お久しぶりです。
さて、先月あたりにふらっと思ったわけです。
そうだ、イギリスに行こう。
行こうと思ったのが7月の二週目あたり。即日旅行会社を巡りました。
近畿、JTB、HISとまわり、同じ時期のチケットで、22万~、15万~、8万~と提示されたので、迷いもなくHISに決定。
チケットとるにはパスポートが必要なんですが、そのとき思い出しましたね。あ、パスポート壊れてら(以前の旅で、びりぼろに。
前回の韓国はなんなくクリアしましたが、イギリスは、入国審査がものすごく意地悪らしく、破れたパスポートじゃ、まず通してくれないとの情報をゲットしていたので、じゃあパスポートを新規作成してくるか、と思ったわけです。
そうしたら、HISのお姉さんはいいました。
「新規となると・・・旅券番号は変更になるわけですよね?」
「そうですねえ」
「となると・・・チケットの予約には、旅券番号が必要ですので、番号がわかるまではチケットのご予約はできかねます」
えーと。
ぴっぽっば。
「・・・あ、もしもし、旅券センターさんですか。これこれこういう理由で再発行したいんですが、どれくらいかかりますか?」
「はい、一週間ですね」
行きたかったのが、23日。
パスポート発行できるのが、22日。
チケット予約できるのが、発行の24時間前なので、21日。
あら。
って思いましたね。
さすがに前々日のフライトが予約できるわけねえやと。
でも今回は強制送還確実コースなので、現行のパスポートはまず無理だと、とりあえずチケットはキャンセルして、パスポートの再発行へ。
いけないの、9割の確率だったんですが、まあ、今後ね、こういうことがないように、パスポートはつくっとこうと思ったんです。
てゆか、前回の韓国いった帰りにでもつくっとけよ自分。
・・・・って、何回自分つっこみしたことか。
で、昨日。
HISのおねーさんとこに電話したんです。
「もしもーし。よーこでーす。今日、明後日のフライトのチケットとりたいんですけどー。空席ありますかねえ・・・」
「ええと、少々お待ちください。・・・・申し訳ありませんが、以前ご案内したチケットの販売は終了しておりまして・・・・」
ですよねー。
わかってたとはいえ、やっぱちょっと悲しい・・・・
「あの、少し高くなりますが、タイ航空のものでしたらご案内できますが」
「タイ・・・いくらですか?」
「10万円ですね(以前のものは、ロシアのもので、8万」
「・・・・!!!! じゃあ、それで!」
てわけでチケットとりました。
やっほい。
二万高くなったよ。
二万高くなったよ。
下呂温泉いけちゃうよ。しくしく。
なにはともあれ、てわけで。
行ってきました、イギリスに。
23日の朝。
相変わらず、ばたばたと旅支度を調えるわたしがいた。
最低、パスポートとチケットとお金があればなんとかなると思いつつ、スーツケースのふたを閉める。
空港までの電車に乗り込んで、ふと、腕時計を忘れたことに気づいた。
むしろ時間を気にしない旅ができていいかもしれない、と思ったのは、最初のうちだけだった。
乗り換え時間はわからない、待ち合わせ時間もわからない。
時計は、思えば重要な位置にあったのだ。
空港についたものの、夏休みという時期にしては、あまり人はいなかった。
不況のせいか、インフルエンザのせいだろうか。
今回使う航空会社は、タイ航空。
わたしが今まで使った中では、一番食事が美味しいと思う。
タイで一度乗り換えるのだが、その待機時間は半日ある。
日本から持ってきた本で時間をつぶそうとしたものの、そのあまりに退屈な時間はもはや敵だった。
思うに、旅をするのに重要なものは、ときに勇気であり、好奇心といったものであると思うのだが、実際、一人の時間を上手に過ごせる人が、一番旅に向いているのかもしれないと思った。
さて、24日の朝7時過ぎ。
わたしは念願の、イギリスはロンドン、ヒースロー空港にたどり着いた。
難関とされる入国審査に怯えたものだが、実際、代えたばかりのぴかぴかのパスポートがものをいったのか、「どこからきたの?」「滞在日数は?」「目的は?」の、簡単な質問のみで、あっさりとわたしは入国を許された。
さて、ここからが問題だ。
寸前まで行くかどうかが決まらなかったわたしは、当然宿もとれていなかった。
頼りは、現地に住んでいる友人だ。
荷物を受け取って、公衆電話で連絡をとる。
「あ、もしもしー。よーこでーす。ついたー。えーと・・・宿がとれませんでした。泊まっていい?」
「いいよ」
仮に、この相手をIさんとしよう。
もともとオーストラリアで知り合った日本人で、日数的にいったら、これまでに会ったのは10日に行くかどうかだろう。
ただ、旅の途中で知り合った人は、なんとなく、ずっと昔からの友人のようである、という法則のままに、図々しくも、泊めてもらうことにした。
空港から電車、バスを乗り継ぎ、シティの中心から少し離れた場所に、Iさんの家はあった。
途中の坂道で、リスが木の上から道路へと、ころころと飛び出してきて、思わず歓声を上げる。
建物はすべて、歴史を感じさせる、重々しいものばかり。
その中で、至る所に、かわいらしい花が飾られていて、その光景は、まるで本の中のようだと、変な感動をしていた。
その中の1つ、校舎のように、コの字を描いたアパート(とはいっても、とてもすてきなマンションだ)が、Iさんの住んでいる場所だった。
荷物を置いて、シャワーを浴びて、さっそくわたしは、Iさんとともに大英博物館にいった。
大英博物館!
