いち子ばーばのお針箱Ⅱ

昭和一桁のばーばが、虜になったウクライナ刺繍を主に、エッグ・アートなどの作品をご紹介して居ります

若き日の田村魚菜さん

2014年09月24日 | 昔のはなし

黒い唐辛子が花材になって花やにならんでいます

 

 

ししゅうが進まない時の古い写真です

裏の日付けが昭和二十二年になっています

田村魚菜さんを覚えていらっしゃいますか?

田村魚菜さんは終戦後学芸大学の商店街の

亀鶴食堂の栄養士をしておられました

その時のウインドウに飾られた野菜の細工物の

立派さは今でも目に残っています

その腕を見込んだ駅前の本やさんが

魚菜さんを主婦の友に紹介され

お料理を主婦の友に載せる様になり

魚菜塾を開かれたのです

 

御縁でしばらく父は魚菜塾のカメラマンをしていました

写真入りのレシピは父のアイデアで始めたと言うのが

父の自慢でした

 

その頃料理塾の生徒と

茅ヶ崎に地引網を引きに行った時のスナップです

当時私は17歳

生徒として2年間魚菜塾で習得した技術は

今でもおいしい料理を作る助けになっています

右の方は菓子部門の先生で

草餅や柏餅等和菓子を教えていただきました

和食は田村先生、洋食は外山先生でした

 

 

 

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ぴろまり)
2014-09-24 21:53:57
田村魚菜さんの名は覚えています。
何しろ親しみのある風貌で印象深かったですから。
ひなげしさんのお話を伺うと、時代そのもので本当に面白いです。
また地引網を引きに行かれたのに、男性のネクタイ姿が面白い。
昔はそうだったのでしょうね。どこに行くにも背広で。
Unknown (谷間のゆり)
2014-09-25 11:15:45
◎ぽろまりさんへ
ネクタイもですが、私の革靴スタイルもおかしいですね。
その時に網にかかった鯵で作ったたたきは骨っぽくておいしくはなかったのもご愛嬌でした。
こんにちは~ (3nekomama)
2014-09-25 14:35:32
お父様の素晴らしいエピソードですね~。
魚菜さん よく覚えています
渋谷へ向かう東横線の車窓から建物が見えていましたね~
今も見えるのかしらん??
電話で問い合わせをしたことも有りました。

それにしましても江ノ島をバックに撮られたというスナップのいち子さん~~
さすが東京のご令嬢 オシャレですね~!
Unknown (谷間のゆり)
2014-09-26 15:46:42
◎3nekomamaさんへ
自由が丘の魚菜学園は未だあると思います。
魚菜さんが亡くなってから後妻さんとは交際がなく縁が切れてしまったのですが、息子さんがなさっているとは風の便りです。

私は子だくさんの父母の手伝いを15歳からしていた、総領の甚六娘です。
おしゃれは大好きで、自分でデザインした服を自作で着て居ました。

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