いつもありがとうございます。toshiです。
自分の体験したことが人の役に立つんだってこと、先日、経験しました。
いや、そんなことは、何もその時が初めてじゃないかもしれません。
もしかしたら、自分が気がつかなかっただけで、今迄にも結構あったかもしれませんね。
でも、面と向かってそれを表現してもらい、明確にそのことを実感したことは、記憶ではあの時が一番。
その体験が、辛い出来事であればある程、相手には大きな救いとなったようです・・・。
辛い体験をされた方が、それがために世の中で知られるようになり、そして、政治の世界に入ったりNPO法人を立ち上げたりすることがよくあります。
辛い出来事だったでしょうが、その人はそのことで世の中の役に立たれるようになっていかれます。
逆に言えば、そのつらい出来事がなければ、そんな風にはならなかったと言えるでしょう。
そういう意味では、「どんなことも、無駄なことは何一つない・・・」と、良く耳にする言葉通りです。
例え、辛い出来事であったとしても、そのことでその人が成長し、そして、世の中の役に立たれるようになっていかれる・・・。
どんな出来事にも偶然はない。
すべてが、必要で、必然で、ベストなこと。
良く聞きますね、この考え方も・・・。
ただ、ただ・・・。
辛いことが今起きているその人にとっては、これはかなり厳しい言い方かもしれません。
だって、その時は、辛くて辛くて、とてもそんな風には思えないのですから・・・。
ところが、年月を経ると、ちょっと変わってくるから不思議です。
辛かった当時の出来事を、あの時はああだったなぁ~・・・と振り返ることができるようになった時、その出来事のお陰で今があるんだと思えるように・・・。
後になって冷静に考えると、あの出来事は、やっぱり、必要で、必然で、ベストだった・・・。
そんな風に思えることが、結構多いですね。
そういうお話、多くの方が仰っておられますね。
もう少し言えば、より辛い出来事、より大変な出来事こそ、あれがあったお蔭で今が・・・と思えるようです。
そして、そういう出来事こそ、実は、自分を成長させてくれていたことにも気がつくのです。
ですから、その時は本当に大変だぁ~と思ったことでも、後になって考えれば感謝なんですね。
その人を成長させるために神が与えてくれた、「恩寵的試練」と呼ばれるものでしょうか。
この言葉を初めて聞いたのは、私の場合は、モラロジーでした・・・。
自分の身の周りに起きることは、何かの必要があって起きている。
その出来事は、自分に何かを教えるために起きている。
その出来事は、自分を成長させるために起きている。
そう思うことで、対処の仕方が変わって来ますね。
本当にそう思えれば、更にそのことに感謝することもできるようになりますね・・・。
私の場合も、今までいろんなことがいっぱいありましたが、今振り返ってみると、確かにそう思えます。
ですから、やっぱり、感謝なんだぁ~。
それがさらに、他の人の役に立つようにでもなれば、、過去の出来事に対する考え方がもっと大きく変わることにもなります。
自分の辛い体験が、人のお役に立つことが出来た!
それを実感した、先日のひと時でした。
思い様で、どんな出来事も、ハッピーライフになっちゃうんですよねぇ~!
今日もお読みいただき、ありがとうございましたぁ~!(toshi)