古代日本国成立の物語

小学生の頃から好きだった邪馬台国と古代史。自分なりに解き明かしたいと思い続けて40年。少し真面目に取り組んでみよう。

野間神社

2018年05月27日 | 実地踏査(遺跡/古墳/神社/仏閣)
2018年5月25日の南九州実地踏査の続編。向こうに見える島の対岸を目指して進みます。


野間半島から戻って平地に出たところで車を停めて野間神社の場所をGoogleマップで調べてみると、すこし距離がありそうだったのであきらめて当初から考えていた場所「瓊瓊杵尊駐蹕之地」へ向かうことにした。しばらく走ると左手の山に登っていく道の入口に「野間神社2km」の案内板が見えた。なんだ2キロか、近いやん。寄り道しても問題ないと思ってハンドルを左に切って山道に入った。ほとんど車が走っていないのだろう、道路は小枝や葉っぱに埋もれている。それでも2キロだから大丈夫だ。

ところが、走れど走れど神社は見えない。すでに2キロ以上走っている。ずっと登っていた道がいつの間にか下りになっている。これは絶対に間違っているぞ。でも、途中で道が分かれているところはなかったし。2キロと思ってナビをセットしなかったのが間違いだった。あらためてナビをセットすると、やはり間違っていた。ほぼ180度の角度で枝分かれした道があり、それを曲がらなければいけなかった。曲がると言うよりもほぼUターンだけど。そこまで戻らなければいけないのだけど、これまたUターンする場所がない。しかたなく狭い道で何度も切り返しをしてようやく逆戻り。ここでもC-HRを用意したレンタカー屋さんを恨んだ。野間半島に続いて不安増大。でも野間岬と同じで、ここまで来たら引き返せない。行くところまで行こう。


※この記事を書きながら枝分かれした道のところをGoogleストリートビューで確認すると、大変なことがわかりました。

これがストリートビューの画像で2013年11月撮影となっている。

左から走ってきて、ここを鋭角に曲がって上の道へ入らないといけなかったのです。

拡大すると、、、

なんと、野間神社の矢印があるではないですか。実際に行ったときにはこの標示はなくなっていて、左の白いのが倒れていました。そもそも、この道には気づいていたものの、まさか車が通れる道だとは思わずに真っ直ぐに進んだのです。それでも、この正しいと思われる道は少し細くない? C-HRで大丈夫? ますます不安が増大して束の間の躊躇。それでも行くしかない。

とにかく、ようやく正しいルートに戻って山を登っていく。しかし、だ。ナビを見ると目的地まで4.7kmと出ている。おかしい。野間神社までは2キロのはずだ。ここまでですでに何キロも走っている。ルートをみると野間神社までは野間岳をぐるりと周りながら登っていくようだ。そうか、2キロというのは歩いて、つまり登山道で2キロということなんだろう。どっちにしても野間神社って野間岳の上にあるんだ。そこで初めてわかった。

※ここでもGoogleストリートビューで確認すると、またまた大変なことがわかりました。

これが上と同じく2013年11月に撮影されたストリートビューの画像で実際に見たのと同じ案内板です。ここを左に曲がって山道に入ったのです。野間神社まで2kmとなっています。


これはクリック一回分だけストリートビューを進めてみたときの画像。なんと、12kmとなっています。この撮影は2012年1月となっています。


2012年1月以降のどこかで「1」が剥落したのです。たぶん、12kmだったら行かなかったと思う。でも、苦労はしたけど行って良かったので結果オーライです。

それでようやく到着した野間神社。立派な由緒ある神社の予感。


創建がわからないんだ。軽四のおじさんは伊勢神宮より古いって言ってたけど何を根拠に。

瓊瓊杵尊・木花開耶姫の夫婦と、火蘭降尊・彦火々出見尊・火照尊の三人の子どもたち、つまり天孫一家を祀っているのです。もともと野間岳の頂上にあったものをこの八合目に遷したとのこと。

石標も苔むしてよく読めない。


拝殿を正面から。


裏に本殿が見えます。


境内から野間岳山頂を目指す登山ルートがあります。

往復で1時間なので時間があれば登ってみたかった。

車で登れるのはここまで。わずか2キロと思って来てみたらとんでもない高いところまで来てしまった。


帰りは途中から東へ降りる違うルートがあることがわかったので、そちらで下山。向かう先は上の写真にある「宮ノ山」で、ここは「神代聖蹟 瓊瓊杵尊駐蹕之地」とされる遺跡があるところだ。

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