いつから夢見ていただろう。
いつか行きたいと思っていた、その場所の1つが、今、目の前にある。
バス亭をおりて、長い柵のまわりを歩く。
中を覗くと、ひときわ威厳漂う建物があった。
「ね、もしかして、これ? 大英博物館?」
「そうだよ」
想像通りの、いや、それ以上の迫力。
偉大な歴史の積み重なりが目の前に突如現れたような、迫力。
古今東西、あらゆるものが集められた博物館。特別展示物を覗く、ほぼすべてのものが、無料でみることができ、撮影もしていいのだという。
無造作だと思うほどに、いたるところに展示物が置かれている。
柵や、ガラスケースといったものにはいっていないものも多数ある。
さてはレプリカなのだろうかとも思ったが、Iさんのいうところによると、以前、誰かが手を伸ばそうとしたところ、ある一定のラインで警報装置がなっていたのをみたことがあるといっていた。
結局、ロンドンに滞在する間、わたしは二度、ここを訪れたが、わたしが目にできたものは、十分の一にも満たないと思う。
それほど、この200年あまりにもなる博物館の展示物は膨大だった。
17時半。
閉館時間を迎え、わたしたちは帰途についた。
途中で、Iさんの電話に連絡がはいった。
仕事の同僚の誕生日パーティが開催されるのだという。
「一緒にくる?」
「え、いいの?」
思わず頷くと、やっぱ図々しいね、とちょっと笑われた。
Iさんの同僚であるY氏は、高校のときからこちらで生活している人だという。
何はともあれ、欧米系の方々は、ホームパーティが好きだと思うのだが、Y氏は、長く海外生活をしているだけあって、その誕生日パーティも、まるでドラマのような風景だった。
Iさんが、家の前でわたしのことをY氏に紹介してくれたとき、こんなことがあった。
「こっちが、オーストラリアで知り合った、よーこさん」
「よーこでーす、よろしくお願いしまーす」
「オーストラリア? そっか、よかった」
Y氏のほっとした顔に、思わず問い返す。
「何でですか?」
「いや、今日、ネイティブが四人きてるからさ」
ネイティブ!
彼のために買ってきたワインを渡して、そのまま即座に周り右しようかと思った。
自慢じゃないが、英語なんてとっくに忘れている。
というか、オーストラリアにいたからって、英語がしゃべれるわけじゃない。
サーカスを百日ずっと見続けたって、熊に曲芸を教えるようになるわけがないのだ。
そんなわたしの隣で、Iさんはいったものだ。
「あ、だいじょうぶだいじょうぶ。よーこさん、ばりばりしゃべれるから。ほんと」
わたしの口は、ばりばり煎餅をかじるためにあります。
そんなこんなで、パーティははじまった。
カウンターに、バーよろしく置かれたさまざまなお酒。
Y氏は、料理が上手で、巨大なラザニアや、美味しいサラダ、唐揚げなど、つぎつぎとできたての料理を披露してくれた。
ほかにも、台湾人や、別の日本人、イギリス人など、いろいろな人がきていた。
酔ってしまえば口もすべるだろうと、とりあえず「ウォッカ」などを飲んでみる。
ほろ酔い気分ならば、恥もなくなり、会話だろうがなんだってできる。
気づけば、時間は午前をまわろうとしていた。
ロンドンの交通事情は、便利だ。
正確なタイムテーブルというものはないものの、バス、地下鉄が発達していて、数分ごとに出ている。夜はナイトバスというものがあって、24時間営業しているところも多いのだとか。
だいたい、わたしはその日ついたばかり。
待機時間も合わせて、軽く30時間、夜だか朝だか、いつごはんを食べたのか、眠っていいのかわからない時間を過ごしていたので、その日はIさんの家に帰って、すぐに眠りについた。
翌日からは、実にハードだった。
もともと、無計画でロンドンにきたわたし。
大英博物館にいくのが第一目的だったので、とりあえずそこさえクリアすれば、我が人生に悔いなし、の思いだった。
だが、宿主のIさんは、いろいろとツアーコーディネートをしてくれたのだ。
「こことここと・・・あと、ここはどう? ここもいいよ。バスはここでいくと、つけるし。ほとんど無料だよ」
ロンドンについた当初、Iさんのすすめでバスパスを買ったわたしは、滞在中、フル活用して、結局交通費は、そのパスの約16ポンド(デポジットが3ポンドある。パス最終日に、カードを返却すれば、3ポンドが返却される)に終わった。
25日からの二日間は、まさに、果汁100%なみに凝縮された日々だった。
まず、25日。
家からバスでロンドンブリッジまで行き、それからかわいらしい教会の隣でやっていたバラマーケットを覗く。そこでは多種多様なチーズ、オリーブ、美味しい出店がたくさん並び、教会の庭では、人々が思い思いに座り、くつろいでいた。
それからテムズ河のほとりを歩き、現代芸術チックな美術館、テートモダンを訪れ、その奇抜な内容に目を丸くした。
