日守麟伍の和歌(うた)日記 Ringo Himori's Diary of Japanese Poetry

大和言葉の言霊の響きを求めて Quest for the sonancy of Japanese word

「今ここに」1首

2016年07月23日 | 日記
 中世の名高い歌詠みには、西行をはじめ僧侶が多く、四季の歌だけではなく、恋歌も数多く詠まれています。出家ですから、男女関係は厳禁のはずですが、隠れて密かに情を交わすのはともかく、公けに歌を詠み、和歌集にも載り、しかも名歌として語り継がれています。
 一つの理由は、「煩悩即菩提」という思想で、喜怒哀楽などなどの煩悩が、悟りの機縁となる、喜怒哀楽を離れて悟りは起こらないという考えです。
 もう一つ、仏教ではあまり強調されませんが、恋する相手が「道」「真理」や「菩提」のメタファー、あるいは道しるべになっているからです。これはキリスト教では「恋愛神秘主義」と言われ、古い作品としては、「雅歌」が典型、近い?ところではゲーテ「ファウスト」の結びにある「永遠に女性的なるものが、あなたを高いところへ導く」という考え方、ユングの用語では男性の中の女性原理「アニマ」との関係になります。
 
 慕わしい人の面影が、ふと訪れてくるのは、なにかの「縁起」によるので、はかなくも嬉しく、切なくも楽しい経験です。

(いまここに あらざるいのち おとのうや いもがまなざし えみてみあわす)
今こゝに あらざる命 訪なふや
妹がまなざし 笑みて見合はす

(今ここにいない人が、ふと思い浮かんだのは、貴女が訪れてきてくれたのでしょうか。ほほ笑むようなまなざしと、ずっと見つめ合いました)

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