gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

迷歩録  じょうりき

2016-06-27 09:34:39 | 日記
  懐かしき  アクラスの日々  君想う  働き学ぶ  過ぎ去りかstrong>な


                             ひのひら  ろくべえ




    定力(じょうりき)とは、広辞苑によると禅定によって得られた神秘的な能力とある。

   お坊さんが禅を繰り返すことで、神秘的な力を持つことができる、つまり悟りを開くと

   いう事ではないだろうか。

    我々風に言うと、同じ動作を繰り返すことで、その動作の意味や効果までも知ること

   ができる。その力を定力というのかもしれない。つまり定力とは繰り返すことで得られ

   た力という事になる。ただ単に繰り返すのでなく、繰り返すたびに、より高度な方向性

   を持って取り組むことで、そのことにかかわる様々な事を知ることができる。その力こ

   そ、続けることで得られた力という事ができよう。定力を得るためには、一時の好みや

   興味ではなく。続けるという強い意志が必要となるのではないだろうか。

    現代社会はこの続けた人の力、つまり人が持つ定力というものを、無駄にしていない

   だろうか。昔から良く大切にされてきた職人気質なるものが、大切にされることなく、

   この日本から無くなろうとしている。そのことは考え方、生き方の哲学的問題でもある。

    確かにコンピューターは便利だし、合理的ではあるが、人と人のかかわりまでは調整

   してくれない。人と人の調整をするのは人しかいない、それが大切な所、如何に時代が進

   むとも、人がいる限りこの問題は起きてくる。その時に発揮する力こそ定力ではないだろ

   うか。

    対人援助職を目指す者、今活動している者、ありとあらゆる者が、定力を持てるまで、基

   本を繰り返すことで、対人援助の倫理観というものはできること、その力を持つには、繰り

   返す力と、追求する力など様々な力が、相まって融合を起こし精神的充実を得ることができ

   る。まさにお坊さんが禅を繰り返し悟りを得るように、あるいは毎日のお経を唱えることで

   悟りを得るように、同じことように見えることであっても、その精神的働きは違う。世界の

   一郎選手が、基本を繰り返し世界一になったように、野球で悟りを得ようとしてる姿こそが

   美しい。我々も同じではないか、対人援助の追求で悟りを得ることができるまで、繰り返し

   繰り返し、学習を重ねすべての道は対人援助に通じるという事まで、頑張りたいものである。

   その時初めて定力なるものを得ることができるのかもしれない。

   

最新の画像もっと見る

コメントを投稿