ふわりと。

フワリといっしょの日々。

有苦【うく】太郎の垢落とし

2009年12月26日 21時58分56秒 | 日記




えー、この有苦太郎というのは、わたくしが作った言葉でありまして、




わたくしは、何か困ったことや、失敗したような事に出会いますと、

「う~ク、根畜生め、」と思い、
唸るときに何度か「う~く、う~ク、」と言わないと落ち着かなく、
それで、

「この有苦(うく)野郎めッ!」と思ったところから、
こう名付けたんであります。





この有苦太郎が今回は何をしでかしたのか、と申しますと、








丁度この前のクリスマスの25日に、友達の家にお呼ばれをいたしまして、
クリスマスパーティーに行ってきたのであります。




そこの家の人々は、身体が添加物などに酷く敏感なことから、
大変食材に拘っておりまして。





わたくしもまだ幾らも生きてはいませんが、
その内にも大分道楽していたので、度々贅沢な料理や、
絵本の中でしかお目にかかれないような、素晴らしいご馳走に上がったりしていたものですが、








ここの家で戴いたその食べ物というのが、
もう想像を絶する様な、

夢さえ追いつけないような、それこそ筆舌し難い、


なにか上手く表現しようとあれやこれや言葉を並べると、
かえってインチキがられるような、そんな言葉しか見つからない思いのする、
兎に角食べてみなくては解らない、そんな食べ物達が並んでいまして、

もうどれを食べても、食べていると言うのではなく、
食べていると言ったら野蛮な位、その、味から情景が押し寄せてきて、
その、人間を滅ぼすような怪しい薬では無いですけれど、
(勿論そんなものではありません。何せ身体の健康に気を使っている人々の家であがったんでありますから。)

美しい調べの中を漂っているような気分にとてもなりまして

それがいくら食べても必ずぶわっと身に来るんであります。



上物の美味しい食べ物というものは、大抵その歓喜に痺れてしまって、
慣れてきて後の方にはパクパクと食べて仕舞い、最初の有り難みをとうに忘れ、
何でもなくゴックンと呑めてしまうものですが、



そこで食べたものは全くその様な事がなく、
必ずゆるりとした世界へ引き込まれて、アレェ~と、
なってしまうんであります。



長々くどくどと申し上げて仕舞ってすみません。
ですが、それくらいのものだったので御座います。


食事の最後の方には、わたくしは半分程、
もう昇天してしまって、夕の日が斜めに差し込んでくる静かな部屋の中で、
へたり込みながら残りのチキンを戴いておりました。




楽しく会話も弾み、そこの家のお母様のシャンソンを聴かせてもらったり、
とても楽しく過ごしておりました。











その日は夜の7時から、吉祥寺駅近くにある教会でミサが行われると言うので、
友達はカトリックだというので、私も興味本位でどんなものが行われるのかしらと一緒についていく事に致しました。




教会に入ってみると、中の造りはそれ程でもなく、まあ新しい教会だからでしょうか。
歌ったり座ったりプログラムに沿って会は進んでいくのでありますが、



そこの神父役らしきお方のお話が、
なんだか外人の神父が使うような音の平坦さでもってヌーと喋っているんですが、
話しがあまり要領を得ず、
よくわからない上に特に面白くない。

神父と言うより催眠術師。正にそれでありまして、
わたくしは眠りましたが、

どうやら友達に聞くと神父の隣の神父も眠っていたそうな。


なんだか当てにならない教会だなと思いかけていたところに、
キリスト教のお話にあるパンの儀式になりまして、

なんだかよくわからないけど催眠術神父に拝んでアーメンしなきゃならないタイムが始まってしまって、

よくわからないから行きたい人だけどうぞと、
右隣の腰を浮かしている人に促したのでありますが、
有無を言わさずお前も行けという。

わたくしはその胡散臭い神父の一番近くに居ちゃったものでありますから、
むしろ私が行かないせいで後がつかえて居るぞとばかり皆、その場に立っている。



仕様がないから気に押されるまま、追い風に押されるようにして親父神父の前に行く。

適当に拝んだらその赤鼻神父は気に入らないと見えて、
なんだか右へうっちゃられた。
作法も何も知らないものだから、よろけるようにして端へ逸れ、
また自分の席へ着く。


