himetaku成長期

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マネジメント信仰が会社を滅ぼす

2011-01-09 08:54:24 | 日記
<書籍情報>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
題名:マネジメント信仰が会社を滅ぼす
著者:深田和範

<読書記録>+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
読破時間:1.75H
おすすめ度:☆☆☆☆(5点満点4点)

<読書メモ> ★-☆-★-☆-★-☆-★-☆-★-☆

<本書で著者が伝えたい事>

マネジメントが下手だからビジネスがダメになったのではない。
マネジメントなんかにうつつを抜かしているからビジネスがダメになったのだ。
むしろ、余計なマネジメントなんかするな。

<経営者の意思>

マネジメント信仰に陥った最近の経営者達は、見栄えの良い事業計画を作成したり、凝った人事制度や情報システムを構築したりと、マネジメント本に書いてあったことを実践する能力には長けている。
しかし、そこには足りないものがある。

ビジネスにかける経営者達の「意思」がないのだ。

日本企業は、マネジメントの理論や手法にこだわりすぎて、ビジネスを進めるうえで最も大切な意志を喪失してしまった。

<最近のマネジメント本>

現在書店に並ぶマネジメント本は、理論・手法をわかりやすく伝えようとするあまり、それらの背景にある著者の世界観や哲学については、ほとんど触れられていない。

これは大きな問題である。

なぜならば、世界観や哲学を持たない企業経営の理論や手法は、単なる「金儲けのための道具」にすぎず、それを広めたところで、「金の亡者」が増えるだけだからである。

<マネジメントの逆転>

企業活動における主役は、あくまでビジネスであって、マネジメントはビジネスを支える黒子である。

ところが、日本の企業では、いつのまにかマネジメントが主役になって、ビジネスが脇に押しやられてしまったようだ。

「なにを行うか」というビジネスより「どのように行うか」というビジネスの方が重視されるようになり、経営者やホワイトカラーによって蔑ろにされたビジネスは、必要な策を施されないまま、急速に衰退してしまった。

日本企業のマネジメントのやり方が悪いのではない。マネジメントさえしっかりすればすべての問題が解決し、現状を打破できるという考え方がそもそも甘いのだ。

実際に、営業や製造等の現場の第一線でビジネスを行っている人よりも、経営企画や人事等、本部でマネジメントを行っている、いわゆるホワイトカラーのほうが権力を持ち、経営の主役気取りで社内を闊歩している姿をよく見るようになった。

これらのホワイトカラーは、自分達が現場を管理しており、現場よりも立場が上であると思い込んでいる。現場でビジネスを行っている人間も、暗黙のうちにそれを認めているところがあり、自分の意志よりもマネジメント側の指図を重視してビジネスを展開するようになっている。

<症状1:意見はあっても意志はなし>

他人事のように「見ている」だけで、自分の「志」を持つことがない。
経営者や管理職が、ありきたりな意見を述べるだけで当事者意識がない。だからビジネスが全く前進しない。マネジメント信仰の広がりにより、このような傾向が日本に企業で強まっている。

具体的な現象

・経営者や管理職が、「あるべき論」や「一般論」を言うばかりで意志を示さない。

・意志を示すべき人が議論を本質から外そうとする。
細かいことや表現方法にこだわり、議論を集約して、次の段階に移ろうという動きが見えない。あわよくば、うやむやにしようという意図すら感じられることがある。

・他者事例やマネジメントの本に書いてあったことによって物事を決めようする。
「他社でもこうしているから」「一般的にこういうものだから」という理由がまかり通るようになる。

・体系的な理論や手法を重んじ、「経験、勘、度胸」を馬鹿にする。
「理論的、客観的」であることが正しく、「経験論や主観に基づく判断」は誤ったものと決め付けている。

・「~戦略」「~改革」等の用語を好んで使う。
「具体的にどうなるか」よりも、関係者に「どのように受け止められるか」「どうすればスマートな表現になるか」ということばかりを気にする。

・同じようなテーマのプロジェクトが数年おきに立ち上がる。
前回のプロジェクトが中途半端な状態で終わっていても、その反省もないままのプロジェクトが始まる。

・消去法で物事を判断する。
いくつかの選択肢をあげて最もリスクの少ないものを選ぼうとする。その結果、ありきたりな案しか選ぶことができなくなっている。

<症状2:都合のよいことばかりを考える>

人間も動物である以上、危険察知能力を持っている。
この危険察知能力を頭で否定して、万事がうまくいくように理論を作り上げてしまう。

具体的な現象

・「あるべき論」や「雰囲気」で方向性が決まる。
一度決まると、その方向性に沿うような都合がよいことしか考えない。

・様々な計画にそれを策定する人の「見栄」や「保身」が感じられる。
ありきたりなことでも重大なことのように取り繕った計画が作られる。あるいは、実現できないような計画や目標が策定される。

