古代日本国成立の物語

自称「古代史勉強家」。趣味は実地踏査と称して各地の遺跡、神社、歴史博物館を訪ねること。学芸員資格の取得を目指して勉強中。

貝殻山貝塚資料館(朝日遺跡)

2018年11月19日 | 学芸員資格・博物館
 2018年11月、午前中に東谷山に登って志段味古墳群の尾張戸神社古墳などを見たあと高蔵寺駅に戻ってランチをとり、まだ時間が十分あったので清須市にある貝殻山貝塚資料館へ行くことにしました。貝殻山貝塚遺跡の上に建てられた資料館ですが、朝日遺跡の近くといった方がいいかもしれません。
 朝日遺跡は愛知県清須市と名古屋市西区にまたがる弥生時代の東海地方最大級の環濠集落遺跡で、東西1.4キロメートル、南北0.8キロメートル、推定面積80万平方メートルにも及び、最盛期の人口は約1,000人であったと推定されています。

 ここに大きな環濠集落遺跡があって資料館があることも知っていたのですが、なかなか行ってみようという気になれませんでした。しかし博物館実習で自主企画展のテーマを環濠集落にしようと決め、あらためて情報収集する過程でこの朝日遺跡が思っていた以上にすごい遺跡であることを知り、機会を作って行かなければと思っていたところでした。
 アクセスを調べてみると東海交通事業の城北線という電車があって尾張星の宮という駅から徒歩で10分となっています。意外に便利だと思ったのも束の間、この城北線を調べてみると単線、一両編成、ワンマン、本数も少なくて使いにくそうでした。西側は東海道本線の枇杷島駅と接続しているのに、東側は中央本線の勝川駅と一見つながっているように見えるのですが、この駅間は徒歩10分となっています。西から行くのは問題ないようですが、東からだとちょっと面倒だ、ということです。

 高蔵寺駅からだと東からの不便なルートになります。ある程度の覚悟を持って中央本線に乗ってNAVITIMEで乗継の時間を調べてみると、勝川駅で下車してから城北線の発車時間まで10分もありません。もし乗れなかったとしたら次は1時間後になります。汗だくになってダッシュで乗り継ぎ、10分ほどで尾張星の宮駅に到着。1時間に1本、乗客は5名ほど、いったいこの城北線は誰のため、何のためにあるのか。不便すぎる。バスで十分だ。

貝殻山貝塚遺跡の入口です。

少しわかりにくいですが中央に盛り上がったところがあります。古墳ではなく貝塚跡なのですが古墳だという説もあるようです。

お決まりの竪穴式住居の復元。


 このあたりは昭和4年(1929年)からの発掘調査で貝殻山貝塚が見つかり、昭和46年に国の史跡に指定され、昭和50年(1975年)に資料館が開館しました。その後、名古屋環状2号線と東名阪自動車道の建設工事に伴って昭和47年(1972年)からの調査が行われ、大環濠集落である朝日遺跡が発見されました。今となっては貝塚よりも大環濠集落をフィーチャーすべき遺跡となっています。

公園に建つ遺跡の説明板。

朝日遺跡が発見される前のものと思われます。

資料館前に建つ新しい説明板。

こちらは朝日遺跡をメインに説明しています。

資料館の入口。古くて小さな資料館です。

この写真を撮って入ろうとすると中から年配の方が扉を開けて出迎えてくれました。気さくな方なのでいくつか質問をしてみると詳しく答えてくれました。ただ、こちらはこの遺跡について知識があまりなくて質問が続かないのでまずは一人で見学を始めました。