その時の周りの人々の侮辱らしい雰囲気と言ったら、本当に居心地が悪くなりました。


あの、大して信仰して無かろう神父が居る様なこんな所にはもう来まいぞ。
と、なんだか行かなきゃ良かった様な、大変長い1時間を終えて帰る事に致しました。


その後は、
もうその自分の曖昧な興味本位から犯した行動の責任を取るような、
驚くべき天災が起こりまして、
心臓止まるかと思いましたが、
なんとかその時巻いていた紫のマフラーが功を奏してくれたようで、
魔に掛からず済んだという事がありました。












わたくしはその後喫茶店へと入り、
今日の自分、今までの自分を振り返り、

どうして数日前に気になった観音菩薩経を買っておかなかったのかと、
酷く後悔しまして、(結局その日買ったのであります。)
その時買ってさえいれば、あの教会にも行かずに、体良く済んだのではあるまいかと思ったりして、身に有る苦に伏せって唸っていたのでありましたが。




そのことから、どうも私には、
人を否定して己を立たせていたところが以前からあったのだな、と言う事が解りまして、

それが良くないと気付いたその後は、
人を肯定するが己は立たせず仕舞いに終わっていたり、


その、意見が一致しない時の心の落ち付け方、コミュニケーションの取り方をどうにか分別する事が、大小それぞれの時に上手くなかったなと反省致した次第でありまして、

それの釣り合い、分別が取れないまま今に至ったので、
その結果、今日という日があの様な流れをとったのだなと分かり、

ああ、成る程。そういう訳だったのか、
と気付いた後には、あの時あの人に悪い事をしたな、済まない。とか、
あの時の自分は自分を無下に扱ってしまって可哀相だった、なんて悔しいことだろうか。と色々と心に点在していた未消化の出来事が解消されていったのでありました。


そこまで来たら、ようやっと起こせなかった身体を持ち上げ、
来た道を逆に戻って、

途中にある渋谷のTUTAYAに寄り、
中古DVDコーナーへ流れて見てみると、
なんと探していた『七人の侍』のボックスのDVDが売られていて、
これを逃す手は無いと、汗を額に流して買い得たのであります。




帰って父に見せると、驚いて早速、観る事に。

私はその日色々と疲れていたので、途中でうつらと寝てしまい、
父に、「もう寝な。」と言われ、お風呂に入って眠る事に致しました。



寝不足だったのと、一旦わだかまりが解けたのとで、
風呂の中では何も浮かばず身体を流し、


七人の侍を観た後では、ごちゃごちゃ細かく考えるのはなんだか要らない気が致しまして、何かあったら夢に出るだろうと思い、
この夜は灯りをすぐ消して眠ったので御座います。

一体、どんな名字が良いのよ?