・現実的な厳しい話を嫌い、甘い話にしか興味を示さなくなる。
地道な仕事は損という感覚が広がり、目立つ仕事に多くの人が群がり、その奪い合いをはじめる。

・反対意見が出ることを嫌う。
満場一致で決めようとする。これは、仮に失敗しても「満場一致で決まったのだから仕方がない」ということになり、責任の所在を曖昧にすることができるからである。

<症状3:管理はするけど無責任>

マネジメント信仰が強まり、ルールや制度によって社内を管理しようとする志向が強まると、かえって組織における責任の所在が曖昧になる。また、ビジネスに対する積極性が失われて、組織は衰退してしまう。

具体的な現象

・企画、総務、人事、経理、法務、監査等の管理部門の権力が強い。それらの部門が頻繁にルールや仕組みの見直しを行う。

・規程や基準が数多く存在する。それらに書いてあることが複雑で細か過ぎる。

・些細なことでも届出や承認が必要になる。その結果、管理帳票や書式の数が多くなる。
例えば…
 1.休暇や残業の届出等の労働時間管理に関すること
 2.経費の使用に関すること
 3.出張や業務上の外出に関すること
 4.書類の保管に関すること
 5.会社情報、営業情報、個人情報の管理に関すること
 6.パソコンなどの情報機器の使用や持ち出しに関すること
 7.携帯電話やEメールの使用に関すること

・匿名での「職場相談」や「内部告発」を認め、現場の吸い上げると会社が言い出す。
しかし実際には、社員がお互いに監視しあい、重苦しい雰囲気になっている。

・何事においても内容よりも形式が重視される。

・形式的なことや目立つことはするが当たり前のことができなくなる。
職場内のイベント等が盛んに行われ、ほぼ全員が参加するが、日常的に「おはよう」「お疲れ様」等の挨拶が交わされない、他人の机で鳴っている電話には出ようとしない、等。

<症状4:顧客よりも組織を重視する>

「ウチの会社の常識は世間の非常識」と冗談半分で言う人がいる。
しかし、このようなことが本当に生じてきたのであれば、会社の論理と社会の価値観との間に何らかのズレが生じている証である。それを放っておくと、「顧客よりも組織を重視する」傾向が強まり、最後には社会から淘汰されることにもなりかねない。

具体的な現象

・「社会的にどうか」「顧客にどのような影響が及ぶか」ではなく、「自分達はどうなるか」「組織内への影響はどうか」で物事を決めようとする。

・自分達のやっていることを社会的に意味があることにすりかえる。
経営理念や会社方針、ビジョンにこだわり、それが現実の会社の姿や日常業務と乖離していく。

・社員の考え方が幼稚になる。
ありきたりなこと、教科書的なこと、著名人がいったことを、あたかも自分の主張のように声高に発言する人が多くなる。

・顧客や社会の評価よりも、上司や社内の評価を重視する人が増える。

・「数字を達成しているのは社会的に認められている証拠」という理屈がまかり通る。
この理屈は間違っていないのだが、それが強く言われだして、顧客よりも数字を重視するようになると、会社は誤った方向に進む。営業力が強いといわれながらも消えて行った会社の多くは、社内でこのようなことが言われた。

・「ゴマすり」をする人が増える。
経営者や管理職が自分の保身ばかりを考えている。会社の派閥が見られる。

・社内の動きに悪い意味での「軽さ」が見られる。
例えば組織改革や営業革新に関するプロジェクト・チームが乱立する。

・組織的に動くことが強要させる。
個人プレー的な動きをする者は、社外で認められても「チームワークがない」として社内で評価されない雰囲気がある。

・ビジネスよりもマネジメントが重視される。
顧客に価値を提供することよりも、会社を続けることのほうが優先される。

<積極果敢に>

マネジメント信仰は、自分の意志を示すこと、あるいはリスクを冒すことに不安を感じる人が増えたから急速に広がったのである。

自分の意志に自身を持ち、リスクを冒す勇気を持てるようになれば、マネジメント信仰は自然消滅する。そして、マネジメントの前提にあるビジネスの立て直しのほうに、目を向ける人が増えるだろう。

