古代日本国成立の物語

素人なりの楽しみ方、自由な発想、妄想で古代史を考えています。

高良大社(北九州実地踏査ツアー No.19)

2018年01月15日 | 実地踏査・古代史旅
香椎宮を出て九州自動車道に乗り、向かった先は福岡県久留米市の高良(こうら)山にある筑後国一之宮の高良大社。私も初めて訪れる神社だ。久留米インターを降りて15分ほど、大鳥居をくぐって紅葉で染まる高良山をぐるぐると登った先の景色のいい駐車場に車を停めた。
途中、山を登る道路わきに「神籠石」と書かれた案内板を見かけ、あの神籠石か!? と思ったものの車を停める所もなく、予備知識もほとんどない状況では見学しても仕方ないか、と思ってそのまま通過した。
 
駐車場前のこの階段を上った先が境内。
 
階段わきにある社標。
 
階段を登りきって振り返ると筑紫平野が目の前に広がる。
筑紫平野の向こうに筑後山地、さらにその先は玄界灘、対馬海峡、朝鮮半島とつながる。
 
祭神と由緒。
 
祭神は高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)、八幡大神、住吉大神。
高良玉垂命は記紀に登場する神ではないことから祭神に関しては古くから論争がある。武内宿禰説、藤大臣説、彦火火出見尊説、水沼祖神説、景行天皇説、物部祖神説、饒速日命説、香春同神説、新羅神説、高麗神説などなど、非常に多くの説が唱えられ、筑後における古代史最大の謎と言われているが、中でも武内宿禰説がもっとも有力とされている。しかし、住吉大神の正体が武内宿禰であるという説もあって、この二柱の神が別の神として祀られている以上、ふたつの説は両立することはない。
 
由緒には「高良の大神は、悠久の昔から筑後川の流域に生活してきた人々が、その生活守護の大神様として奉持して参りました筑後国一の宮であります。御社殿御創建は履中天皇元年で西暦四〇〇年と伝えています。また、朝廷の御尊崇も篤く国幣大社に列せられ、古くは式内明神大社として勅使の御参向を得て祭礼が行なわれた。勅諚によって御神幸も始められました。」と書かれている。これを見る限り、由緒にも記紀の痕跡はない。
 
神社公式サイトの由緒には次のように少し違うことが書かれている。「大社に伝わる『絹本著色高良大社縁起』(福岡県指定文化財)によれば、今から1600年前、仲哀天皇の御世、異国の兵が筑紫(九州)に攻め込んできました。西に下った神功皇后が追い返し、筑前国四王子嶺に登って神仏に助けを祈られた時、高良玉垂命という神が住吉の神と共に初めてご出現されたと伝わります。
 
これによって高良玉垂命と住吉大神が祀られているのは理解できるとしても、八幡大神が祀られる理由がどこにも書かれていないのだ。おそらく八幡信仰が広まった後、神功皇后ゆかりのこの神社にも八幡大神が祀られることになったのだろう。
 
 
中門。
 
本殿。
 
筑紫平野に突き出た耳納(みのう)山地の先端にある高良山は交通、軍事の要衝の地だ。眼下の筑紫平野を北へ向かえば福岡平野から博多湾へ通じ、筑後川を下れば有明海へ、筑後川を遡れば日田へ出て、さらに山越えで宇佐へ通じる。筑後川を挟んだ西側には吉野ヶ里遺跡がある。そしてこの高良の地が邪馬台国という説もある。
 
高良玉垂命といい、神社由緒と言い、高良大社は謎が多い。今回のツアーでも直前にルートに組み込んだために事前学習が不足していたことは否めない。少し時間をかけて勉強する必要を感じた。
 
さあ、次は来た道を少し戻って朝倉市(旧甘木市)平塚川添遺跡へ。

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