2009年12月22日 01時21分47秒 | 日記
と、父親に浴びせた発言が今日の晩餐後の会話でありまして、


友達に、姓名判断をしてくださる方がいらっしゃいまして、

先程、父親方の名字でみてもらいましたら、
大分良さそうな具合で、わたくしが望んでいるような事を言って下さいました。

今日聞く以前から、どうも気になっていたので自分で、
パソコンなんかにある診断で調べたりしていたのでありますが、

そこにも、父親方の名字の方が具合がいい風に出ていたのでありますな。
母親方の方は、どうも良くない。

全て駄目な訳ではありませんが、今のわたくしは、母親方の名字の特性にはもう一度納得したところでありまして、

友達も、その思いに納得して下さる。


これはいい機会かなあとうらうら考えていましたら、


以前、
まだわたくしが7才位の頃、親が離婚致しまして、名字を変えなくちゃならない時があったんですな。

傍に居た母はもう悲しみに暮れていて泣いて泣いて突っ伏している。

わたくしはなんとか励まそうと傍にいて、言葉足らずに慰めようとしていました。

そんな時、泣いていたかと思った母が、



「ゆう、名字を変えなくっちゃいけないね、何がいいかね?」

と言いまして、



わたくしは名字を変えたことが無かったのでありますから、

親が別れた場合、
自分で名字を、
それも星の数ほどある中から選ばなくてはいけないのか、
と、その頃の7才の身に余る事の重大さに、言葉を失い、

すぐ返答出来ない自分の名字の知識不足と、急に人生の道が行き止まりになってしまった気分とで、
息をするのも忘れてしまっていると急に、








「カメレオンゆうがいいんじゃない?」

と言われ、

井上とか、佐藤しか出てきていなかった頭に、

流石に驚き、それも有りなのか、名字とは、そういう事にも成りうるのか、
しかし、折角人間の子として今生きているんだから、漢字の、ちゃんとした名字がいいものだ、
そしていくらその頃、母親の好きな生き物がカメレオンだからと言っても、それではこれからどう生きていけば好いかわからぬ、
ましてや母親と一つ屋根の下、
一緒に暮らすんだから、急によそ様みたく孤立した名前になるのは嫌だなと
色々感じ、

その時私は「嫌だよ」としか言いようがなかったのであります。

その後、名字の心配を少しだけ持ちながら生活しましたが、
知らぬ間に正気を取り戻した母親によって今の、
村越というところに落ち着いていた、
そうして今に至る。

という訳でありまして、




今日、自分が発言した言葉により、
ふとそんな昔の記憶を思い出した次第であります。

炭の男にて候。

2009年12月21日 01時41分15秒 | 日記
それは、わたくしめの父のことに御座います。



最近あまりにも自室が冷え込んでしまって、
本を読むにもお化粧落とすにも、寒くってかなわない。
正月の鏡餅よろしく、身をギュッとちぢこめていないと居られない。

えー、そんな事で、大分寒さに参っちゃったもんですから、

これをいい機会にと、家で眠っている火鉢を物置から引っ張り出してきて、
埃を拭き取って、でんと床に置いて暖を取ろうという事で、
先程、ある道具屋さんにて、備長炭を買い込んできたのであります。

店の人が言うのには、バーナーやガスコンロの強い火力でないと、炭に火は着かないというので、

早速火鉢と炭を台所に運び、炭に火を付けようとしていたところ、
父親がのそのそっとこっちへ参りまして、やり方を教えてくれる。これはありがたやと思っていると、


どうやら父自身がやりたかったらしく、火付けから火熾しまでずっっと、炭の側に居る。
炭が、水分でもって爆発を起こしても屁でもなく、じっと見守っている。
仕舞いには、そのまま床にあぐらを組んでしまって、
火鉢の中に顔を埋めるのかと思うほど顔を近づけて炭を吹いている。


「あらま、そんな所に座って。寒いんだから向こうに置いておやりなさいよ。ほら、向こうに持って行くから。」
と言っても夢中で炭を吹いて赤くしている。
無視している訳ではないんでしょうが、もう夢中になっちゃって、
見ていると、とっても楽しそう。


こんなに楽しんでいる姿を他に見たことが無かったものだから、
火が熾っても取り上げるのがなんだか可哀想だったので、
折角だから一緒に、弱いながらにも少しはある火を居間に運んで、志ん生のお話を流して火鉢を囲む事に致しました。

火鉢の熱はとても暖かく、廊下やら部屋やらの空気が大体過ごしやすいくらいには暖まっちゃっている。

こいつは凄い、重宝だ、もうこの冬は火鉢で火を熾して暖まろう、そう決めちゃおう、と話したりなんかしておりました。


父親の方は、大分炭と心を通わせることが出来ると見えて、火箸でもって熱を加えられた炭を、
まるで素手で置いているかのように優しく、大切に寄せているのであります。
こりゃあ、この人昔は炭だったんじゃないかしらと思うくらいで。


それで、皆さんにご報告したくなった所存であります。
写真は、自室にて撮影致しました。

炭の火が消える頃、父もあったかくなって眠りに就いたところであります。

鎌倉仕舞い

2009年12月20日 19時54分36秒 | 日記
そうして翌日14日、
わたくしはまたもや横浜経由にて鎌倉へ向かいました。
今日も風邪は冷たいが、ちょっと曇っている。