私達は、まず自分自身を信じて、新しいこと、困難なことに積極果敢に挑戦していく気概が必要だある。

<経営・勘・度胸に頼る> ⇒ ☆HIMETAKU一押し☆

2000年代に入る前まで、日本においては、マネジメント理論や手法があまり広がっていなかった。このような時代の経営者やホワイトカラーは、他人の意見を聞かずに、自分の意志を一方的に示す人が多かった。経営学を学んだ若手社員や経営コンサルタントが意見具申しても、「現場にいない者に何がわかる」と一喝されたものだ。

当時の経営者達は、世間に広まった理論や手法に惑わされず、自分の経験・勘・度胸に基づいて「こうする」と意思決定し、それに従って周囲の者を動かしていた。組織の中心には、経営者達の「意志」があり、そのもとでビジネスが行われていた。
ビジネスをするためには資金と労働力を効果的に使わなければならないから、マネジメント必要になった。この段階では、あくまで「ビジネス」が主であって、「マネジメント」はビジネスを効果的に行うための理論や手法という位置づけにあった。

ところが、いつもの間にかビジネスとマネジメントの関係が逆転した。いつの時代にも、どこの世界にも通用する、絶対的なマネジメント理論・手法が存在し、それに基づいてビジネスを行われるべきだと考えられるようになった。そして、経営者達の経験、勘、度胸に頼って行われるビジネスは、非科学的で、時代遅れのものと考えられるようになった。それどころか、経験・勘・度胸はマネジメントの障害になるものとして、ビジネスの場から排除されていったのである。

ところが、ビジネスで成功を収めた人の多くは、成功の秘訣を「自分の経験・勘・度胸に頼ってきたこと」という。

私達は、物事を難しく考えすぎているのかもしれない。

もっとシンプルに、経験・勘・度胸を信じて、自分の意志で動いてもよいのかもしれない。

そうしたからといって、ビジネスが成功するか失敗するかはわからない。

しかし、頭で考えた挙句何もできない、ありきたりなことしかできない現状に比べれば、自分の意志を貫いたほうが、良い結果につながるのではないだろうか。

<勘と度胸を伸ばす経験を積む> ⇒ ☆HIMETAKU一押し☆

経験・勘・度胸に基づいてビジネスを行うことは決して悪いことではない。これは経営者に限ったことではない。普通のサラリーマンであっても、経験・勘・度胸に基づいて仕事をすることは悪いことではない。とくに現在のように先行きが不透明な状態においては、あてにならない将来の見込みに基づく計画よりも、自らの経験・勘・度胸のほうがよっぽど役に立つ。

ただし、ここで1つ問題がある。

それは「人によっては、経験・勘・度胸が乏しいために、それらに頼りようがない」ということだ。もともと私達は、経験・勘・度胸を伸ばすような教育というものを受けてきていない。今の教育では、決められたルールに基づいて正解を効率的に導き出すことが重視されている。様々な経験を繰り返して、勘と度胸を身につけることは推奨されていない。

したがって、いつの間にか私達は経験・勘・度胸は頼りにならないもの、使えないものと思い込むようになっている。だから、マネジメント本に書いてあるとおりにしたり、頭の中で理論的に考えた方が間違いないというマネジメント信仰に陥ったりしてしまう。

この問題を解決するためには、普段から意識して経験・勘・度胸を強化していくしかない。つまり、仕事や生活の中で、勘・度胸を伸ばすような経験を積み上げていくのである。

以前の日本企業は、経験・勘・度胸を伸ばすような様々な経験を、社員に提供していた。最も有効なものは「新しい仕事を担当させること」である。以前の日本は、「新しい仕事」が山ほどあったし、企業側もそれに社員をあてる余裕があった。ところが近年、このような新しい仕事は少なくなり、また企業側も収益が出るかどうかわからない新ビジネスへ社員を振り分けることを控えるようになっている。

そうであれば、私達は、経験を積むことができる仕事を意識して持ってこなければならない。会社の中で、誰もやったことがないような仕事をする機会が提供されれば、それに積極的に応募する。それが与えられないのであれば、現在の仕事をこなしつつ、自分で新しいことを始めて、そこで経験を積む。

新しいことを始めるといっても、大げさに考えなくてもよい。地域のボランティア活動に参加することでもよいし、趣味やスポーツを始めることでもよい。重要なことは、新しいことを始める場合に自分の勘と度胸でそれを選ぶことだ。理屈や消去法で選択せずに、「面白そうだ」とか「挑戦してみたい」という勘や度胸に基づいて、新しいことを始めてみる。それ自体が1つの「経験」になるからだ。

