった、なんて悔しいことだろうか。と色々と心に点在していた未消化の出来事が解消されていったのでありました。
そこまで来たら、ようやっと起こせなかった身体を持ち上げ、
来た道を逆に戻って、
途中にある渋谷のTUTAYAに寄り、
中古DVDコーナーへ流れて見てみると、
なんと探していた『七人の侍』のボックスのDVDが売られていて、
これを逃す手は無いと、汗を額に流して買い得たのであります。
帰って父に見せると、驚いて早速、観る事に。
私はその日色々と疲れていたので、途中でうつらと寝てしまい、
父に、「もう寝な。」と言われ、お風呂に入って眠る事に致しました。
寝不足だったのと、一旦わだかまりが解けたのとで、
風呂の中では何も浮かばず身体を流し、
七人の侍を観た後では、ごちゃごちゃ細かく考えるのはなんだか要らない気が致しまして、何かあったら夢に出るだろうと思い、
この夜は灯りをすぐ消して眠ったので御座います。