正直、このロンドンの滞在の中で一番好きになった美術館かもしれない。趣向をこらしたその作品たちは、ただ綺麗なだけの絵画や像などといった芸術作品に興味のない人でも、おもしろおかしく楽しめるようになっていた。
シェイクスピア劇場をのぞき、それからわたしは、まるでおとぎ話のような外観の、タワーブリッジを渡り、グリニッジへ向かった。
グリニッジは、子午線ゼロ地点とされ、東経、西経の線がはめこまれている。そこが、東半球と西半球をわける境目ということだ。
そのすぐ近くにあるのは、古き昔に思いをはせたくなるような、肖像画が飾られているクイーンズハウス。
気づけば、時刻は夜の6時になろうとしていた。
翌日は、Iさんに進められ、フラワーマーケットへ。
バス亭をおりたところから少し歩くが、道に迷う心配はない。
植木鉢や花束をかかえた人たちが、ある方向からぽつぽつと歩いてくる。
決してひろいとはいえない道路の両脇に、ところせましと花が並んでいる。
道は花を求める人々でごった返しになり、店主たちが、いかに自分の花がすばらしいかを、声を高らかにして歌う。
その道沿いにある小さなお店で、安くてボリュームのあるパイを1つ買い、食べながら花を見た。
見たことのない花、小さくかわいらしいもの、色とりどりの花弁が誘うように顔を向ける。
日常の一部として、その花たちを買っていく街の人々。
古めかしい建物とあいまって、ああ、英国だなと、感動したものだ。
次に出向いたのは、バッキンガム宮殿。
エリザベス女王がいるときは、王室旗が掲げられ、不在の時は国旗が掲げられるのだという。
わたしが出向いたときは、国旗が風に揺られていた。
外観を損ねない、優美な線を描く柵の向こうに、くるみわり人形に出てくる、赤い服と黒く長い帽子の衛兵がたたずんでいた。
お次は、ビックベンだ。
セントジェームズパークを、川のほとりをのんびり歩きながら横切った先にある時計台で、ロンドンにきたと実感させられるものの代名詞の1つだ。
ビックベンといい、宮殿といい、そのあとにいったウェストミンスター寺院や、ホースガーズ(近衛騎兵隊司令部)といい・・・たとえ道沿いにある、なんてことのないマンションですら。
日本でいう、その名前からしては想像できないほどの重厚さ、歴史的な感慨深さを感じさせる。
なんていったらいいのかわからない。
街全体が、1つの博物館のようだと思った。
テムズ河のほとりを離れ、わたしはハイド・パークをつっきることにした。
ヴィクトリア&アルバート美術館にもはいったが、ここも例外にもれず広く、そして、部屋全体があるテーマにそったものになっていたりなど、やはりどの博物館とも違った様相だった。
そのあと出向いたのが、ケンジントン宮殿。
その前には、リスや鳥が遊び、花咲き乱れる、楽園のような小さな庭園があった。
3日目は、すこしゆったりと過ごした。
オックスフォードストリートをてこてこと歩く。
両替のためだ。
日本の空港のレートが、165円。英国の空港では、175円。
このオックスフォードでは、同じ通り沿いにいくつか両替所があったが、それぞれ、167~165~163円と、値段は少し変動していた。
わたしがみつけたもっともいい両替所は、スペイン系の小さな食べ物屋さんの隅でやっていたところにある。
たぶん探せば、レートがいいところはもっとあると思う。
仕事の終わったIさんと合流して、ナショナルギャラリーに行く。
モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ラファエロなどといった、聞いたことのある名前がいくつもあった。
最後に、ゴッホの「ひまわり」を見た。
すごい。
実際すごいのか、まわりの雰囲気に押されたのか、教科書でみた絵がここに!という感動だったのか、とにかく確かにひきつけられるものがあった。
迫力とでもいうのだろうか。
一週間ばかり、わたしはロンドンに滞在したが、そのなかでいくつもの歴史ある建物、美術品、展示物を見てきた。
いいかげん歩きづめの毎日で、しまいには、何を見ても頭のなかを素通りするようになってくるのだけれど、それでも、ひきつけられるものの前では、思わず足がとまった。
あくまでわたしにとってだけれど、頭の中が瞬間白くなるもの、鳥肌がたつもの。
足の痛みや疲れやけだるさが、一瞬すべてなくなるもの。
そんなものに出会えた日々が、わたしはとても嬉しく、幸せに思った。
28日。
出発前日。
いつのまにか、そんな日になっていた。
わたしはひとり、ピカデリーサーカス周辺をうろつき、お土産の物色にはいった。
これまでの経験上、なまじお土産物屋で買うよりも、現地のスーパーで買ったほうが、安価で、ローカルなものが買えると踏んでいたので、あくまで、参考のための物見遊山のつもりだった。
だが、わたしはとある店にはいった。
スーツを着たスタッフたちがいる、調度品や、光彩の具合も計算してつくられたであろう、高級感溢れるお店。
ただ、覗くだけのつもりだった。
買うつもりはなかった。