自分が担当している仕事では簡単に失敗するわけにはいかないが、新しい仕事やプライベートのことであれば、気楽に失敗することができる。

<キャリア> ⇒ ☆HIMETAKU一押し☆

今、私達が主体的に選択しなければならないこととは、自分自身のキャリアであり、生き方に他ならないというこになる。

「他に出来ることがないからとりあえず今の仕事を続ける」という消去法で選択するのではなく、「これをしたいからやる」という、自分の意志による主体的なキャリアの選択をしていかなければならない。

このような自分の意志を強く主張する人が増えないと日本のビジネスは盛り上がらず、このまま多くの企業がズルズルと落ち込んでいくだけになってしまう。

これから先は何が起こるかわからない。

マネジメント本や他の人の言いなりになって、自分の意志を示すことがないまま身動きがとれなくなったら、後で後悔することになる。

おそらく、過去にビジネスで成功した人々も、始めたときには「何が起こるか分からない」と思っていたことだろう。

ビジネスを進めるうえで重要なことはマネジメント理論ではないし、成功する可能性でもない。ビジネスを進める人の「これをしたい」という意志こそが最も重要なものである。

<審判と監督>

多くのルールや制度がある会社ほど、経営がしっかりしていて、業績も安定しているものと思い込みがちだが、実際はそうでもない。むしろ、このような会社では、経営者や管理職がルールや制度を運用することばかりを考えて、ビジネスへの取り組みが疎かになっているため、業績が低迷していることが多い。

今や、多くの経営者や管理職が、定められたルールを運用するための「審判」になってしまっている。ルールを厳格に適用し、ゲームを円滑に進めることばかりを考えて、ゲームに勝つことを考えていない。本来、経営者達は、審判でなく「監督」でなければならない。ゲームに勝つという自らの意志を明確に示し、勝つための戦術を定め、それにそって選手起用を決定する。そして、どうやればゲームに勝てるのか、どうすれば選手の能力を最大限に引き出すことができるのかを考える。監督には、戦術決定から選手起用に至るまでの絶大な権限が与えられている。だから、監督は、ゲームに負けた場合には全責任をとらなければならない。

マネジメント信仰が強まりルールや制度が増えていく中で、日本企業は、審判をたくさん抱えている一方、監督がいないチームのようになってしまった。これでは、ルールや制度に則ってゲームをすることはできても、ゲームに勝つことは出来ない。



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<コメント>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
以前、ブログで取り上げた『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる』の著者の最新作。

2010年「もしドラ」が大ヒットして、再度ドラッガーが注目されました。

私はこの大ヒットで、マネジメントを批判する本がいつか出るだろなーと予想していました。

やっぱり出ました。。。

以前取り上げた『「文系・大卒・30歳以上」がクビになる』で著者はホワイトカラーの批判をしていたので、今回取り上げた本のタイトルや内容にも納得しました。


―「マネジメント」だけでは企業は生きていけない。―

現在、勤め先で間接部門に所属している私としては、非常に耳の痛い話です。

確かに、会社に利益をもたらしている(プロフィットセンター)のは、モノを作っている工場の作業員や製品を売っている営業の人間です。

あくまで、我々のような間接部門は彼らのサポート役である事を認識しなければいけませんね。

<編集後記>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

あけましておめでとうございます。

本年もHIMETAKU成長期を宜しくお願いします。



またもや、久々の更新になってしまいました…

約2ヶ月振り…

この期間に私は、ある問題意識を持って企業研究をしていました。

2010年に起こった(怒った?)最大の事件は尖閣諸島沖の中国漁船衝突事故だと思います。

この事件により「中国」や「領土」について様々な論争が巻き起こりました。

そして、海上保安官による漁船衝突ビデオの動画共有サイト『YouTube』への流出事件が発生しました。

こちらも海上保安官の行為について、刑事事件になるのか議論が巻き起こりました。

私が興味を持ったのは、警察が投稿者の特定を行う為にGoogle日本法人(GoogleはYouTubeの親会社)へ投稿場所を問い合わせた結果、神戸・三ノ宮のネットカフェであると回答した点です。

Googleは『YouTube』への投稿者のどういう情報まで把握しているのだろうか?
それは捜査の為なら警察に情報を提供するのか?

『YouTube』以外の『Gmail』や『Googleカレンダー』のようなGoolgeが行っているサービスに登録している情報は捜査の為なら情報提供されるのか?

