ちいさなちいさな いのりのことば

 * にしだひろみ *

ひかり

2018年07月28日 | Weblog
忘れな草色の空を見ていた。

ついさっきまで輝いていたサーモン色の雲は色を失い、

なにもない無垢な一瞬を経て、

空は、見る者の心が付いていけない速さで、深い藍へと移っていく。



讃美歌を聴いていたい。

この頃、そんな気持ちになることが増えた。

この世界にはたくさんの音楽がある。

たくさんの楽器があり音色がある。


ごく限られたものしか聴いてこなかったが、

それは、わたしの聴覚に堪えられるものが少なかったことが大きい。



静かに奏でられるピアノや竪琴

鳥や木の葉や水の音


そんなものしか聴かないわたしが、いま唯一聴く歌、人の声が、讃美歌だった。




讃美歌との出会いは、高校三年の音楽の授業だった。

ミュージカル映画『サウンドオブミュージック』を、先生は小間切れに数回に分けて見せてくれた。


内容も歌も素晴らしかったが、わたしの心をナイアガラの滝のように打ちのめしたのは、讃美歌だった。


修道院に響く、荘厳で神聖で繊細な声。

その響き、その声の行き先は、この世界で最も美しく善良な場所であると感じた。



それは、信仰心や宗教的な憧れのようなものとは少し違っていたと思う。

最も美しいであろう世界を、そのまま音にしたような歌があることに、驚いたことと、

「あなたは何を目指して歩いていくのですか」

そう問われた気がしたのだ。


修道女たちは、目指すものを明確に掲げ、静かに真っ直ぐに歩んでいた。

美しいと思った。




マザーテレサの伝記を読み、カルカッタに飛んでいきたくなったのも、この頃だった。

マザーが行っていることも素晴らしかったが、何より惹かれたのは、

「最も美しい場所」に近づいていく、明確な道に見えたことだった。


家族の反対に、その道は閉ざされたが、

父の言葉が胸に刺さり、やがてそれが灯台になった。

「困っている人は日本にも近所にもいる」




やがて、わたしは知るようになる。

最も美しい場所は、どこか遠い高みにあるのではなく、自分の心の中に育むものだと、

どこで何をしていても、美しい場所を指して生きることができると、

長い時間と痛みを経て、やっと、知るようになる。   




空が藍に変わっても、蜩は鳴き続けている。


意識しなければ聴こえなくなるようなその歌は、讃美歌とまじりあい、やさしい手のひらとなって、わたしをいざなう。


美しい音の舞いのなかで、小さな光が見えた。


混沌とした、喧騒のようなこの世界のただ中にこそ、最も美しい場所、最も美しい思いを、拓くこと・・


それは、わたしの灯台。


それは、あの日に父がくれた、思いだった。
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