いつもありがとうございます。toshiで~す。元気で~す。(笑)
またまた更新に間が空いてしまいました。
書きたいことはいっぱいあるんですけどねェ~・・・。
最近、父や母のことを思うことがとっても多くありました。
特にこの時期、父のことが多かったですね。
何せ暑い今、草との戦い?がありますからね。草を刈る度いつも思うんです。
「よくもこれだけの畑を、ちゃんときれいに管理していたもんだなあ。」って・・・。
私は今、畑では野菜を全く栽培していません。
草が大きくなったらその草を刈るだけです。
ですから、畑では、野草を栽培してるってことになっています。(笑)
一昨日は、終戦記念日でしたね。
この日だけは、特別な思いで父のことを思い出します。
軍人だった父は、この日を満州で迎えました。
日本が敗戦したことから、危険な場面を経験しながら、無事祖国へ帰ることができたようです。そのお蔭で、今の私がいるわけですね・・・。
その当時の父は、31歳か32歳。
同じ年齢の自分を考えた場合、あらゆる意味で違いの大きさに気が付きます。
そんな違いが、その後の父の生活と私の生活との差として表れているのかなあ・・・と、これを書きながら今思っています。
まっ、一つ言えることは、父は、とにかく一生懸命というか、必死になって全てのことをやっていたんだろと思います。
そうでなければ、この畑仕事ひとつとっても、あんなふうにはきれいに出来るはずがない・・・。
裏を返せば、私は必死になっていない…ということになります。
父の場合、農作業だけでなく、会社の仕事も趣味も、全てがそうであったように思います。
残念ながら私の場合、父に自慢できることは見つかりません。(笑)
とにかく、凄い父でしたね。
その思いは、年と共にますます強くなっています・・・。
写真は、壁にかけてある父の写真です。
父が病気で動けなくなり、3か月間ほど入院していた際、ベッドで横になっている時に写したものです。
厳しかった父が、この入院生活の中で、徐々に変わっていきました。
とにかく、優しくなっていったんです。
それは、ベッドでの生活となった父が、看護婦さんをはじめいろんな方のお世話を必要とする自分になり、何でも一人で出来た今までとは全く違うんだという、そんな自分の現実を本当に受け入れることができるようになった・・・。そんな心境の変化が、父を優しく変身させたように思えます。
まさにそれは、驚くべき変化でした。
先日もmasaとそのことを話しましたが、そんな時いつも出るのが、「お父さんは仏になったね!」という言葉です。
かつて、田圃の中で父と私が立ち往生し口論したことがありましたが、その時に発した父の言葉は、「俺の眼の黒い内は、俺のやり方でやる! それに従えんのならここから出ていけ!」というものでした。
こんなことを口にしていた父を知ってる私からすると、まさに父は「仏」になりましたね。
その時の父の言葉に対してtoshiはどうしたの?ですが・・・。
「分かった・・・」と言って、父に従った記憶があります。(笑)
この写真は、すでに心境の変化が起きた後の大変身した父なんでしょうね。
晩年の父に見られる、とってもやさしい表情をしていますから・・・。
この写真を見る度、いつも「ほっ!」っとするんですよ。
大好きです。この写真。
親のことを考えていると、全てが感謝に思えます。
お読みいただき、ありがとうございま~す!(toshi)