そうして気づくとわたしは、ずっしりと手首に響く袋をぶらさげていた・・・・。
ブランドの高さだ。
わかってる。わかってる。
値段と味は比例しない。
高級ビターチョコより、チロルチョコのがわたしは好きだ。
わかってる。
旅におもりは必要ない。
お土産といえど、軽くすませるのが基本。
わかってる。
実際わたしがそこで買ったのは、瓶詰めのジャム(重い)やら、瓶詰めのジャム(2つかった)、缶いりの紅茶(重い。せめてパックのにすれば軽いものを。そして高い)を二箱。その他、たぶん、お繊細な味がするだろう、チョコたち(わたしがこれまでに買った昼食代の総合計を軽く超す)やらなんやら・・・・
重い。
高い。
重い。
店を出て、我にかえった瞬間、思わず、何やってんだとつぶやいた、そんな英国の夏。
そのあとで寄ったスーパー(TESCO。ロンドンでよくみかけたチェーン店)でもやっぱりお土産を買った。
目を引いたのが、チーズ。
日本で買うと馬鹿見たいに高いチーズが、およそ半額くらいの値段でうっている。
どうみても要冷蔵の物品だ。
お土産にするなんて、ありえない。
そう思いつつ、手がわしづかみ。
えーと、ブルーチーズと、ブルーチーズと、ブルーチーズと・・・(最近お気に入り)。
結果。
スーツケースがえらいことになった。
きたときは13キロ。
帰りは、25キロ。
あとで見てみると、「heavy」の札がちらりとはってあった。
どれくらい重いかというと、さりげなく、車輪がとけた。
溶けたのだ。
たぶん、摩擦熱によってとけたのだろう。
何か車輪が動かないなと思って見てみると、4つあるうちの1つがとけて、動かなくなっていたのだ。
より重いスーツケースが、より動かない。
最後の最後で、さすがに泣きそうになったものだ。
さて、泣きそうになったことは、まだある。
最終日。29日。
Iさんにお礼をいって、別れ、一人、地下鉄にのって空港を目指す。
そこで、目的の駅名がおかしいことに気づいた。
「ヒースロー空港。ターミナル1&2&3、4、5」
・・・・あれ、なんで分裂してんの?
慌ててガイドブックの「地球の歩き方」を見ると、「ターミナルが別れていて、降りる駅はエアラインによって違うため、あらかじめ、確認しておこう」と書かれている。
しらねーおせー。
ついでに、ちらりと見たページには、「リコンファーム(航空会社に、前もって搭乗確認をすること)をしておこう!」などと書かれていた。
しらねーつか忘れてたよもー。なんだよそれもーしらねーしらねーうわーあ。
ここまでいくと、ふてくされるしかない。
たまたま同じ列車にのっていた、旅ルックの老夫婦が話しかけてきた。
「あなたはどこのターミナルを使うの?」
「わかんないんです・・・」
「まあっ!」って顔されました。
こっちも「まあっ!」って叫びたい。
彼らは、ターミナル4の駅でおりていった。
駅は、ターミナル1~3、4、5の3つに分かれている。
地球の歩き方の簡単な説明と、確率的に可能性が高いほうだと、わたしはひとまずターミナル1~3駅でおりることにした。
おりたはいいが、すぐに案内表示が出てくる。
1か、2か、3かを選べと。
しばし迷ったあげく、たまたまいた日本人のあとについていくことにした。
彼らはターミナル3へと足を運んだ。
幸いなことに、それが正解だった。
わたしがのる航空は、このターミナル3が出発地点だったのだ。
もっとも、今後もオリンピック開催に向けて、ターミナルは変化していくようなので、都度確認は必要だろう。
そんな英国旅行。
環境面でいえば。
気温は、あらかじめ聞いていたものの、予想以上に寒かった。
日差しは眩しく、じりじりと暑いのだが、空気が驚くほどに冷たい。
昼はまだしも、夜は、確実に厚手のパーカーが一枚あるとよかっただろう。
雨がふりやすいとは聞いていたが、わたしがいたときは、比較的晴れていて、青空が見えることも珍しくなかった。
ただ、雨がふると、スコールのようにふることもある。
冷え込み、寒さで震えることになる。
わたしは、暑さは弱いけど、寒さは平気だろうとたかをくくって夏ルックでいったあげく、夜の冷え込みには我慢ができず、航空機でぱくった毛布をまきつけて街を散策するはめになった。
食べ物。
話で聞いていた不味さも高さもなかった。
というよりも、わたしが外で食べたのは、初日のハンバーガーと、あとは昼時のミートパイなどといった小さなものだ。
パイはいろいろなところで買ったが、ものによるが、たいがいは1つで腹がふくれるほどにボリュームがあり、熱々で美味しい。安ければ1ポンド以下のものもあった。
たぶん、もう少しちゃんとした、英国らしいお店で外食をすれば、高くもあれば、まずくもあるのでもないのだろうかと、勝手に推測している。
野菜やお米なども、特別高いと思ったこともなかった。
さて。
・・・振り返ってみれば、もう、だ。
夢だったような、短かったような、長く長くイギリスにいたような。
ほんとに楽しい旅でした!
以上!