朝日遺跡から出た特徴的な土器が並びます。





その朝日遺跡はこんな遺跡です。



こちら(→朝日遺跡マップ)のほうがわかりやすいかも。

 Wikipediaでは「縄文時代末期から弥生時代を中心に栄えた集落遺跡で、集落間の闘争の歴史と住民の生活の変化とその状況の両方を知ることができる。特に弥生時代中期の初頭~後半にかけては、他の集落の住民の襲撃に備え、強固な防御施設を建設していることがわかる。それは、環濠、柵列、逆茂木、乱杭などで、集落を二重、三重に囲む強固なものであった。これらは、弥生時代のものとしては日本で初めて発掘されている。今でも日本の弥生中期遺跡としては最大級である。これらの防御施設の発見で、集落が城塞的な姿であったことが分かり、それまでの牧歌的な弥生時代のイメージを戦乱の時代へと大きく変える根拠になった。また、方形周溝墓跡も発見されており、古墳時代へ変遷の萌芽を窺い知ることができる」と紹介されています。

 朝日遺跡から出た遺物はコンテナで13,000箱もあるそうです。国の重要文化財に指定されたものだけでも2,000点以上あり、さらに国の補助を受けて保存、修理作業が順次行われているところです。現在は平成29年度に保存、修理を終えた朝日遺跡出土の土器などを展示する企画展が開催中でした。そして史跡公園の南側に新館の建設が進んでいます。おそらく新館オープンを機に、朝日遺跡の名が冠されることになるでしょう。

 1時間ほどでひととおり見学を終えて休んでいると、再びおじさんが事務室から出てきました。せっかくなので池上曽根遺跡などをネタに会話をしてみると、いろいろと教えてくれました。この一帯は海抜が4mしかない湿地帯であったので逆茂木や木製品がよく残っていたといいます。土器も残りがよくて表面がきれいだとも。おじさんによると、同じ名古屋にある高地性集落の見晴台遺跡の土器は表面がゴツゴツで状態が良くないらしく、その違いは水に浸かっていたかどうかによるのです。見晴台の土器は雨に浸かったり日照で乾燥したりを繰り返すから劣化が激しくなる。ここの土器は残りが良いから土器に土がついている、残りが悪いと土に土器がくっつくんです、と。なるほどなあ。博物館実習で土器洗浄を経験したばかりなので、その表現の意味が理解できました。そして驚いたのは、湿地帯であったがゆえに遺跡が弥生時代で終焉を迎えた後、次に人が住むようになったのは平成になってからだというのです。古墳時代以降つい最近まで人が住むことはなく、千数百年の間、ずっと田んぼだったらしいのです。

 このあたりでおじさんの正体を確認したくなり「学芸員さんですか」と聞いてみると「資格は持っています」という答え。続いて「館長さんですか」と聞くと「もう定年を過ぎて単なる留守番役です」との返答。事務室の中に女性がいたので「あの方は学芸員さんですか」の問いには「彼女は学生のアルバイトです」と。留守番役とアルバイトで運営しているので開館日が木・金・土・日と変則的になっているとのこと。
 それにしても詳しいので、元は館長さんだったんだろうなと思って話を続けました。そしてこの地方特有のS字状口縁台付甕の話をすると俄然盛り上がってきました。「大阪の博物館ではS字を見ることができないし、名古屋市博物館に展示されていたのもケースの中だったのでなかなか詳しく見る機会がないんです」「ここにも展示されていませんでしたね」「S字は蓋をしたときによく密閉できるというのが利点なんですよね」といった話をすると元館長(?)さんは少し考えた後、「ちょっと来てください」といって展示室の裏にある収蔵室へ案内してくれました。土器がいっぱい並べられている保管棚の一番奥にS字が置かれていて、それを取り出して見せてくれました。「持ってみてください」「いいんですか?」、緊張しながら両手で持ってみてびっくりしました。「軽い!」「これがS字の一番の特徴なんです」




 いやあ、楽しい時間でした。朝の登山や乗り換えのダッシュで体は疲れ切っていたけど、元館長との会話の時間、気持ちはずっとワクワクしてました。これが博物館見学の醍醐味です。名古屋駅への帰り方を聞くと、城北線はダメダメと言われ、JR清須駅まで歩くと30分ほどかかるけど途中の清須城を見て帰るといい、と教えていただいのでそうすることにしました。



新館がオープンしたら必ず来るぞ。


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