古代日本国成立の物語

自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格の取得を目指して勉強中。

断夫山古墳・白鳥古墳

2018年12月02日 | 実地踏査(遺跡/古墳/神社/仏閣)

 名古屋市熱田区、高蔵遺跡を南へ少し歩くと伏見通り沿い、神宮公園内にそびえる断夫山古墳が現れる。全長が151メートルで愛知県最大の前方後円墳です。三段築成で前方部が発達した古墳時代後期の特徴を示しており、出土した埴輪や須恵器から6世紀前半頃の築造と推定されています。このあと行く白鳥古墳とともに尾張氏の首長の墓と考えられています。この古墳はかつては日本武尊の妃である宮簀媛命の墓とされていました。同様に白鳥古墳は日本武尊の墓とされていましたが、いずれも時代が全く合いません。





ここはもともと熱田神宮の管理下にあったものを戦後に愛知県が県有化し、1987年になって国史跡に指定されました。その後、県営熱田神宮公園として整備されて現在に至っています。

西側のくびれ部の造り出しです。

ここから多量の須恵器が出たそうです。東側に造り出しはありません。また、写真でわかるように周濠が墳丘を囲んでいますが、これは後世に造作されたものです。

前方部の左隅。


こちらは右隅。

左隅と違って削られているようです。

後円部の先端。

許可をもらえば墳丘に登れます。


断夫山古墳から少し南へいくと白鳥古墳があります。高蔵遺跡が熱田台地の東端でしたが、この白鳥古墳は西端に位置します。

白鳥古墳の少し北側の道ですが、西に向かって下っているのがわかります。突き当たりは堀川という川になっています。

川沿いの道から東へすぐ。

この階段の高さがこのあたりの熱田台地の高さといううことになります。

白鳥古墳。

全長が70メートルの前方後円墳で6世紀初頭の築造とされます。ただし、この古墳は前方部の南端は道路建設で、後円部の東側は法持寺の移転改築などで削られていて正確な大きさは不明です。

前方部の先端。

手前には周濠があったとされています。

熱田神宮社伝では、能褒野(のぼの)に葬られた日本武尊が白鳥となって当地に降り立ったという伝承により、この古墳を日本武尊の墓としています。白鳥古墳の名称もそこからきており、白鳥御陵とも呼ばれていますが、断夫山古墳と同様に時代が合いません。

隣接する法持寺。

曹洞宗の寺院で山号は白鳥山。白鳥陵の宝物を護持する寺であることから草創期は宝持寺と称していたそうです。

法持寺の境内。

左側の森が古墳。手前が前方部の東側、奥が後円部の東側です。古墳に接するように、というよりも墳丘を削って境内が作られています。この境内は三保が関部屋の稽古場になっていたようで、ここで鍛錬した北の湖が横綱になったことから、北の湖や相撲に関する石碑もたくさんありました。


以上でこの日の目的を達成したのですが、ここまで来たら熱田神宮を参らないわけにはいきません。

結構疲れていたので正面までまわるのはやめて西門から入りました。

ここでもお決まりの大楠。


三の鳥居。


拝殿。




神社公式サイトによると、主祭神の熱田大神は三種の神器の一つである草薙剣を御霊代(みたましろ)とする天照大神のことだとか。ここ熱田神宮に草薙剣が祀られるようになった理由、というよりも逆にここに祀られている草薙剣がなぜ三種の神器とされるようになったのか、を考えているのですが、それはまたいずれ。

その草薙剣が祀られていた土用殿。


境内の一番奥にある一之御前神社。

天照大神の荒魂(あらみたま)が祀られています。

本殿をぐるりと取り囲む「こころの小径」を歩いて参拝を終了。歩き疲れてクタクタになりました。

尾張氏、熱田神宮、草薙剣、、、、尾張の地は謎でいっぱいです。



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