さて、先月あたりにふらっと思ったわけです。
そうだ、イギリスに行こう。
行こうと思ったのが7月の二週目あたり。即日旅行会社を巡りました。
近畿、JTB、HISとまわり、同じ時期のチケットで、22万~、15万~、8万~と提示されたので、迷いもなくHISに決定。
チケットとるにはパスポートが必要なんですが、そのとき思い出しましたね。あ、パスポート壊れてら(以前の旅で、びりぼろに。
前回の韓国はなんなくクリアしましたが、イギリスは、入国審査がものすごく意地悪らしく、破れたパスポートじゃ、まず通してくれないとの情報をゲットしていたので、じゃあパスポートを新規作成してくるか、と思ったわけです。
そうしたら、HISのお姉さんはいいました。
「新規となると・・・旅券番号は変更になるわけですよね?」
「そうですねえ」
「となると・・・チケットの予約には、旅券番号が必要ですので、番号がわかるまではチケットのご予約はできかねます」
えーと。
ぴっぽっば。
「・・・あ、もしもし、旅券センターさんですか。これこれこういう理由で再発行したいんですが、どれくらいかかりますか?」
「はい、一週間ですね」
行きたかったのが、23日。
パスポート発行できるのが、22日。
チケット予約できるのが、発行の24時間前なので、21日。
あら。
って思いましたね。
さすがに前々日のフライトが予約できるわけねえやと。
でも今回は強制送還確実コースなので、現行のパスポートはまず無理だと、とりあえずチケットはキャンセルして、パスポートの再発行へ。
いけないの、9割の確率だったんですが、まあ、今後ね、こういうことがないように、パスポートはつくっとこうと思ったんです。
てゆか、前回の韓国いった帰りにでもつくっとけよ自分。
・・・・って、何回自分つっこみしたことか。
で、昨日。
HISのおねーさんとこに電話したんです。
「もしもーし。よーこでーす。今日、明後日のフライトのチケットとりたいんですけどー。空席ありますかねえ・・・」
「ええと、少々お待ちください。・・・・申し訳ありませんが、以前ご案内したチケットの販売は終了しておりまして・・・・」
ですよねー。
わかってたとはいえ、やっぱちょっと悲しい・・・・
「あの、少し高くなりますが、タイ航空のものでしたらご案内できますが」
「タイ・・・いくらですか?」
「10万円ですね(以前のものは、ロシアのもので、8万」
「・・・・!!!! じゃあ、それで!」
てわけでチケットとりました。
やっほい。
二万高くなったよ。
二万高くなったよ。
下呂温泉いけちゃうよ。しくしく。
なにはともあれ、てわけで。
行ってきました、イギリスに。
23日の朝。
相変わらず、ばたばたと旅支度を調えるわたしがいた。
最低、パスポートとチケットとお金があればなんとかなると思いつつ、スーツケースのふたを閉める。
空港までの電車に乗り込んで、ふと、腕時計を忘れたことに気づいた。
むしろ時間を気にしない旅ができていいかもしれない、と思ったのは、最初のうちだけだった。
乗り換え時間はわからない、待ち合わせ時間もわからない。
時計は、思えば重要な位置にあったのだ。
空港についたものの、夏休みという時期にしては、あまり人はいなかった。
不況のせいか、インフルエンザのせいだろうか。
今回使う航空会社は、タイ航空。
わたしが今まで使った中では、一番食事が美味しいと思う。
タイで一度乗り換えるのだが、その待機時間は半日ある。
日本から持ってきた本で時間をつぶそうとしたものの、そのあまりに退屈な時間はもはや敵だった。
思うに、旅をするのに重要なものは、ときに勇気であり、好奇心といったものであると思うのだが、実際、一人の時間を上手に過ごせる人が、一番旅に向いているのかもしれないと思った。
さて、24日の朝7時過ぎ。
わたしは念願の、イギリスはロンドン、ヒースロー空港にたどり着いた。
難関とされる入国審査に怯えたものだが、実際、代えたばかりのぴかぴかのパスポートがものをいったのか、「どこからきたの?」「滞在日数は?」「目的は?」の、簡単な質問のみで、あっさりとわたしは入国を許された。
さて、ここからが問題だ。
寸前まで行くかどうかが決まらなかったわたしは、当然宿もとれていなかった。
頼りは、現地に住んでいる友人だ。
荷物を受け取って、公衆電話で連絡をとる。
「あ、もしもしー。よーこでーす。ついたー。えーと・・・宿がとれませんでした。泊まっていい?」
「いいよ」
仮に、この相手をIさんとしよう。
もともとオーストラリアで知り合った日本人で、日数的にいったら、これまでに会ったのは10日に行くかどうかだろう。
ただ、旅の途中で知り合った人は、なんとなく、ずっと昔からの友人のようである、という法則のままに、図々しくも、泊めてもらうことにした。
空港から電車、バスを乗り継ぎ、シティの中心から少し離れた場所に、Iさんの家はあった。
途中の坂道で、リスが木の上から道路へと、ころころと飛び出してきて、思わず歓声を上げる。
建物はすべて、歴史を感じさせる、重々しいものばかり。
その中で、至る所に、かわいらしい花が飾られていて、その光景は、まるで本の中のようだと、変な感動をしていた。
その中の1つ、校舎のように、コの字を描いたアパート(とはいっても、とてもすてきなマンションだ)が、Iさんの住んでいる場所だった。
荷物を置いて、シャワーを浴びて、さっそくわたしは、Iさんとともに大英博物館にいった。
大英博物館!
