霊が見える!声が聞こえる!って、すごいのですか?
人と違っているからすごいと思うのでしょうね。
本来人には、霊が見える。声が聞こえる能力はありません。
そういう能力はない方が幸せだと思います。
ちまたには、霊がついているから痛くなる、不幸になるといって
霊をとる人がいます。
霊をとるなんて、おこがましい!。
霊がつくのを許可したのは、神様です。
霊界を統一する神様、さらにその上の神々が許可をしたわけです。
それをとる?なんて三次元の人間はしてはいけないことです。
とる人は、とっただけの見返りがきます。
霊がかかるのは、意味があります。
その人が、同じものを持っているからです。
依存する人は、霊も依存しています。
寂しい人には、寂しいと感じる霊がかかります。
礼がかかることが悪いとか、かからないほうがいいという考え方が違っているのです。かかるにはかかるだけの意味があるのです。
汚れが同じということを認めなければなりません。
霊が見える人とも声が聞こえる人も、
まるで特殊能力があるかのように得意気になることが多いようです。
得意になるよりも、特異と感じるべきです。
悪いものしか見えないのなら、もっとレベルを上げて、
神様や天使を見えるようになってほしいと思います。
また、本当に見えるのならば、何をしたか克明に話して、
その人の今世の生き方を変えるだけのアドバイスをして欲しいものです。
見えるのは、どこの誰とつながってみえているのか。
聞こえるのは、どこの誰とtながって聞こえるのか。
見えるもの、聞こえるものに騙されなよう、
もっと謙虚に本質を見つめなければならないのではないでしょうか。
誇らしげに自慢をする生き方は、他の人を惑わせ、熱の道に導きかねません。