また、最近ではGoogleの無料のサービスをTVCMで流したり、GoogleのみがスポンサーのTV番組があるのは何故だろう?

どうして、Yahoo!に比べてシンプルな検索画面や無料のサービスで儲かるのだろう?

日本で、GoogleがYahoo!に検索エンジンを提供する事になったが、問題ないのだろうか?

Googleは何処へ向かっているのだろう?

等など、「Google」への疑問が溢れ出して来ました。そこで「Google」を企業研究する事にして、このhimetaku成長期の更新を止めていました。

ある程度「Google」という企業が見えて来ましたので、このブログでお伝えしたいと思います。

<お知らせ>++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

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 下記のメールアドレスか、もしくはコメントを宜しくお願いします。

 himetaku@mail.goo.ne.jp

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5 コメント

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Googleについて (サカムケ)
2011-01-11 22:25:14
苫米地英人著『FREE経済学入門』フォレスト出版にて「限界費用ゼロのグーグルが無限大の利益を得る」「グーグルに存在する弱点」「グーグル検索やGメールは、すでに世界を監視するパノプティコン」などの記述がありました。かなり平易に書かれているのでIT初級者の自分には解り易かったです。マネジメントもITも中途半端な知識で利用すると怪我をするのかも知れませんね。
Unknown (ジョシュ)
2011-01-14 09:37:56
新年一発目からカウンターパンチありがとうございます。自分自身、間接部門の人間として胸に刻んでおきます。
ところで「イチオシ」機能良いですね。アクセントが付き読みやすいです。こういった些細な改善も日常の研究の成果かも知れませんね。
それでは本年も良書紹介よろしくお願いします。
世代の違いか… (Unknown)
2011-02-21 23:11:47
経験・勘というのは教育を受けて身に付くものではなく、興味があるもの、疑問に思うものについて常に探究心を持って自らが実証に挑戦していくことで身に付くもので、その繰り返しによって得られた実績が自信・度胸に繋がるのではないですか?
企業は社員にそんな機会を提供したりしません。
もし、HIMETAKUさんが「経験・勘・度胸」を習得できたとしたら、あなたの後輩に対してどうアドバイスしますか?「経験・勘・度胸」を教えるということほど難しい教育は無いと思います。
コメントありがとうございます (himetaku)
2011-02-25 07:15:47
「経験・勘・度胸」というのは仰る通り、教育で身に付くものではないと思いますし、本人のモチベーションに拠る所が大きいと思います。
また、「経験・勘・度胸」を言葉で教えるのは、難しいと思います。

私の同世代やそれより若い世代と接していて感じるのは、本書にも書かれておりましたが、「理論・客観性」を重視して「経験・勘・度胸」を軽く見ている気がします。(特に学歴の高い人は…)

なので、まず私が後輩にアドバイスをするとすれば、「経験・勘・度胸」の重要性だと思います。

先日、学生時代の先輩と話していて「大人になって重要なのは、経験と実績じゃ!!」という言葉が出てきて、非常に印象的でした。

まさにこの言葉を理解させる事を、私は後輩の指導ですると思います。
理論→経験 (tep)
2011-02-27 10:02:00
人生の後輩です。

「理論、客観性」と「経験、勘、度胸」の対立図式について、恐らく少数派であるとは思いますが、僕の考え方を述べたいと思います。

僕の場合、傍から見れば理論偏重型と思われる事が多いのですが(笑)、自分自身は必ずしもそうではないと思っております。

1:僕(を含む若い世代?)が「理論・客観性」を重視しがちなのは、人生の先輩方と比べて「経験・勘・度胸」や実績で絶対的に劣らざるをえないからです。それであるにもかかわらず、人生の先輩方と社会を舞台に渡り合おうとするのであれば、差別化戦略、つまり勉強すれば身につけられる「理論・客観性」を武器にせざるを得ません。

2:ある程度理論を突き詰めていくと、「理論(論理)は何らかの経験・勘(前提)に基づいている」事を意識せざるを得ません。理論はあくまで物事を客観的に「見せる」事はできても、人の主観性を完全に排除する事は不可能だと考えています。さらに言えば理論を持った人に「度胸」が無ければそれは失敗以前に机上の空論です。

なので、「理論・客観性」を重んじる方がいるとすれば、仮に僕が彼に何かを言うのであれば、「もっと理論を突き詰めて学べ、そうしたら理論の限界がわかる!」と言うでしょうね。

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