いつから夢見ていただろう。
いつか行きたいと思っていた、その場所の1つが、今、目の前にある。
バス亭をおりて、長い柵のまわりを歩く。
中を覗くと、ひときわ威厳漂う建物があった。
「ね、もしかして、これ? 大英博物館?」
「そうだよ」
想像通りの、いや、それ以上の迫力。
偉大な歴史の積み重なりが目の前に突如現れたような、迫力。
古今東西、あらゆるものが集められた博物館。特別展示物を覗く、ほぼすべてのものが、無料でみることができ、撮影もしていいのだという。
無造作だと思うほどに、いたるところに展示物が置かれている。
柵や、ガラスケースといったものにはいっていないものも多数ある。
さてはレプリカなのだろうかとも思ったが、Iさんのいうところによると、以前、誰かが手を伸ばそうとしたところ、ある一定のラインで警報装置がなっていたのをみたことがあるといっていた。
結局、ロンドンに滞在する間、わたしは二度、ここを訪れたが、わたしが目にできたものは、十分の一にも満たないと思う。
それほど、この200年あまりにもなる博物館の展示物は膨大だった。
17時半。
閉館時間を迎え、わたしたちは帰途についた。
途中で、Iさんの電話に連絡がはいった。
仕事の同僚の誕生日パーティが開催されるのだという。
「一緒にくる?」
「え、いいの?」
思わず頷くと、やっぱ図々しいね、とちょっと笑われた。
Iさんの同僚であるY氏は、高校のときからこちらで生活している人だという。
何はともあれ、欧米系の方々は、ホームパーティが好きだと思うのだが、Y氏は、長く海外生活をしているだけあって、その誕生日パーティも、まるでドラマのような風景だった。
Iさんが、家の前でわたしのことをY氏に紹介してくれたとき、こんなことがあった。
「こっちが、オーストラリアで知り合った、よーこさん」
「よーこでーす、よろしくお願いしまーす」
「オーストラリア? そっか、よかった」
Y氏のほっとした顔に、思わず問い返す。
「何でですか?」
「いや、今日、ネイティブが四人きてるからさ」
ネイティブ!
彼のために買ってきたワインを渡して、そのまま即座に周り右しようかと思った。
自慢じゃないが、英語なんてとっくに忘れている。
というか、オーストラリアにいたからって、英語がしゃべれるわけじゃない。
サーカスを百日ずっと見続けたって、熊に曲芸を教えるようになるわけがないのだ。
そんなわたしの隣で、Iさんはいったものだ。
「あ、だいじょうぶだいじょうぶ。よーこさん、ばりばりしゃべれるから。ほんと」
わたしの口は、ばりばり煎餅をかじるためにあります。
そんなこんなで、パーティははじまった。
カウンターに、バーよろしく置かれたさまざまなお酒。
Y氏は、料理が上手で、巨大なラザニアや、美味しいサラダ、唐揚げなど、つぎつぎとできたての料理を披露してくれた。
ほかにも、台湾人や、別の日本人、イギリス人など、いろいろな人がきていた。
酔ってしまえば口もすべるだろうと、とりあえず「ウォッカ」などを飲んでみる。
ほろ酔い気分ならば、恥もなくなり、会話だろうがなんだってできる。
気づけば、時間は午前をまわろうとしていた。
ロンドンの交通事情は、便利だ。
正確なタイムテーブルというものはないものの、バス、地下鉄が発達していて、数分ごとに出ている。夜はナイトバスというものがあって、24時間営業しているところも多いのだとか。
だいたい、わたしはその日ついたばかり。
待機時間も合わせて、軽く30時間、夜だか朝だか、いつごはんを食べたのか、眠っていいのかわからない時間を過ごしていたので、その日はIさんの家に帰って、すぐに眠りについた。
翌日からは、実にハードだった。
もともと、無計画でロンドンにきたわたし。
大英博物館にいくのが第一目的だったので、とりあえずそこさえクリアすれば、我が人生に悔いなし、の思いだった。
だが、宿主のIさんは、いろいろとツアーコーディネートをしてくれたのだ。
「こことここと・・・あと、ここはどう? ここもいいよ。バスはここでいくと、つけるし。ほとんど無料だよ」
ロンドンについた当初、Iさんのすすめでバスパスを買ったわたしは、滞在中、フル活用して、結局交通費は、そのパスの約16ポンド(デポジットが3ポンドある。パス最終日に、カードを返却すれば、3ポンドが返却される)に終わった。
25日からの二日間は、まさに、果汁100%なみに凝縮された日々だった。
まず、25日。
家からバスでロンドンブリッジまで行き、それからかわいらしい教会の隣でやっていたバラマーケットを覗く。そこでは多種多様なチーズ、オリーブ、美味しい出店がたくさん並び、教会の庭では、人々が思い思いに座り、くつろいでいた。
それからテムズ河のほとりを歩き、現代芸術チックな美術館、テートモダンを訪れ、その奇抜な内容に目を丸くした。
