こんにちはmasaです。
今日は『ゆずり合う食卓』をお届けいたします。
母の子育てをしていた時代は、物がなくとも「幸せだねえ」と言いながら、みんなで助け合って生きていたんでしょうね。
父や母は、身を粉にしてまじめに働いた夫婦です。
以前、母は父のことを「全くすかたらん人(頑固で厳しいので好きになれない?)やよ」 と私に話をしてくれました。(笑)
父は確かに無口でしたので、その風貌は厳しい(笑)ものでした。
しかし、以前toshiがブログに書いた、父のお酒はお湯だった・・・、の件(4月12日) は、父と母の親を喜ばせたい 親に安心して晩酌をさせたい という純粋な気持ちから取った行動だったと思います。
今ごろ、天国で祖父は父に対して 「お前たち夫婦の気持ちが痛いほど分かっていたので、だまされたふりをしていたんだぞ 特にトミスケの喜ぶ姿を見ることが楽しくて・・・。嬉しくて・・・。 あの嫁は優しい子だったからな」 と親子で語り合っているのでは?・・・ (笑)
そして、トミスケは子供たちに対しても同じことをしています。
子供たちが喜ぶ姿が見たくて・・・。
自分が食べなくても・・・。
明治、大正生まれの女性は、どんな時も自分のことはさておき、愛する人のために尽くし抜いた感じがします。
母は認知症になって、食べる楽しみが増した気がします。
「おいしい」「しあわせやわ」 と言って食べている姿を見て、こちらが幸せな気持ちになります。
そんなトミスケは、時々食事中に私たちに向って、「これ食べやあ~、おいしいで食べやあ~」と大好きな食べ物をくれます。
はじめの頃は、「お母さんの分だから安心して食べればいいよ」と言っていましたが、ある時からとりあえず「ありがとう じゃあいただくわ」と言うようにしました。
すると、本当に嬉しい顔をして、「うっれしい!」と満足げです。
そして、先ほど母から受け取った物を別の角度から差し出す(笑)と、それは満面の笑みで、「私それ欲しかったんよ 嬉しい」と大はしゃぎ。
それはそれは可愛いひと時です。
我が家では、こんな「ゆずり合う食卓」で大いに盛り上がります。
お世話になっている施設では、隣の方の食事まで拝借してしまうこともあるようですね。他にも、もっといろいろあるんでしょうね・・・。
施設の皆様方には、いつも感謝しております。
本当にありがとうございます。
我が家の泣き笑い感動ストーリー・・・
第2話をお読みくださってありがとうございました。(masa)
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