古代日本国成立の物語

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前方後方墳の考察①(前方後方墳の疑問)

2024年06月07日 | 前方後方墳
以前に「前方後円墳は壺形の古墳である」とする壺形古墳説を考えたとき、前方後方墳も壺形古墳と言えるのか、という点が最後の疑問として継続課題になっていました。当時は、壺形古墳の亜流、あるいは胴部がぼてっとした壺の形ということでお茶を濁していたのですが、今回、自分なりに納得できる答を出そうと思い直して、前方後方墳そのものを少し詳しく調べていろいろと考えてみました。

まず、あらためて前方後円墳あるいは前方後方墳の形状の由来あるいは起源について考えてみます。白石太一郎氏の著書『古墳とヤマト政権』によると、前方後円墳あるいは前方後方墳の成立プロセスは下図のようになりますが、この考えは現在では定説化された感があります。


(白井太一郎「古墳とヤマト政権」より)

一見もっともらしく見えるので分かったような気になるのですが、実態としてはA類からB類を経てC類へと発達あるいは変化していったということではなく、3つの類型はほぼ同じ時期、つまり庄内式併行期前半(3世紀前半)に同時に存在していたというのです。にもかかわらず同書には「主たる墳丘に至る通路が発達して墳丘と一体化していった」とあり、変化の過程に時間の幅があるような説明がなされますが、同時期に存在したのであれば、A類が原形となってあるとき突如としてB類およびC類がほぼ同時期に出現した、と理解すべきなのです。

また、各地の遺跡で同様の事実が認められるのであれば、3世紀前半の最大でも50年の間に各地で同時多発的にB類やC類が出現した、ということにもなります。実際のところ、大阪府八尾市の久宝寺遺跡では方形周溝墓群の中に方形のA類とC類が見つかっており、寝屋川市の服部遺跡でも円形のA類、B類、C類が隣接した場所で見つかっています。いずれも庄内式期の遺跡です。愛知県では同一地域とみなすことができる廻間遺跡と土田遺跡において庄内式に併行する廻間Ⅰ式期に方形のA類、B類、C類が存在していました。このように少なくとも河内地域や東海地域で同じ3世紀前半において3つの類型が併存していたことがわかっています。

廻間遺跡や土田遺跡の墳丘墓を調査・分析した赤塚次郎氏はその報告書において「廻間Ⅰ式1段階をもってBⅡ類の開口部の発達に向かって志向する可能性が高い。廻間様式にいたると前方後方型墳丘墓は開口部(前方部)が一気に発達すると結論付けておきたい」「廻間Ⅰ式期をもって開口部(B型)が拡張し、急速に前方部が発達する前方後方型墳丘墓が登場し、周溝を巡らすものもⅠ式期前半代で完成する」とします。赤塚氏の言うBⅡ類やB型は白石氏の図にあるB類に相当します。赤塚氏は「一気に発達する」あるいは「急速に前方部が発達する」という表現をしていますが、「一気に」「急速に」という点が重要だと思います。

また、とくに検討が必要なポイントは白石氏の図にあるB類とC類の違いです。墳丘への通路が墳丘と一体化して周溝が全周する、つまり通路が途切れて通路としての機能を果たさなくなっています。単に形状が変わっただけでなく、機能面での断絶が見られます。白石氏は「主丘部への通路を、死者の世界と生者の世界をつなぐ通路と解して、この部分が次第に祭祀・儀礼の場として重視されるようになった」としています。形状が一気に変化し、機能の断絶が起こったにもかかわらず、「次第に」と時間の幅を前提にしていることに疑問を感じずにはおれません。この通路は誰が何のために使用する通路だったのか、前方部は果たして祭祀・儀礼の場であったのか。

なお、赤塚氏は『東海系のトレース』で、東海地方における方形周溝墓から前方後方墳への形状の変化を説いていますが、なぜ変化が起こったのかについての言及はありません。別の論文『古墳文化共鳴の風土』においても「突出部がいかなる原理で発展したかと言う問題をここでは棚上げすれば、カタチのイメージは明らかに弥生時代から踏襲されたモノ」とした上で「前方後円墳とは、弥生時代の地域型墳丘墓である円形周溝墓から出発して変化したものである点は動かない」とし、なぜ前方部が形成されたのか、前方部にどんな意味があるのか、などに触れることはありません。


(赤塚次郎「東海系のトレース」より)

ここから先、方形周溝墓や円形周溝墓を皮切りに、あらためて前方後円墳および前方後方墳について考えていくことにします。

(つづく)

<主な参考文献>
「古墳とヤマト政権」 白石太一郎
「大阪平野における3世紀の首長墓と地域関係」 福永伸哉
「愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第10集 廻間遺跡」 愛知県埋蔵文化財センター
「愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第2集 土田遺跡」 愛知県埋蔵文化財センター
「東海系のトレース」 赤塚次郎
「古墳文化共鳴の風土」 赤塚次郎




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