正直、このロンドンの滞在の中で一番好きになった美術館かもしれない。趣向をこらしたその作品たちは、ただ綺麗なだけの絵画や像などといった芸術作品に興味のない人でも、おもしろおかしく楽しめるようになっていた。
シェイクスピア劇場をのぞき、それからわたしは、まるでおとぎ話のような外観の、タワーブリッジを渡り、グリニッジへ向かった。
グリニッジは、子午線ゼロ地点とされ、東経、西経の線がはめこまれている。そこが、東半球と西半球をわける境目ということだ。
そのすぐ近くにあるのは、古き昔に思いをはせたくなるような、肖像画が飾られているクイーンズハウス。
気づけば、時刻は夜の6時になろうとしていた。
翌日は、Iさんに進められ、フラワーマーケットへ。
バス亭をおりたところから少し歩くが、道に迷う心配はない。
植木鉢や花束をかかえた人たちが、ある方向からぽつぽつと歩いてくる。
決してひろいとはいえない道路の両脇に、ところせましと花が並んでいる。
道は花を求める人々でごった返しになり、店主たちが、いかに自分の花がすばらしいかを、声を高らかにして歌う。
その道沿いにある小さなお店で、安くてボリュームのあるパイを1つ買い、食べながら花を見た。
見たことのない花、小さくかわいらしいもの、色とりどりの花弁が誘うように顔を向ける。
日常の一部として、その花たちを買っていく街の人々。
古めかしい建物とあいまって、ああ、英国だなと、感動したものだ。
次に出向いたのは、バッキンガム宮殿。
エリザベス女王がいるときは、王室旗が掲げられ、不在の時は国旗が掲げられるのだという。
わたしが出向いたときは、国旗が風に揺られていた。
外観を損ねない、優美な線を描く柵の向こうに、くるみわり人形に出てくる、赤い服と黒く長い帽子の衛兵がたたずんでいた。
お次は、ビックベンだ。
セントジェームズパークを、川のほとりをのんびり歩きながら横切った先にある時計台で、ロンドンにきたと実感させられるものの代名詞の1つだ。
ビックベンといい、宮殿といい、そのあとにいったウェストミンスター寺院や、ホースガーズ(近衛騎兵隊司令部)といい・・・たとえ道沿いにある、なんてことのないマンションですら。
日本でいう、その名前からしては想像できないほどの重厚さ、歴史的な感慨深さを感じさせる。
なんていったらいいのかわからない。
街全体が、1つの博物館のようだと思った。
テムズ河のほとりを離れ、わたしはハイド・パークをつっきることにした。
ヴィクトリア&アルバート美術館にもはいったが、ここも例外にもれず広く、そして、部屋全体があるテーマにそったものになっていたりなど、やはりどの博物館とも違った様相だった。
そのあと出向いたのが、ケンジントン宮殿。
その前には、リスや鳥が遊び、花咲き乱れる、楽園のような小さな庭園があった。
3日目は、すこしゆったりと過ごした。
オックスフォードストリートをてこてこと歩く。
両替のためだ。
日本の空港のレートが、165円。英国の空港では、175円。
このオックスフォードでは、同じ通り沿いにいくつか両替所があったが、それぞれ、167~165~163円と、値段は少し変動していた。
わたしがみつけたもっともいい両替所は、スペイン系の小さな食べ物屋さんの隅でやっていたところにある。
たぶん探せば、レートがいいところはもっとあると思う。
仕事の終わったIさんと合流して、ナショナルギャラリーに行く。
モネ、ゴッホ、ゴーギャン、ラファエロなどといった、聞いたことのある名前がいくつもあった。
最後に、ゴッホの「ひまわり」を見た。
すごい。
実際すごいのか、まわりの雰囲気に押されたのか、教科書でみた絵がここに!という感動だったのか、とにかく確かにひきつけられるものがあった。
迫力とでもいうのだろうか。
一週間ばかり、わたしはロンドンに滞在したが、そのなかでいくつもの歴史ある建物、美術品、展示物を見てきた。
いいかげん歩きづめの毎日で、しまいには、何を見ても頭のなかを素通りするようになってくるのだけれど、それでも、ひきつけられるものの前では、思わず足がとまった。
あくまでわたしにとってだけれど、頭の中が瞬間白くなるもの、鳥肌がたつもの。
足の痛みや疲れやけだるさが、一瞬すべてなくなるもの。
そんなものに出会えた日々が、わたしはとても嬉しく、幸せに思った。
28日。
出発前日。
いつのまにか、そんな日になっていた。
わたしはひとり、ピカデリーサーカス周辺をうろつき、お土産の物色にはいった。
これまでの経験上、なまじお土産物屋で買うよりも、現地のスーパーで買ったほうが、安価で、ローカルなものが買えると踏んでいたので、あくまで、参考のための物見遊山のつもりだった。
だが、わたしはとある店にはいった。
スーツを着たスタッフたちがいる、調度品や、光彩の具合も計算してつくられたであろう、高級感溢れるお店。
ただ、覗くだけのつもりだった。
買うつもりはなかった。
そうして気づくとわたしは、ずっしりと手首に響く袋をぶらさげていた・・・・。