昨日のような失敗はしないように、明るいうちに着くようにしようと思って、
鎌倉に着く前にお花を用意しようということで、

手前にある駅の大船という所で降り、大きな観音様の見える山の麓のスーパーで2つ、仏花を買いました。

横着から生まれた黒澤監督へのお供えした花も、新しいのを持って行こうということであります。

お花を買い終え、再び電車に乗る頃には、
空にも太陽がキラキラと光り、雲も晴れてきました。


先に北鎌倉の円覚寺に着き、小津先生のお墓へ行ってみると、

数日前が命日だったというので、有名な「無」が刻まれた墓石の周りには、

真っ赤な薔薇の花束が、目に差し込んで来るくらい艶やかな色を湛えて、お花挿しじゃ間に合わないからバケツの中へあれやこれやと納められていました。

蒼いコケがあたりに広がる円覚寺の中で、
墓地とは思えないような空気を発しておりました。


その所に、わたくしもお花を供えて、水を撒き、落ち葉の掃除をし、忘れずに持ってきたお線香をあげて、
どうも、昨日は失礼をしましたが、ようやく今日お墓参りに上がりました。と、色々な反省と感謝の気持ちを伝え、お寺を出ました。


その後、またもや安養院へと赴き、お花を変え、辺りを掃き、何かとご迷惑をかけて済みませんでした。お世話に上がり、大変助かりました、有り難うございましたと感謝を伝えました。




ようやっと片が付いて、鎌倉の出店街にある、モアというような名前の2階にある喫茶店に入り、休憩をして、自分のそそっかしさを反省しつつ、やっと心を落ち着ける事ができました。

こうして、私の鎌倉へのお墓参りは終わったのであります。

続、鎌倉のお墓

2009年12月20日 19時14分13秒 | 日記
私はもう、頼みますからという思いだけで、「あの、急いで来たんですが、こちらのお寺に黒澤監督のお墓が有ると聞いて、無理を言いますがなんとか、お墓参りだけでもさせてもらえないでしょうか?」
と息を切らしながら膝に手を付き、お願いお願いお願い申し上げます。という思いで喋った。
その様子の憐れさをくんでくれたのか、その女性は、
「どうぞ、もう暗くなってきてますから気を付けて、柄杓と桶は中のあちらにありますから、それをお使いください。帰りは(門は)そのままでいいですから。」と言って下さいました。


私は、「有難うございます、それでは、」と入館料をそこにあるお賽銭箱に入れようとしたら、「これはいいですから、どうぞ中へ」と言われ、いいのでしょうかと思いましたが、お言葉に甘えて、桶と柄杓を借りて、ヨイセヨイセとお墓の方へと向かったのであります。





辺りは静かで、お墓に行けばまだ少しは明るい。

お墓が並んでいる奥の方に、横長の太めで平たい石がでんと置かれ、少し斜めな石面に大きく黒澤家と掘られていた。大きいが、静かで不動な雰囲気が漂っておりました。

左右対象にしてあった、辺りに咲いていたであろう睡蓮の花を片側に寄せ、先程買った花を左側へ入れて、水で墓石を洗い、
「えー、参りました。お花は急遽変更して差し上げましたが、監督の作品はとても凄いものだと思いました。特に我が青春に悔いなしはには、とても感動し、私もあの様に頑張って精進していこうと思いました。父共々監督の作品には感動しております。どうもありがとうございます。」

と言って、辺りもはっきりと見えなく暗くなってきたので、

帰ることに致しました。






帰り、鎌倉の店を少し眺め、来た道を電車で戻る途中、

自由が丘で下車し、ブックオフで何かないかと見ておりますと、



なんと、黒澤監督の「我が青春に悔いなし」が安価で売られていて、これはこれはと息もつかずに手にとりまして、買うことを心に決めましたが、



また少し頭の右の方に痛みが出てきました。

これは何故だろうかと、難しく考えてみましたが、
簡単に考え直すと、小津先生のお墓に今日行けなかったならば、明日行かなければ済まないだろうとわかりまして、

わたくしは次の日もまた、鎌倉へ赴くのであります。





此処までが13日のお話であります。
次の日の事はこの次に申し上げる事に致しましょう。

長文お読み頂き、誠に有り難う御座います。