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迷歩録  こうへいむし

2018-03-19 11:44:08 | 日記
  霞行く  紅き椿の  庭木かな  春雨煙る  草木笑顔

                        

                             ひのひら  ろくべえ


    

    こうへいむし(公平無私)とは公平で私的な感情をまじえないこと(広辞苑)とある。

   行政や政治、リーダーに求められる資質である。

    しかし、このことが大きく揺らいでいる。政治の場での公平無私が招いた森友学園問題、身内をかばうばかりに

   してきた、行政の歪みは、民主主義を揺らす問題と発展している。今日も国会ではその論議が繰り返されている。

   今に至っても、かばい続ける理由とは何であろうか。ただただかばいたてをしてるに過ぎないのではないだろうか。

   さらには、レスリング協会の依怙贔屓な学長発言、日本が今以上に発展するということは、経済性だけでなく、精

   神的発展、つまり人間としての、ありようの先端を走るということが先進国ということではないだろうか。

    経済的にあるいは社会的に地位を確保した身内をつくると言った狭義の目標ではなく、世界に誇れる精神性、つ

   まり、文化というものを培うだけの、基盤を持った人間が自由に、のびのびと暮らしていける日本という事を夢見

   る。社会というものを目指すならば、依怙贔屓ではなく、あくまでも公平無私という基準を持ち続けることが大切

   なのではないだろうか。

    対人援助などの場でも、公平を護りとうすことは、非常に難しい、しかし、難しいからといって、そのことをな

   おざりにしていると、たちまちクライアントから依怙贔屓人間という烙印を押されてしまう事となる。

    問題なのは自分が意識していない時に起こる依怙贔屓である。自分はそうは思ってないが無意識的に依怙贔屓を

   してしまう。その時事後処理が大切となる。素直に認め、その実態を明確にして、最初から出直すという事に他なら

   ないのではないだろうか。

    公の機関や政治家、リーダーと呼ばれる立場の人、あなたたちの公平性に、かかわる人はとても敏感ですそのこと

   常にを頭において行動することが大切なのではないだろうか。

    家庭における、父母の立場も同じである。子供に対して如何に公平であるかそのことを我が身に返って考える必要

   があるのではないだろうか。

    自分の回りを見回し、平等につきあうことができているかどうかを点検するのも大切であろう。そのような行動の

   積み重ねがコミュニケーション技術の向上へと結びつくのではないだろうか。

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