ブランドの高さだ。
わかってる。わかってる。
値段と味は比例しない。
高級ビターチョコより、チロルチョコのがわたしは好きだ。
わかってる。
旅におもりは必要ない。
お土産といえど、軽くすませるのが基本。
わかってる。
実際わたしがそこで買ったのは、瓶詰めのジャム(重い)やら、瓶詰めのジャム(2つかった)、缶いりの紅茶(重い。せめてパックのにすれば軽いものを。そして高い)を二箱。その他、たぶん、お繊細な味がするだろう、チョコたち(わたしがこれまでに買った昼食代の総合計を軽く超す)やらなんやら・・・・
重い。
高い。
重い。
店を出て、我にかえった瞬間、思わず、何やってんだとつぶやいた、そんな英国の夏。
そのあとで寄ったスーパー(TESCO。ロンドンでよくみかけたチェーン店)でもやっぱりお土産を買った。
目を引いたのが、チーズ。
日本で買うと馬鹿見たいに高いチーズが、およそ半額くらいの値段でうっている。
どうみても要冷蔵の物品だ。
お土産にするなんて、ありえない。
そう思いつつ、手がわしづかみ。
えーと、ブルーチーズと、ブルーチーズと、ブルーチーズと・・・(最近お気に入り)。
結果。
スーツケースがえらいことになった。
きたときは13キロ。
帰りは、25キロ。
あとで見てみると、「heavy」の札がちらりとはってあった。
どれくらい重いかというと、さりげなく、車輪がとけた。
溶けたのだ。
たぶん、摩擦熱によってとけたのだろう。
何か車輪が動かないなと思って見てみると、4つあるうちの1つがとけて、動かなくなっていたのだ。
より重いスーツケースが、より動かない。
最後の最後で、さすがに泣きそうになったものだ。
さて、泣きそうになったことは、まだある。
最終日。29日。
Iさんにお礼をいって、別れ、一人、地下鉄にのって空港を目指す。
そこで、目的の駅名がおかしいことに気づいた。
「ヒースロー空港。ターミナル1&2&3、4、5」
・・・・あれ、なんで分裂してんの?
慌ててガイドブックの「地球の歩き方」を見ると、「ターミナルが別れていて、降りる駅はエアラインによって違うため、あらかじめ、確認しておこう」と書かれている。
しらねーおせー。
ついでに、ちらりと見たページには、「リコンファーム(航空会社に、前もって搭乗確認をすること)をしておこう!」などと書かれていた。
しらねーつか忘れてたよもー。なんだよそれもーしらねーしらねーうわーあ。
ここまでいくと、ふてくされるしかない。
たまたま同じ列車にのっていた、旅ルックの老夫婦が話しかけてきた。
「あなたはどこのターミナルを使うの?」
「わかんないんです・・・」
「まあっ!」って顔されました。
こっちも「まあっ!」って叫びたい。
彼らは、ターミナル4の駅でおりていった。
駅は、ターミナル1~3、4、5の3つに分かれている。
地球の歩き方の簡単な説明と、確率的に可能性が高いほうだと、わたしはひとまずターミナル1~3駅でおりることにした。
おりたはいいが、すぐに案内表示が出てくる。
1か、2か、3かを選べと。
しばし迷ったあげく、たまたまいた日本人のあとについていくことにした。
彼らはターミナル3へと足を運んだ。
幸いなことに、それが正解だった。
わたしがのる航空は、このターミナル3が出発地点だったのだ。
もっとも、今後もオリンピック開催に向けて、ターミナルは変化していくようなので、都度確認は必要だろう。
そんな英国旅行。
環境面でいえば。
気温は、あらかじめ聞いていたものの、予想以上に寒かった。
日差しは眩しく、じりじりと暑いのだが、空気が驚くほどに冷たい。
昼はまだしも、夜は、確実に厚手のパーカーが一枚あるとよかっただろう。
雨がふりやすいとは聞いていたが、わたしがいたときは、比較的晴れていて、青空が見えることも珍しくなかった。
ただ、雨がふると、スコールのようにふることもある。
冷え込み、寒さで震えることになる。
わたしは、暑さは弱いけど、寒さは平気だろうとたかをくくって夏ルックでいったあげく、夜の冷え込みには我慢ができず、航空機でぱくった毛布をまきつけて街を散策するはめになった。
食べ物。
話で聞いていた不味さも高さもなかった。
というよりも、わたしが外で食べたのは、初日のハンバーガーと、あとは昼時のミートパイなどといった小さなものだ。
パイはいろいろなところで買ったが、ものによるが、たいがいは1つで腹がふくれるほどにボリュームがあり、熱々で美味しい。安ければ1ポンド以下のものもあった。
たぶん、もう少しちゃんとした、英国らしいお店で外食をすれば、高くもあれば、まずくもあるのでもないのだろうかと、勝手に推測している。
野菜やお米なども、特別高いと思ったこともなかった。
さて。
・・・振り返ってみれば、もう、だ。
夢だったような、短かったような、長く長くイギリスにいたような。
ほんとに楽しい旅でした!
以上!