貧々自適

仕事のかたわらデジカメを構えたり
季節のうつろいや人の優しさに触れ感激する
そんな貧乏オヤジのつれづれ帳です

一期一会(その1)

2005-10-17 09:21:59 | 想い出話
私のブックマークに登録させて戴いている方の過去ログを見ていて、思い出した話を…

昭和48年の5月の連休に、私としては二度目の「渡道」をしました。
当時は営業所勤務だったため、まとまった休みがとれず「大型旅行」はムリでしたが、
その年は六連休がとれ、「こりゃ、行くしかない!」と思い立ち出発を決意。

「ヘンなおじさん」を自認する私(当時から素質は充分…笑)のこととて、うすうすお分かりでしょうが、旅行といえば「一人旅」、しかもほとんど予約なしの行き当たりばったり。
もっとも取ろうにもシーズンで、旅行会社にオイシイのは押さえられてるワケですが…
とにかく帰りのきっぷ(夜行で朝そのまま出勤)だけは、と急行「きたぐに」の新潟からの寝台だけを押さえてGO!

日程は…
1日目:仕事を終え、神戸⇒敦賀 フェリーに乗船(船中泊)
2日目:船中連泊
3日目:早朝小樽着、小樽⇒旭川⇒C55のドン行・音威子府から急行「天北」⇒稚内(旅館泊)
4日目:宗谷岬に立ち、稚内⇒急行「天北」⇒旭川⇒層雲峡(ユースホステル泊)
5日目:層雲峡⇒黒岳⇒上川⇒北見⇒網走⇒川湯温泉(旅館泊)
6日目:川湯温泉⇒摩周湖⇒阿寒湖⇒釧路⇒急行「狩勝2号」⇒札幌
 札幌ラーメンだけ食べて、急行「すずらん6号」で函館へ(車中泊)
7日目:函館⇒青函連絡船⇒青森⇒急行「きたぐに」⇒新潟 寝台車に移り大阪へ(車中泊)
8日目:大阪着、そのまま出勤
今にして思えば、「ムチャクチャ」な日程やぁ!
もちろん稚内も層雲峡も川湯温泉も「飛び込み」で泊めてもらいました。
一人なら「なんとかなる」もんです。


笑い話
層雲峡から銀河・流星の滝を観て、バスで網走方面へ出るつもりが、路線バスがスト!
翌朝上川駅まで(ストが決行されたら)送迎バスが出ます、とユースホステルで案内があったにも拘らず、低血圧の習性か朝寝坊。

足がなくなったぁー!
どうやって層雲峡から出るんや?  

とりあえず黒岳へロープウェーで登り、残雪と寒さにビックリし、さて…
こうなりゃ伝家の宝刀「出たとこ勝負」を抜き、ヒッチハイクじゃー。
運良く通りかかった大阪ナンバーの車に乗せてもらい、とにかく上川駅までは行けました。
乗せてくれた私より少し年長のニィちゃん二人連れは、「こんなとこで大阪弁聞くとは思てへんかった」と笑ってました。あの時はありがと!

延長運転の「おおとり・オホーツク」をフンパツし、会社の北見出張所(本社から一番遠い!)に寄って、セールスマンに駅まで送ってもらいました。
旅行に出てもサラリーマンをひきずってたんだなぁ(笑)

美幌駅で乗り込んできた、摩周・屈斜路湖方面からとおぼしき乗客が「摩周湖が晴れで…」と話しているのを耳にし、明日も晴れるか?と一瞬不安がよぎりましたが、目は車窓にくぎづけ。
網走湖畔の水芭蕉、夕陽に照らされたオホーツク越しの知床連山は、今でも目に焼き付いています。

そういえば、日本を取り巻く四つの海(太平洋・日本海・東シナ海・オホーツク海)も全部見たんだ。その他、日本三景・日本三名園も行ったな。

つづく…

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2 コメント

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Unknown (もも)
2005-10-18 06:38:04
いいですね。旅行というのは行ける時に思い切って行かないと無理ですね。お金・時間・体力と揃う時を待っていたら一生来ないかも。北海道へは仕事で一度行ったきりです。支社の人に連れて行ってもらったのは支笏湖・洞爺湖・クマ牧場・羊が丘でした。仕事が終わってから夜、ススキ野に一人でふらふらと出て行ったけど二十歳の頃だったので別に楽しいとこもなくホテルに戻りました。5月頃に1ヶ月いたのですが、そのうちの1週間は風邪をひいて休んでました。さすがに北海道は朝晩が寒かったですね。

帰りの飛行機で周りにガタイのいい素人っぽくない派手な集団が乗っていたので桜組かと思ってました。羽田に着いて皆が持ってるバッグを見たら近鉄バッファローズと書いてありました。なーんだ。

仕事ではなく旅行でもう一度行きたいです。
私も、もう一度… (讃岐の団塊オヤジ)
2005-10-18 09:14:33
…と言わず、何度でも(笑)

親父の遺伝か、子どものころから「遠いところ」に憧れ、おかげで「地理・歴史」だけは常に5!(笑)



日程をごらんになるとお分かりのとおり、片道40時間のロングラン!、飛行機なら1/10の時間で行けますが、当時はスカイメイト以外の「超割」はなかったし、5月の連休にとれるはずもないし…



ただ仮に貧乏旅行でも、若い頃の「感性」があったからこそ、行き帰りの行程を含め「一生の想い出」となる旅ができたんだ、と思います。

飛行機で乗りつけ、グルメ三昧・おみやげどっさりというパック旅行は私の趣味に合いません。

その部分だけは「若い頃のまま!」



「那須の与一」のときのコメントの補足です。

私は詳しくないので、ちょっと調べました。

小手指ヶ原は、当時整備されつつあった(であろう)鎌倉街道(鎌倉往還)が、現在の所沢市を通っていたあたりのようですね。↓

http://www.asahi-net.or.jp/~ab9t-ymh/annai/kama1.html

傷心の義経一行が、鎌倉が遠くなった!と振り返る距離といえなくもないですね。



都内からこのあたりまで来ると(距離的に千葉・神奈川を含め)、私が関東住まいをしていたころなら、ところどころに雑木林が残り田畑があって「ほっ!」としたもんですが、今は景色も一変してるんでしょうか?…

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